アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2016年09月16日

屋号#大阪丸その(41) (大阪城*V 徳川大坂城)





(大阪城*V  徳川大阪城)



image.jpeg






にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 大阪府情報へ
にほんブログ村







現在、私達が見ている大阪城は、通名・徳川大坂城。



江戸時代に修築された大坂城の遺構からのものです。



(実際の天守閣は、現在、SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)になっています。
徳川大坂城は江戸時代からの火災や落雷で消失した後、昭和初期に市民の寄付で再構築、その後、第二次世界大戦の空襲の標的にもなり、度重なる災難の後、いくつかの手を経て現在の姿になっているようです。)



前述したように、石垣なども江戸時代当時の遺構のままです。



私自身が最初に疑問を抱いた大坂城天守閣入り口付近にあった金明水・井戸の【葵のご紋】も、もちろん、徳川家・江戸時代の名残のものでした。



因みに現在の大阪城の天守閣に入場すると、3階・4階は撮影禁止となっています。



実は、ここには大坂城にまつわる数々の当時の自筆の文書や品々が保管展示されていて、また大阪城にまつわる史実なども紹介されています。



大阪城の3階・4階にある膨大な資料の中から、いくつか目についたものを書き記そうと思います。
(詳細は大阪城、若しくは大阪城関連図書をご参照下さい。)



まず、文書や品々は、やはり豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康関連のものが多く目につきました。


史実なのですが、秀吉はもちろんのこと、家康関連も多く、展示されていました。
またこの二人の天下人に関わった大名たち。


絵屏風や絵巻物も解説文と共に展示されていました。


歴史物に興味がある方や好きな方には、十分、見ごたえがあるかと思います。


自筆の文書に目をやったり、様々な展示物をゆっくり見学するのも趣きがあると思います。


またVTRでの大阪城にまつわる史実の紹介コーナーもあり。


館内は外国客の方も含めて、結構なにぎわいでした。



私も大勢の中、列に並びつつも、3階や4階を見学して回りました。



意外に徳川家康関連の展示も多いことが判明しました。



image.jpeg



〜〜〜〜〜



*徳川家康を身ごもった母親が後光を放った観音菩薩?から、啓示を受けているような絵もありました。



沢山ある資料の中で、この絵・・・何故?目に留まったのかというと・・・・・・・・。


@歴史に詳しくない私は、この天守閣近くの井戸に【葵のご紋】を見つけて不思議に思ったこと・・・大阪城は豊臣秀吉が築城したままだと思い込んでいたこと。

大阪城の井戸にある【葵のご紋】の徳川家康由来を知ろうと、展示物をくまなく見ているうちに、この絵と前後の史実解説文に行き当たりました。



Aこの絵は、徳川家康を身ごもった母・於大の方が右手・家屋の下に描かれており、左手・外界天空に雲が浮かび、その上に観音菩薩?が、於大に啓示の光を送っています。


(その昔から、例えば仏教の釈迦の場合は、マーヤ妃が6本の牙を持つ白い象がお腹に飛び込んで来た夢・啓示を受け懐妊したと言われ、やはり三大宗教の一つであるキリスト教のイエスもマリアの処女懐妊を大天使ガブリエルから啓示を受けている。
日本の場合、聖徳太子の母・間人皇女は救世観音が体内に入り、身ごもったとの伝説がある。他、古今東西の聖人や偉人について同様の伝承伝聞がある。)


そうです。この絵を見て、古今東西の聖人や偉人を懐妊した時にまつわる話や神兆の伝説を思い出したのです。



Bそして、この絵は丁寧に彩色され、後光が指す観音菩薩?も、於大の方も美しく描かれていたのですが・・・
将来の天下人・家康(竹千代)を懐妊した母のいる家屋の描き方が・・・全く遠近法を度外視して描かれているところに思わず、見入ってしまいました。


ぱっと見た感じでは、遠近法に目が慣れている現代人には違和感がある家屋の書き方でした。
(何故か?家屋だけが、いびつな形に・・・)


まだ西洋絵画の技術が入ってこない時代の建物の描き方なのだと確信。
昔の人は不思議には思わなかったに違いありません。






〜〜〜〜〜





また史実の解説文を読むと、家康の母・於大の方は、家康の父・松平弘忠に離縁されていました。

元々は於大の父が決めた政略結婚でした。
戦国時代ならではの結婚や離婚でした。

於大の方の兄が松平氏の主君である今川氏と絶縁して、織田氏に従った為、今川氏との関係を慮った弘忠に離縁されていたのです。

離縁された母は、永らく家康と音信不通も。

(後日、皮肉なことに父の意向とは相反し、家康は今川氏から独立し、織田氏と同盟を組みます。)

