2019年06月30日
「エメラルドは人に褒められなくてもその価値を失わない。」マルクス・アウレリウスを想って、、、のまとめ
第16代古代ローマ皇帝「マルクス・アウレリウス」が書いた「自省録」の心に響いた名言を数回に渡って書いて来ました。今日は最終回です。
「自省録(じせいろく)」とは、哲学オタクでもあった思慮深い指導者「マルクス・アウレリウス」様の個人的な日記の様な反省文集です。
何度も説明した通り「自省録」は、あくまでもアウレリウス様が自分のために書いたものであって、他人が読む事を想定した物ではありません。
アウレリウス様自身が日々を幸福に生きるため、自分へ言い聞かす様に、反省文の様に、自らの理想を確認しつつ自分のために書いた物です。
また、繰り返しになりますが、ギリシャ語において「善い」「悪い」という言葉には道徳的な意味がありません。
「善い」は「正しい」ではなく「ためになる」、「悪い」は「正しくない」ではなく「ためにならない」という意味。
「善い=ためになる=幸福になる」「悪い=ためにならない=幸福にならない」と判断するともっと分かり易いかもしれません。
それでは引き続き心に刺さる「マルクス・アウレリウス」様の言葉を紹介して、最後に私なりの「まとめ」を書こうと思います。
以下の「」内は、マルクス・アウレリウス様が書いた「自省録(じせいろく)」からの抜粋です。
今回のテーマは「生と死との向き合い方」語録です。
「あらゆるものは本姓的に死ぬものである。」
「死は出生と同じく自然の神秘である。」
皇帝に就任したとたん、ローマの街に大雨による大飢饉や洪水、疫病、そしてついに戦乱が起こり、アルレリウス様は常に「死」と隣り合わせでした。
ですから「生と死」について、考えざるを得ない現実があったのです。そうして彼が辿り着いた答えは「今、ここを生きる」事でした。
「たとえお前(アルレリウス自身)が
三千年生きながらえるとしても、
三万年生きながらえるとしても、
覚えておけ、
何人(なんぴと)も今生きている生以外の生を
失うのではないこと、
今失う生以外の生を生きるのではないことを。
だから、最も長い生、最も短い生も同じことだ。
今は全ての人に等しく、
したがって失われる物も等しい。
かくて、失われる物は束の間のことであることは明らかだ。
過去と未来を失うことは出来ないからである。
持っていない物をどうして奪うことが出来るだろう。」
過去を苦にしても時間を巻き戻す事は出来ないのでどうしようもありませんし、未来を思い悩んだとしても先の事は誰にも分かりません。
人に出来る事は唯一つ「思い残す事のないように、今だけを生きる」事であると、アルレリウス様はご自身に言い聞かせてらっしゃったんですね、、、。
「全ての行為を、生の最後の行為のように行う。」
これは中々出来ない事です、、、。う〜ん、、、耳が痛い!ですが、確かに人生は「今」こそが正に「本番」です。
「今」は未来のための「リハーサル」ではありません。ですから「今」この瞬間を大切に、悔いの無い様に生きる事は理想です。
「人格の完全とは、
毎日を最後の日のように過ごし、
激することなく、無気力にもならず、
偽善をしないこと。」
素晴らしいです。悟りを開いてらっしゃいます。だからこそ、素晴らしい内容だったからこそ、時代や国境を超えて読み継がれてるんですね。
ご本人にとっては「日記」的な物だったので、少々お恥ずかしいかもしれませんが、でも少なくとも私にとってはなんだか救いになります。
こんなに素晴らしい「理想」を、何千年も前に掲げていた指導者が存在したという事実は「人間も捨てた物ではない」という夢を与えてくれます。
「既に死んでしまった者のように、
今までに生を終えてしまった者のように、
今後の人生を自然に即し、
余得として生きなければならない。」
これは凄過ぎます。前回の内容から察するに「人として当然持っている欲を抑え、宇宙のかけらとして、自然の一部となって過ごす」という事でしょうか、、、?
