2017年07月15日
Coccoさん20周年記念武道館ライブ。
こんばんは。
世間は今日から3連休の中、もちろん私はお仕事ですよ、みのこです!
でもでも、今回は良いのです。
妬んだり僻んだりしないのです(*´∀`*)
何故ならね、3日前にお休みをいただいて、東京へ行って来たからです。
泣き出したいくらい美しいもの、この先もずっとずっと残っていてほしいものにたくさん出会えた旅でした。
国際子ども図書館、国立科学博物館、そしてメインはCoccoさんの20周年記念武道館ライブ。
14とか15とかの半分死んでるような思いをしていた頃から明るく健康的になった今の今までずっとずっと私を救ってきてくれたCoccoさん。
私と同じようにCoccoさんの歌でたくさんたくさん救われてきたファンの方達。
みんなであの場を共有できたことが、本当に本当に幸せでした。
オープニング曲の最初の一音を聴いた瞬間にはもう一気に涙が溢れ出てきて、そこからずっと泣きっぱなしでした。
オープニング曲は、デビュー曲のカウントダウン。
そこから怒涛のゴリゴリロック曲の連続。
水鏡、けもの道、走る体。
圧倒的な声量と表現力、渦を巻き、観客を巻き込むようなバンドサウンド、禍々しさ(これは悪い意味ではもちろんなく、止めどない、抑えきれない、いろいろな、たくさんの感情の発露という意味)と神々しさの入り混じるCoccoさん自身のオーラ、そして曲の世界観を忠実に忠実に(大事なことなので2回言いました)再現した舞台照明。
本当にもう筆舌に尽くし難い。
とにかく息をするのも辛いくらいというか、むしろ息をしていいのかも分からないほどに、その場の迫力とか空気に包まれて、高揚感と止めどない涙が。
14年とか13年間ずっと一緒に生きてきた音楽が、今私の目の前で、とんでもないパワーで再現される(それは最早再現という域を超えていたけれど)という現実に、頭がクラクラしました。
中盤は穏やかで、優しい曲達。
特に、やわらかな傷跡、Rainingはよく聴いていた思い出がある。
CDで聴くよりもずっとずっと優しくて、穏やかで、頭と心を撫でててくれるようなそんな曲達を次々と紡いでいくCoccoさん。
途中、短めなMCも。
Coccoさんの喋り方は独特で、沖縄の訛りも出るし、舌ったらずだし、そして甘えるような声で、とってもとっても可愛い。
少女がそのまま大人になったような、そんな印象。
終盤にかけては、私の好きな曲だらけ。
ポロメリア、強く儚い者たち、樹海の糸。
急に曲調が変わって、音速パンチ。
この曲の舞台照明がとても秀逸で、Coccoさんを中心にしてクルクルクルクル視点が回るあのPVをちゃんと踏襲していて、この演出には本当に脱帽。
入り口で配られたペンライトをファンがあちこちで振っていて、それがまたとても綺麗で、会場全体を含めることで遂にこの1曲が完成するといった感。
ちなみに私はカバンにしまってしまったペンライトを取り出すタイミングを完全に逸してしまって、それだけは本当に後悔…。
その後、まさか歌うと思わなかったRainbow、カラオケで歌うとよく褒められる焼け野が原、私の人生の主題歌と勝手に決めている風化風葬。
そして、最後のMC。
以下、Coccoさんのお言葉。
「もう死んでもいいってところから、生きててよかったと思えるところまで、みんなよく来たね。おめでとう。私達はもう大丈夫な気がする。」
このライブは、このことをファン一人一人が、そしてCoccoさん自身が確認するために設けられた場だったのだと、思い知りました。
かつて、生きるのが辛くて、苦しくて、ともすればあちら側へ旅立ってしまいそうな(または旅立ってしまいたいと思い続けていた)日々。
活動休止(Coccoさんはそれを「逃げた」と表現していた)後、復活したCoccoさんは「あっちゃん(Coccoさんは昔自分のことをあっちゃんとよく呼んでいた)、みんなのこと大丈夫にしてあげられないけど、いつも大丈夫であるようには祈ってるから。」「言いたいことは、ただ一つだけ。生きろ。生きろ。いきろー。」と言っていました。
そして、20周年のライブを迎えた日。
私達は辛く、苦しい日々を、踠いて、縋って、喚いて、どんなにどんなにみっともなくても、それでも耐えて、時には少しだけ笑って、たくさんたくさん頑張って生存(サバイブ)してきた。
