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2016年07月27日

かたちが心をただし、心がかたちをやしなう

心の時代の次は、スピリチュアルがくる…

本当にそんな感じですね。

そう感じるのは、単に周りの流れがそうなってきているなぁ…って思わされる状況が増えているからだけでしょうか?

いろんな感じ方考え方があるとは思います。

ただ、いろいろと右往左往…して思うことは、
まず動いてみなさい…なんて
言われても、何をしていいの?とわかっていない…そんな状態でも、すべきことをすることはできるのですね。

かたちが心を正し、
心がかたちを養う


今、ふと気になった目についた言葉。

かたちから入るか、中身から入るか…
いろんなことが言われるのですが、
なるほどね…って思わされた言葉です。

かたちが心を正し、心がかたちを養う

かたちをまねることは簡単なんですよね。
それは、学ぶことの一つのカタチ。
真似てみる。
大切な学び方だと思います。

真似てみる。
同じようなやり方をしてみると、そのやり方で生まれる心があります。
その新たに生まれた心を感じ、形を理解すると、おのずと次が生まれる。


日本人は真似るのが得意だと言われたりします。

だけど、
真似てみる…
かたちだけになっていて、それに伴う心の在り方は拒否をする…
そうすると、形骸化が生じているなぁ…って思うのです。

うまくいっている人のまねをして、
自分がやっているかのように振る舞う。
だけど、
真似ても結果が同じ結果が出ないのは、
心が違うから。

恐怖におびえ、
かたちだけをとり入れ、
さも、自分の思いついたことのように…
心が伴わなければ、
同じ形をしても、
同じ結果は出ない。

現代、日本人の残念なところ…かもね。

かたちだけをまねて取り入れてみたつもりになる。
同じ結果が出ない…と、そのやり方を否定して反応する。
やっぱり、そのやり方はおかしいなど言ってみる。
わかりやすく伝える方法を探っている人間は伝えることはできる。
ただ、それをわが物のように…奪おうとし、自分のモノのように振る舞い、奪ったつもり…はつもりだけなんですね。
似て非なるものにしかならない。

理由はかんたんなんです。

心が違う。

どうにか自分に有利にするために、
他者のモノを奪い、わが物のように…振る舞う人達が
横行する世の中に
未来はない。


本質をまねることはできないからね。


違うやり方に固執しているのに、
うまくいっている…と他のやり方をかたちだけ取り入れる。
本当は、そのかたちをやっていると心が変わるはず…
だけど、
心を変えない。
そうすると、かたちはやはり…意味をなさない。

本質的なところが変わらない限り、
かたちをまねても、
元に戻る。


うまくいっている…ことは、
実は心が違う。


恐れから動くものには
恐れしか生じない


かたちを盗むように取入れても
こころは盗めない


そんなことを子どもたちに伝えるための話がたくさんある。

大好きな本から

おばあさんのクッキー

 公園通りのちいさなクッキー屋さん。 
 おばあさんが、ひとりで焼いている。おばあさんのクッキーは、とてもおいしいと評判で、お昼過ぎには、もう売り切れ。それでも、お客はやってくる。
 クッキーは売り切れるけど、おばあさんの話はたねぎれなし。おいしいお茶、入れてもらって、お話して…。
 だから、公園通りのちいさなクッキー屋さん、いつも誰かが、店の中。
「おばあさんのクッキー、よそのと、どこかが違ってるねえ」
「食べると、気持ちがふんわりしてくるよ」
誰もが、一度は尋ねてみる。
「何か、特別なもの使ってるの?」
おばあさんは、笑って首を振るばかり。
 あるとき、一人の若者が、おばあさんの台所に忍び込んだ。隣町のクッキー屋。クッキーのヒミツを、探りに来た。
「小麦粉、バター、卵に砂糖、エッセンス…、これは、何のエッセンスかな?うっとりするようなバラ色…ふんわり、やさしい香り…そうだ!きっとこれがクッキーのヒミツだ!」若者は、エッセンスを盗んだ。
 自分の店に戻ると、早速クッキーだねに、ひとふり、ふたふり…ところが、出てきたエッセンスは、バラ色とは似ても似つかない、真っ黒黒。ドロドロ流れて止まらない。クッキーだねは、台無しになってしまった。
 若者は、自分が泥棒したことも忘れ、おばあさんの店に怒鳴り込んだ。
「あんたンとこは、こんな泥エッセンス使ってるのか!」
おばあさんは、台所から、エッセンスのびんを持ってきた。
「さあ、ごらん。お前さんが持ってきたのと、同じものだよ」
 おばあさんは、作りかけのクッキーだねに、ひとふり、ふたふり…バラ色のしずくがポロンところがって、ふんわり優しい香り…。
 若者はぽかんとしていた。
「私のエッセンスは、私でなきゃ使えないんだよ。他の人ではダメ。ましてや、盗んでまで使おうもんなら、くされてしまう」
「おばあさん、魔法使い?」
 若者は、首を傾げた。おばあさんは、ほほえみを浮かべた。
「いいや。このエッセンスは、苦労して作り上げたモノなんだよ。一日どう過ごしたかで、色も香りも、違ってきてね…。毎日毎日、すてきなエッセンスにしたくて、一生懸命だった…」
 若者はもう一度、エッセンスを振ってみた。ポトリ。黒いしずく…。
 うなだれて出ていく若者に、おばあさんは、優しく声をかけた。
「お前さんも自分のエッセンスを作り上げるんだよ。自分のを、だよ…」

