アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog
<< 2008年08月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
カテゴリアーカイブ
最新記事

広告

posted by fanblog
2007年10月03日
不倫は悪なのか?
 かつて「不倫は文化だ」といった芸能人がいた。 残念ながらおいらは不倫をしたことがないので、文化かどうかに関してはよく 分からないのだが、不倫というのはそもそもなんなのだろうか?と考えてみた。 簡単に言えば、妻や夫がいながら別の異性と付き合ってしまうことなのだが、 問題は言葉の意味である、「不倫」というのは現在は一般的にそのような意味 で使われているが言葉そのものの意味としては「不道徳」だったり、またはそ のものズバリ「悪」であったりする。  つまり「不倫」とは「倫理に反する」という意味なのである。 ではどうして、夫や妻のいる人間が別の異性と付き合うことが「倫理に反する」 のか? そんなことは当たり前じゃないか、と思うかもしれないが、道徳だとか常識だ とかいう言葉が理由として出てきた場合は一度は疑ってみる必要がある。 道徳や常識というのは、誰かの都合によって作られたものである場合が多いか らで、多くの場合現在では既に合理的ではないことが往々にしてあるからだ。  日本には戦前まで姦通罪という罪が存在した。 これは、夫のいる女性が別の男性と関係した場合に適用される法律で、2年以 下の懲役と定められている。 少なくとも戦前においては不倫は確かに罪だったのだ。 明治以前には「不義密通」という名前でやはり存在しており、内容は「姦通罪」 と同じ、ただし、この場合は死罪が適用される。 つまり、夫を持つ女性が他の男性と関係すれば、最悪死刑ものだったわけであ る。 では、妻を持つ男性が別の女性と関係した場合はどうなるのか? これは何のお咎めもないのだ。 江戸時代には政府が認めた公娼遊郭として吉原が存在し、この遊郭は明治・大 正を経て戦後も赤線区域と名前を変えて昭和33年まで残っていた。 つまり、昭和33年に売春禁止法が制定され赤線がなくなる迄は確かに合法的 に存在していたのだ。 勿論、妻帯者は客にしないなどという決まりは存在しなかったのだから、妻を 持つ男性が別の女性と関係することは社会的に「不倫」ではなかったわけであ る。  つまり、戦前においては女性の不倫は社会的に許されないものだったが、男 性の不倫は昭和33年迄許されていたわけだ。 「最近の若い女性は慎みがない」とかそれこそ「ふしだらだ」という人の多く はその時代を知っている人や、またその時代の残り香を嗅いで育った人々がで はないかとおいらは思っている。 また、妻帯者が別の異性と関係することを「不倫」と呼ぶことの裏にもこの辺 の事情があるような気がする。 不倫もそうだが、同時に、では、なぜそもそも昔の日本女性には「慎みがなけ ればいけなかった」のか?ということを考えてみたい。  日本という国は1945年8月15日までは封建国家だった。 明治以前の江戸時代も当然封建国家だし、遡れば4世紀中ごろといわれる大和 朝廷の成立以来ずっと封建国家だったわけである。 政治上の重要な役職は能力よりも世襲制度によって決められており、江戸時代 には、武士・町民の身分制度も確立している。 つまり「血」によって、世の中がまわっていたのだ。 だから、もし、身分ある殿様の奥方が町民と不倫をして子供を作り、なおかつ 旦那には「この子はあたなの子供ですよ」と嘘をついたりした日には、DNA鑑定 も無い当時としては、それを信じるしかなく、「血」によって人間の価値を決 めていた当時の社会システムそのものが根底から破壊されかねないのだ。 妻の不倫は勿論、そうなることを未然に防止する為に「女性は慎み深く」とい う常識が必要になったのである。  逆に、殿様が町人の娘に産ませた子供は庶子として本妻の子供より一段下に おかれることはあったが、社会的には殿様の子供として認められた。 例えば、徳川八代将軍吉宗の母は農民である。 これが、男性の不倫は良くて、女性の不倫は駄目、という「常識」の出発点で ある。  他に例をあげるとキリスト教の禁止というのもこれと同じで、身分制度によ って機能していた社会を保つ為には、人間は皆平等であるという考え方のキリ スト教を容認するわけにはいかなかった。 だから、江戸時代においてキリスト教徒は隠れ切支丹と呼ばれ、改宗しなけれ ば死罪が適用されていたが、これは何も当時キリスト教を信仰した人たちが悪 いのではなく、社会システムを維持するためにそれが必要だったから、に過ぎ ない。  話を元に戻すと、この考え方がそのまま、不義密通という罪を生み、姦通罪 として残ったのだ。 しかし、考えてみればこれは単に男社会をうまく機能させるために生まれた社 会常識、道徳であり、戦後の日本にはあてはまらない。 少なくとも表向きは、身分がどうの、家柄がどうのという社会ではないし、戦 後日本はそういった封建社会を否定したところからはじまっているので、妻帯 者が別の異性と関係するということは、単に家庭内におけるルール違反に過ぎ ず、社会的に、不道徳的だと糾弾されるべきものではないとおいらは思うのだ。  ただし、だからといって、おいらが個人的に不倫はしても良いものだ、とか、 するべきものだ、と思っているわけではない。 仮に自分が結婚したとして、何かの拍子に美人とお近づきになる機会があった としたら、それはまあ、よりお近づきになりたいと思うかもしれないが、おい らの場合、そういうことをして後でおしおきを受けるのが怖いのできっとしな いと思うのだ、もしかするとするかもしれないが、一応、まだ婿入り前の身体 なので、しないということにしておきたいのだ。  特に不倫をして遊んでいるうちはいいが、子供ができたとしたら、やっぱり その子供がちゃんとした環境で育っていけるか?というようなことを考えた場 合、できればしない方がいいと思う。 おいらが言いたいのは、こういった実害以外の部分で、単に常識だから不倫は 悪いことなんだ、と思ったり、妻帯者が別の異性と関係することを「不倫」と 呼ぶのはいかがだろうか?ということであり、たとえ最近の若い女の子に慎み がなかったとしても、赤の他人の生き方が自分の嗜好と合わないなどというバ カげた理由から文句を言うのはおかしいのではないか思っているのである。  ちなみに個人的に慎み深い女の子とそうでない女の子のどっちかが好きか? といわれれば、おいらは圧倒的に慎み深い女の子を支持する。 何故かといえば、慎み深い女の子の方が付き合った後もあまり相手の浮気の心 配をしなくて良さそうだし、こちらの言うことも素直に聞いてくれそうだから だ。 実に打算的だが、所詮この程度のものなのだ。

Posted by movieboy at 23:04 | この記事のURL
この記事のURL

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。