そうする事、つまり「無欲」になる事で「幸福」に生きる事が出来るという事でしょうか、、、?人は「独り」で「幸福」にはなれませんからね、、、。
必ず「他者」と共に存在し、「他者」と共にこそ「幸福」になれますからね、、、。人間は「生かされている」存在ですからね、、、。
とにかく、とてもお辛い思いを抱きながら生きてらっしゃったという事や、そうした苦難を踏ん張って耐えながら生きる覚悟が伝わって来ます。
「枝は隣の枝から切り離されたら、
木全体からも切り離されないわけにはいかない。
まさにそのように、人間も一人の人間から引き離されたら、
共同体全体から離脱することになる。」
「ところで、枝は別の者が切り離すが、
人間は隣人を憎み背を向けることで、
自分で自分を隣人から分離する。
しかし、同時に共同体からも
自分を切り離してしまうことになるのを知らない。」
とても達観してらっしゃいますね、、、。「理想」は未来にあるのではなく、今ここから自分自身で勇気を持って作って行くのですね、、、。
私としては、まずは自分の家庭から、、、。「主人に読んでもらいたい、、、」って思っちゃったけど、、、。
でもダメダメ!押し付けは逆効果!まずは自分自身から!自分の心の持ち方の指南書なんだから、、、。
これからは、何か辛い事があったら「こんな時アルレリウス様だったらどうするかなぁ、、、」って思いながら行動して行こうと思います。
私にとってこれからの人生は正に「余生」ですから、「今後の人生を自然に即し、余得として生きる」事は正しい姿だとも思うのです。
それでは最後に、これまでのマルクス・アウレリウス様語録を私なりに簡潔にまとめてみました。
< マルクス・アウレリウス様語録 >
1.「幸福との向き合い方」
=「お前が何か外にあるもののために苦しんでいるのであれば、
お前を悩ますのは、その外なるものそれ自体ではなく、
それについてのお前の判断なのだ。
お前を悩ます多くの余計なものは、
全てお前の判断の中にあるので、
お前はそれを除去出来る。
お前の内を掘れ。掘り続ければ、
そこにはほとばしり出ることができる善(幸福)の泉がある。」
2.「他者との向き合い方」
=「互いに対立することは自然に反する。
怒らずに教え、そして示せ。
お前が怒りを爆発させたとしても、
それでも彼らは同じことをするだろう。
復讐する最善の方法は、
自分も同じような者にならないこと。
人間は互いのために生まれた。
だから教えよ。さもなくば耐えよ。
次の結論を心に留め、心を和らげよ。
我慢することは正義の一部であること。
人は心ならず過ちを犯すということ。
このことを知っていれば、その時、
お前は全ての人に優しくあるだろうから。」
3.「人生の中で思いがけず訪れる困難への向き合い方」
=「自分に起こり、織り込まれた物(運命)を愛し、
歓迎すること。
起こること全てを、難儀なことに思えても、
喜んで受け入れよ。
起こることは、全て正しく起こる。
自然に即して悪いものは何一つない。」
そして最後は最終回、今回のテーマ(「生と死との向き合い方」語録)となります。
どれもこれも、私自身の人生においても当てはまる事ばかりで、、、確かにこうでも思ってリセットして再インストールでもしないと、、、。
個人差はいろいろあるでしょうが、困難や辛い出来事が何一つ無い人などこの世に存在しません。大切なのはそうした出来事との向き合い方なんですね、、、。
そうして今日から、また新たな人生の1ページを、自分自身の筆で、自分なりに美しく彩って行くしかないのかもしれません。
少なくとも私にとってはアウレリウス様のお考えは「善い=ためになる」ものでしたので、読んで下さった方にとって、何かのご参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでくれてありがとうございます!また読んで下さいね!
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この記事へのコメント
こんにちは!はじめて訪問させていただきました。マルクス・アウレリウスの自省録、奥が深いですね!
Posted by 浅野なぎさ at 2019年06月30日 17:21
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