 公園通りのちいさなクッキー屋さん。今日も、あったかい香りに包まれて、開店。おばあさんのクッキー、焼きたてをどうぞ。



私のすべて…の基本スタンスなのかもしれませんね。
出会いは小学校入って…すぐくらい?
もしかしたら、小学校にも入っていなかったかもしれません。
このお話が気に入って、この本を大事に…。
今でも持っています。ボロボロな表紙だけどね。

そして、この話。
私が作るクッキーもおいしいものになりますように…って願って作ること、小さなころから…
クッキーだけではありませんね。


全ての基本だと思っています。



私が作る全て…


かたちをまねることはかんたんなのです。
だけど、同じ味にはならない。


だから、真似て取り入れて…違うものをつくり違う結果を生み出す。
当然なんですね。
真似て…その人のエッセンスが入るから、違う結果を出す。
同じことをやっているつもりでも、違うんですね。
なぜなら、心が違うから。


子どもほど、その違いに敏感で、
反応するのです。
だから、同じことをしたつもり…でも、違う結果が生じるのです。
そして、同じことをして、自分がさもやったことにして、自分の手柄にしようと…その結果は違うもの。
真っ黒どろどろエッセンス。

私が作るケーキは美味しい。
食べる人は幸せになれるのです。
食べたことがある人たちは、よくわかってるのです。
同じケーキでも、日によって味が違うことを。
だから、私も知っているのです。
同じ形の同じこと…と思っている行為でも、違いがある。

どんなに形をまねることができても、
どんなに他人がやっていることを自分の成果にして盗もうとしても
所詮、盗んだものは盗んだもの。
同じ結果は出ないのです。
口先手先…似たようにできる。
だけど、盗んだものには、盗んだ結果しか出ない。
理由はかんたん。
そのかたちに至るまでに重ねた努力がないからね。
重ねた経緯が、その結果を生み、重ねた努力が微妙な違いを創る。

似ても違うことになるのは、言葉の端々、行為の端々が違うから。
同じことをしているつもりでも、違うなぁ…。
盗んだ人たちのやっていることを見て思うのです。
ただ、盗んだ人たちにはわからない。
なぜなら、盗む人たちは、最初っから心がないから。
盗んだ時点で、終わっていることをわかっていない。
17人殺し…教育者を目指していたモノ…そんなモノを創った人たちがいる。
出来上がったものが生み出すモノが他人を幸せに導くかどうか…
実はつくっている人の心が導くモノを決めている。

モノは、物であり、者である。


小さいころにこの童話に出逢えた私は幸せです。
全ての本質は、この童話たちにある。
そんな本。

私は入力のために、漢字になっている部分たくさん。
だけど、本来の本はひらがなばかり。
そう、ひらがなしか読めなかった私が読むことができた本。
小学校に入る前だと思います。

負けて勝つ
なんて、おっしゃる方がいましたが、どんなに違う人が我が成果のように盗んでも、その人は本質がわかっていないのですね。盗んだものから何も良きものは生まれない。
真似て学ぶと言いますが、真似る人の心が大事。
他人を陥れる心から生まれるモノは、いいものを生み出す力が足りない。

モノは、一人の力で全てを作り上げる…ことはできないからね。
たくさん、関わる人たちがいて、出来上がる。
だから、関わったすべての人の心を受けて、出来上がったモノは、次にどんなモノを作り出すのか?

せめて…
私がかかわったモノたちが、幸せなモノを引き寄せていきますように…って思うのです。

私が作ったモノをよいと判断してくれる人たちがいて、盗もうとする人が出るんでしょうね。
ただ、盗んで…ってイライラしたり、頭にきたり…していたんだけど、やっぱり最後はこのお話かな。

私が作ったモノと同じものは、盗んだ人たちには作ることはできない。


私が作るモノを通して、幸せ〜って思ってくれる人たちは、本当に同じモノを作る人たちを増やしたい…のに、盗んでどうにか自分の手柄にしようとしている人たちが常に邪魔をして…残念。
似て似つかないものになっていく理由は簡単。

クッキーと一緒だよ。


その人の作った料理を食べたら、その人がわかる。

どんなに表面繕い、かたちを整えたつもりでも、出来上がってくるモノが真実を伝える。
ただ、盗んでどうにかしたい人たちがわかっていないこと。

イチイチニ
そんな人たちに怒りを覚えていたんだけど、
まぁ…
マイナスの感情を生み出して、行為を貶める必要はないか…って思ったんですね。

創り出すモノに違いが出ている。

盗んだ人たちには作れないモノがあり、作り出せない人たちにはわからない作り方はかたちあるものを盗み取っても同じ結果を生み出さない。

これがわからずに…まだやる盗み人達。

かわいそうなのは、誰も生み出したモノを選ばない。
創り出されたモノの命がもったいない。

作り直しを誰かがして、再利用…

作り直しに携わる人たちの思いはひとつ。

最初っからちゃんと作ればいいのに…
でも、作り直ししている人たちはわかっているのです。
作っている人をどうにかしないと変わらない…でも、作っている人を変えることはできることではない。

自分を変えることはできても、他人を変えることはできないのです。

生み出しているモノを変えたいならば、自分を変えるしかない。
敏感に…似て非なるモノを子どもと老人は感じ取る。

神様に近い存在は、神様と同じ反応をする。


私の大切な人たちが、私が創り出したモノで幸せになれたらいっか。
私は私が創り出したモノに囲まれて、それが引き寄せているモノたちに囲まれて…幸せだなぁ…と思います。



posted by nova at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 価値観
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