ちゃんと生きてきたから、今日この日を迎えられたのだと、気が付いた。
気が付けたから、もう、私達は大丈夫なのだと。
そして、最後の曲。
もくまおう。
Coccoさんが私達に、Coccoさん自身に、そして私達がCoccoさんに、そして私達自身に送る曲。
愛は1番自由だと、Coccoさんは言っていました。
私達は愛し愛されていることが分かったから、私達はもう大丈夫、もっと自由に、これからも生きていけるのだと。
歌い終わると、Coccoさんはバレリーナのお辞儀をして、バンドメンバーが後奏を続けている最中、舞台袖に捌けていきました。
演奏終了後、歌姫不在で行われるバンドメンバーのおてて繋ぎのご挨拶。
割れんばかりの拍手。
アンコールは無しで、あっという間の2時間ライブでした。
終わった後は、しばし放心状態。
泣きすぎて、潰れたお饅頭のような顔で、それでもまだ泣く泣く。
普段泣き虫で有名な(?)私が2時間で約2年分の涙を流したもんだから、ハンカチが最早おしぼり並みの水分量で、よく脱水症状を起こさなかったなと思います。
そして、誕生日プレゼントとして、大好きな大好きなCoccoさんのチケットを私にプレゼントしてくれたあなた、本当にありがとうございました。
2階席後方でごめんねとたくさん謝ってくれましたが、2階席でもステージの真正面だったし、むしろ2階席正面の方が音の反響や舞台照明の演出などなど大変素晴らしく、また会場全体を見渡して場内の一体感をもろに視界に焼き付けることが出来たので、本当に最高のプレゼントでした。
あんなに素敵な誕生日(実際には4日遅れ)は、今までなかったです。
本当に本当に、ありがとう。
あなたとCoccoさんに出会えたこの人生を、これからも、不恰好ながら、生存者(サバイバー)として謳歌してみせます。
何卒最期までお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
かしこ。
なんてね。
以上、実は14日のライブも行ってきたみのこでした。
そのお話もしたいけど、それはまた今度。
世間は今日から3連休の中、もちろん私はお仕事ですよ、みのこです!
でもでも、今回は良いのです。
妬んだり僻んだりしないのです(*´∀`*)
何故ならね、3日前にお休みをいただいて、東京へ行って来たからです。
泣き出したいくらい美しいもの、この先もずっとずっと残っていてほしいものにたくさん出会えた旅でした。
国際子ども図書館、国立科学博物館、そしてメインはCoccoさんの20周年記念武道館ライブ。
14とか15とかの半分死んでるような思いをしていた頃から明るく健康的になった今の今までずっとずっと私を救ってきてくれたCoccoさん。
私と同じようにCoccoさんの歌でたくさんたくさん救われてきたファンの方達。
みんなであの場を共有できたことが、本当に本当に幸せでした。
オープニング曲の最初の一音を聴いた瞬間にはもう一気に涙が溢れ出てきて、そこからずっと泣きっぱなしでした。
オープニング曲は、デビュー曲のカウントダウン。
そこから怒涛のゴリゴリロック曲の連続。
水鏡、けもの道、走る体。
圧倒的な声量と表現力、渦を巻き、観客を巻き込むようなバンドサウンド、禍々しさ(これは悪い意味ではもちろんなく、止めどない、抑えきれない、いろいろな、たくさんの感情の発露という意味)と神々しさの入り混じるCoccoさん自身のオーラ、そして曲の世界観を忠実に忠実に(大事なことなので2回言いました)再現した舞台照明。
本当にもう筆舌に尽くし難い。
とにかく息をするのも辛いくらいというか、むしろ息をしていいのかも分からないほどに、その場の迫力とか空気に包まれて、高揚感と止めどない涙が。
14年とか13年間ずっと一緒に生きてきた音楽が、今私の目の前で、とんでもないパワーで再現される(それは最早再現という域を超えていたけれど)という現実に、頭がクラクラしました。
中盤は穏やかで、優しい曲達。
特に、やわらかな傷跡、Rainingはよく聴いていた思い出がある。
CDで聴くよりもずっとずっと優しくて、穏やかで、頭と心を撫でててくれるようなそんな曲達を次々と紡いでいくCoccoさん。
途中、短めなMCも。
