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2014年04月09日

個性って…

自分基準の人の思い込み。

自分が基準だから、それより高い人も低い人もいないと思っている。
自分が全て。

自分の基準以上の基準も、以下の基準も存在していないと思っている。

だから、自分の基準に当てはめて、全てを理解して判断して…そのとおりにやっていくのを当然だと相手に押し付けてルールを作る。

そんな人が集まり集団を作ると、その集団は衰退する。



なぜって?



口先でどんなに「個性」を大切にしようと言っても、無理。

個性を履き違えているから。




好きな服装をするのは個性じゃない。
好きな音楽を聞くのも個性じゃない。
好きな本を読むことも個性じゃない。


好きな全てをどんな形式の世界であろうとも楽しめるくらいに卓越する。


好きな全てを、それに対して価値を見出さない人にも伝えることができるくらいに、相手の世界も知る。


好きな全てを貫いても、他の人達にとやかく言わせないくらいに、他の人達の基準を上回っておく。


個性って、他の人ができることもできていて、その上にオリジナリティを出せること。
他の人がしていることをまねすることが全てではない。画一化されたメンバーの真似は、個性を殺すこと。

オリジナルを出せるのは、たくさんの事例を知っていて、たくさんの事例から学んでいることたちが自然と出てくる。
そのくらいにたくさんの事例を学ぶ努力をしていないと、個性なんて言ってはいけないかも。

学ぶ順序はさまざまだから、同じ順番に学ぶ必要はないとは思う。
だから、学ぶ順序を決める必要はない。

だけど、学んでいる量が少ない…残念なことかも。


結果責任で、アウトプットされるものがレベル足りないのなら、その集団は意味がない。
努力していると言ってはいけないとインプットされている人もいる。

目の前のものを一生懸命にしていたらそれでいいんだと考えている人もいる。




人と違うことをして結果を出しに行くためには、人と違うことをしても結果を出せるという自信が必要である。
その自信は、人と違うことをやってみたことがないと出せないし、多くのことを知らなければ出せないこともある。

学びが少なくて、周囲のやっている方法を学んで、それ以上がないのに集団の中で長くなっているからできているつもりになっている人達が集まると、進展がなくなり、止まる。停滞して衰退しているのもゆっくりだから、いつの間にか…裸の王様。

ゆで蛙の法則。




個性と言う言葉を安く使うと、品がなくなる。

個性と言う言葉を履き違えると…本当に個性と際立つこととは正反対に走る。




個性あると言うことを楽しむためには、半端ない努力が本当は必要なのに、みんなと同じようにしていて、個性的と勘違いしている。



外観だけでしか測れない個性は、個性ではない。


同じような格好をしていても、遠くからでも光るものがある。
何かしらのオーラを放つことができるか?際立つものがないと…ってね。


外観を飾り立てることで個性と勘違いしているうちは、服に着られている存在。
画一的な感じの姿の中でも、目を引く…何か。
埋もれることない光放つ顔が際立ってくるのは、磨いたからでしょ。


個性あふれる人は、何を着ても似合うとは限らないかもしれない。

しかし、
個性ない人は服の力で個性的に見せることはできる。

それは、服も同じ。

個性あふれる服は、100m離れても気になるものである。

それがたとえ、ありふれた形のスーツであろうとも、何か気になる…オーラが出ている。



残念なのは、オーラを出すまでに磨かれていないのに、逃げに出ている存在。



化粧も…
同じ。



ごまかしていると、その下の顔が何であろうとも同じ。
際立つものを隠す化粧が流行り、みんな同じように見えるように…と努める。
ごまかしているから、いつまでも変わらない。
下にある顔は、若いときの不安が残った顔になる。



中途半端な努力しかしていなくても
個性をうたって横臥はできる。

年を重ねていくと、中途半端なことに気づく。



イチローくらいに際立つために努力をしたか?
ストイックに
時間をかけたか?


周りの努力の何倍もの努力をしている人にしか個性を出したことを本当に出せないなんて思わない。だから、周りと同じで満足し徒党を組み、つながる感情を満たし文化を創ったつもりになる。

それが生み出す結果が低レベルならば…
自己満足としか評価されない社会を知っているくせに…
抜け出ようとしない。

なぜって?

抜け出るための努力がイヤだから…。



同じようなリクルートスーツに身を固めて、他と際立ちたいから…と少しデザインを持たせたものも出ていたりする。
だけど、100m先に並んでも、際立つのはデザイン違いの勘違い個性より、その人が放つものを持っている人。

それを求める会社と求めない会社があるってことだけ。


原石は、磨かないと光を放たない。磨いて部分的に光を放っているから、そちらがその石の特徴かと勘違いすることもあるけれど、本当はもっと強く光を放つ側面を磨いていないだけかもしれない。

早くにこの石の特徴・個性はこれだ〜って決め付けてみて対応すると、見誤っているかもしれない。
また、磨き方が悪いと…本当は光る部分を削ってしまうかもしれない。


ほうり出された原石を拾い集めて、磨きなおし?

磨いているつもりになって光っていない原石と、磨く途中の原石と、磨こうとされていない原石と…
どれが一番輝きをもっているかなんて、途中ではわからない。

ただ、光る部分を削り当てることができ、磨きをかけはじめが輝く部分からだと…評価され始めが早いかもしれないが、それで満足して停滞している…そんなものも多くあるかもしれない。


磨いても磨いても…放つ光を気づいて上げられない…って多くの人が気づくほどに光るまでに時間がかかるのは石が大きいからだよ。





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