桶狭間の戦い以降、家康は再婚した母と義理の兄弟を迎え入れます。
晩年、再婚相手死去後、母・於大の方は剃髪し、出家します。



image.jpeg





〜竹千代(後の家康)自身も幼少時より、人質として数奇な人生を歩んでいることは有名です。〜




一時は命を狙われた父・弘忠は従属していた有力な守護大名・今川氏に忠誠を誓う為に竹千代を人質として差し出すことにした。


しかし竹千代が今川氏に送られる際、同盟の戸田康光に奪われ、今川氏と敵対する織田氏に送られ、人質となる。
竹千代は織田氏の元で数年過ごしたのち、織田信広との人質交換で再び、今川氏の元に送られた。

また数年、今度は今川氏の元、忍従の人質生活を強いられる。

その後、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後、混乱に乗じて岡崎城に入城し、今川家と決別。
信長と同盟を組んだ。(清州同盟)





・・・・・・・・・・・・・・





その後の活躍は、よくご存じの通りです。









秀吉没後に関ケ原の合戦に勝利し、覇権をものにする。

征夷大将軍になり、江戸幕府を開いた。




天下を取ったように思われた家康だが、秀吉亡き後も豊臣家は最大の脅威であり続けた。

最晩年を迎えていた徳川家康の望みは、天下取りを盤石なものにすることであった。


後継者をめぐるお家騒動に近いものもあったうえ、一大名に転じたものの、未だに豊臣家は特別な存在であり、西側の他大名の多くはこれに従った。
徳川家康には、いつの日にか天下を奪い返す位、驚異ある勢力と映っていたに違いない。


そして慶長19年(1614年)の方広寺鐘銘事件をきっかけに、豊臣氏の処遇を決するべく、動いていく。

豊臣氏は家康の勧めで方広寺を再建。
慶長19年(1614年)4月のことである。
同8月3日、大仏の開眼供養を行う予定であった。

しかし、方広寺の梵鐘の銘文中に不適切な語があると供養を差し止めた。

その語とは「国家安康」で家康の名前の文字を避けなかったのは不敬罪に当たるというものであった。
家康の名を分断し、呪詛する言葉とし、「君臣豊楽」など言葉も豊臣氏を君主として繁栄を願うものと解釈された。

これを受けた豊臣氏は弁明を持たせた家臣を江戸に送るが、家康は会見すら拒否をする。




この件は、豊臣氏攻撃の口実、言いがかり的とも、いや当時の常識では不敬罪にあたるので、秀頼の軽率な呪詛・挑発など、諸説様々である。


いずれにせよ、この件をきっかけとし、大坂城冬の陣が起こることになる。


そして大阪城夏の陣で、ついに豊臣家(秀頼・淀君)は滅んでしまう。


******


この後、徳川二代目秀忠により、大坂城は、徳川家・江戸幕府により、豊臣色を払しょくした修築工事を行う。


これが、私たちが今日見ている大阪城の基盤となる徳川大坂城である。





余談ですが・・・竹千代(家康)は、織田家・今川家の両方の人質となったのですが、最終的には、元々の君主であった今川家よりも対立する織田家を選び、同盟を組んでしまうのは、何故なのだろうか?

*竹千代の家(父)は、有力大名・今川家に忠誠を誓っていた。
*その誠実さを示すために竹千代を人質に差し出し、また妻の兄が織田家に付くと、離縁したほどである。

・・・・・・・





後の家康である竹千代は、父方よりも母方に感性が似ていたのだろうか?
竹千代の伯父(母の兄)は、織田家を選んでいる。

若しくは将来の天下人の嗅覚なのだろうか?

あるいは、自身を人質に差し出し、母を離縁した父やその原因である今川家に背いたのだろうか?





家康は思慮深いと、(あるいはタヌキとも)言われています。
彼の長い人質生活が、与えた後天的性質かも?知れません。
感情を表に出さないことで過酷な環境の中、生き残って来た人なのだろうなぁと思います。





織田信長の豪放磊落な性質は、野生児で思うままに生きて来た証だとしたら、豊臣秀吉の創意工夫も家康の思慮深さもなんとなく腑に落ちるような気がします。



家康の思慮深さ・・・時に非人間的な策略家であったり、良くないイメージもありますが、自身の大坂城入りが間に合わず、秀頼自害の報を聞いて泣いた。という伝説も残っています。



現在に生きる私達は、当然、その場にいたわけでもなく、会ったこともない歴史や歴史上の人物なのですが、色々な史実(もちろん、真贋は別とした伝説も含む)や残された品々を見ていると、なんだか身近に感じられたのも不思議でした。



(次号に続く)




























































この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5442630
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
ファン
検索
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。