Coccoさんの喋り方は独特で、沖縄の訛りも出るし、舌ったらずだし、そして甘えるような声で、とってもとっても可愛い。
少女がそのまま大人になったような、そんな印象。
終盤にかけては、私の好きな曲だらけ。
ポロメリア、強く儚い者たち、樹海の糸。
急に曲調が変わって、音速パンチ。
この曲の舞台照明がとても秀逸で、Coccoさんを中心にしてクルクルクルクル視点が回るあのPVをちゃんと踏襲していて、この演出には本当に脱帽。
入り口で配られたペンライトをファンがあちこちで振っていて、それがまたとても綺麗で、会場全体を含めることで遂にこの1曲が完成するといった感。
ちなみに私はカバンにしまってしまったペンライトを取り出すタイミングを完全に逸してしまって、それだけは本当に後悔…。
その後、まさか歌うと思わなかったRainbow、カラオケで歌うとよく褒められる焼け野が原、私の人生の主題歌と勝手に決めている風化風葬。
そして、最後のMC。
以下、Coccoさんのお言葉。
「もう死んでもいいってところから、生きててよかったと思えるところまで、みんなよく来たね。おめでとう。私達はもう大丈夫な気がする。」
このライブは、このことをファン一人一人が、そしてCoccoさん自身が確認するために設けられた場だったのだと、思い知りました。
かつて、生きるのが辛くて、苦しくて、ともすればあちら側へ旅立ってしまいそうな(または旅立ってしまいたいと思い続けていた)日々。
活動休止(Coccoさんはそれを「逃げた」と表現していた)後、復活したCoccoさんは「あっちゃん(Coccoさんは昔自分のことをあっちゃんとよく呼んでいた)、みんなのこと大丈夫にしてあげられないけど、いつも大丈夫であるようには祈ってるから。」「言いたいことは、ただ一つだけ。生きろ。生きろ。いきろー。」と言っていました。
そして、20周年のライブを迎えた日。
私達は辛く、苦しい日々を、踠いて、縋って、喚いて、どんなにどんなにみっともなくても、それでも耐えて、時には少しだけ笑って、たくさんたくさん頑張って生存(サバイブ)してきた。
ちゃんと生きてきたから、今日この日を迎えられたのだと、気が付いた。
気が付けたから、もう、私達は大丈夫なのだと。
そして、最後の曲。
もくまおう。
Coccoさんが私達に、Coccoさん自身に、そして私達がCoccoさんに、そして私達自身に送る曲。
愛は1番自由だと、Coccoさんは言っていました。
私達は愛し愛されていることが分かったから、私達はもう大丈夫、もっと自由に、これからも生きていけるのだと。
歌い終わると、Coccoさんはバレリーナのお辞儀をして、バンドメンバーが後奏を続けている最中、舞台袖に捌けていきました。
演奏終了後、歌姫不在で行われるバンドメンバーのおてて繋ぎのご挨拶。
割れんばかりの拍手。
アンコールは無しで、あっという間の2時間ライブでした。
終わった後は、しばし放心状態。
泣きすぎて、潰れたお饅頭のような顔で、それでもまだ泣く泣く。
普段泣き虫で有名な(?)私が2時間で約2年分の涙を流したもんだから、ハンカチが最早おしぼり並みの水分量で、よく脱水症状を起こさなかったなと思います。
そして、誕生日プレゼントとして、大好きな大好きなCoccoさんのチケットを私にプレゼントしてくれたあなた、本当にありがとうございました。
2階席後方でごめんねとたくさん謝ってくれましたが、2階席でもステージの真正面だったし、むしろ2階席正面の方が音の反響や舞台照明の演出などなど大変素晴らしく、また会場全体を見渡して場内の一体感をもろに視界に焼き付けることが出来たので、本当に最高のプレゼントでした。
あんなに素敵な誕生日(実際には4日遅れ)は、今までなかったです。
本当に本当に、ありがとう。
あなたとCoccoさんに出会えたこの人生を、これからも、不恰好ながら、生存者(サバイバー)として謳歌してみせます。
何卒最期までお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
かしこ。
なんてね。
以上、実は14日のライブも行ってきたみのこでした。
そのお話もしたいけど、それはまた今度。
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