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2017年08月08日
斉藤由貴を激しく非難する和田アキ子にカンニング竹山が苦言
斉藤由貴を激しく非難する和田アキ子にカンニング竹山が苦言
8月6日に放送された 『アッコにおまかせ』が、 『週刊文春』の報じた 斉藤由貴と医師の不倫疑惑を取り上げた。 そのなかで、 不倫を否定する斉藤を厳しく非難する 司会の和田アキ子をカンニング竹山が たしなめる場面が見られた。 和田は斉藤を 「かわいいと得するよね。 普通はボロクソに言われんで。 かわいくないと 『何言うとんねん』 って言われるで」 と皮肉たっぷりに斉藤を批判した。 また、 映画をふたりで見たあとに、 指と指を絡めて手を繋ぐ “恋人つなぎ” をした写真を撮られた斉藤が 「甘えたくなった」 と釈明したことに対し、 和田は 「正直なのか、 ちょっと考えずに 言葉を発しすぎているのか…」 とあきれていた。 週刊文春の男性医師の発言と、 会見の斉藤の発言を照らし合わせ、 男性医師に合鍵を渡し、 医療用器具が斉藤の家にあるという話にも触れ、 和田は 「おかしくない?」 と疑問の表情を見せた。 和田は 「わたしはダイエットではないけど、 ヘルニアや腰痛を持ってるから週1回、 針とマッサージには行きますよ。 医師が自宅に来るときは旦那がいるとき。 自分でも病院に行くよ。 鍵は預けられないでしょ」 と自身の体験談を挙げながらまくし立てた。 カンニング竹山が批判する和田アキ子をさりげなく非難 一方で、 和田とは対照的にカンニング竹山は 「人の家庭の浮気なんてどうでもいいだろ、 お前らに関係ないんだよ。 浮気してすいませんじゃねえよ、 お前らに関係ねえんだよ、ばか野郎」 と不倫疑惑をむやみに批判し続ける 世間の風潮に苦言を呈した。 そのときの竹山の怒りの矛先は、 まるで和田にも向けられているようだった。 インターネット上では、 《竹山が正論だな、浮気なんか家庭の問題で他人に関係ない》、 《和田は当人家族、スタッフ以外は迷惑かけてないのに批判好きだね》、 《和田アキ子はどうでもいいこと扱ってるな、 あんたもパパラッチされたらどうする? 隣のおばちゃんと同じだよ》、 《和田ってご意見番とか言われ舞い上がってない? 斉藤のどこが悪いの?》、 《アッコも酔うとキス魔になるだろ》 などと 和田の発言や番組そのものを 非難するコメントが相次いだ。 和田は、 不倫を否定すれば 世間のイメージアップが図れる と思ったのかもしれないが、 今回の件は “アッコにおまかせ” とはいかなかったようだ。
私はクリスチャンではないが 新約聖書の一節に こんな話がある 現代風に意訳する。不倫の現場をおさえられた女が イエスの前に連れてこられた。 連れてきた道徳や規則にきびしい 連中は 「不倫していた女を連れてきた。 規則では石で打ち殺すことになっているが、 (いつも神の愛を説く)あなたはどう思うか。」 という。 イエスが規則を守らない状況を作って イエスを訴えるためだ。 (民進党がくだらない質問をして 政権のイメージダウンを狙うのに似ている) イエスは無視して 地面に何か書いている。 連中はイライラしながら さらに問い詰める。 イエスは身を起こすと 「あなたがたの中で罪のない者が、 まずこの女に石を投げつければいい」。 と言った。 そしてまた身をかがめて、 地面に物を書きつづけた。 彼らは 年寄からひとりびとり出て行き、 ついに、イエスと女だけになった。 イエスは言った、 「わたしもあなたを罰しない。 お帰りなさい。 今後はもう罪を犯さないように」。繰り返すが 私はクリスチャンではない。 キリスト教では イエスを 人間ではなく神の子する都合上 あまり イエスの人間的な豊かさを 強調されることは少ない。 しかし イエスもブッダも 調べれば調べるほど 心豊かな人物だ。 確かに不倫は 悲しみを作る、 または 作っている可能性は 常にある。 その一番悲しんでいる その人個人に 心から同情して 原因を作った人物を 批判し責めるのは 誰も止められない。 しかし それ以外の人で 責めることができる人は 私は知らない。 少なくとも その当事者夫婦の 内実を知らなければ 責める気にはならない。 また 責めたい人は それなりの その人の 「心の事情」 が あるはずだ。 自分も不倫したいのを 必死で我慢してるとか、 今不倫してるのを 必死で隠しているとか、 常にストレスを抱えていて 怒れる話があれば いつでも怒りたいとか。 そういう方々は お気の毒だとは思うが 本来の問題の解決を 他のことで鬱憤晴らすのは 問題が膨らむだけで あとで嫌な思いをすることに なるので よく考えて欲しい。 竹山ってわかってるね。