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2015年05月18日
【明日話したくなる雑学】捕鯨!?ペリー提督の日本寄港の最大の理由!!??
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ペリーですが、彼が日本に来たわけは、大きく分けて2つあると言われています。
1つは、アメリカ製の繊維を有望市場としての中国へ進出するにあたり、その寄港地(補給基地)として日本が絶好の地理的位置にあったこと、もう1つは、北太平洋における捕鯨船の漂流船員救助と船舶の寄港地を求めたとされています。
現在は「反捕鯨」の急先鋒であるアメリカですが、19世紀には、照明用などの油を採取するため、世界最大の捕鯨国でありました。
その、最大の捕鯨基地が、東海岸のマサチューセッツ州にあるニューベッドフォードでした
。1850年代、アメリカ西海岸はようやく開拓がはじまった頃で、アメリカの大陸横断鉄道や太平洋航路は整備されていません。
もちろん、パナマ運河などというものもありません。それどころか、メキシコとの戦争に勝利してカリフォルニアがアメリカ領土となったばかりです。
ですから、軍事基地は東海岸にありました。
ニューベッドフォードを出た捕鯨船は、アフリカの南端(喜望峰)を回り、インド洋に進出していました。インド洋で鯨資源が枯渇しはじめた1850年代には、地球をぐるっと回った北太平洋も漁場となっていました。
さて、捕鯨問題を主目的にやってきた黒船ですが、当のアメリカではその後、1859年にペンシルベニア州で石油が発見され、優れた照明用燃料として急速に普及していきます。
対して、アメリカの捕鯨産業は19世紀末にかけて衰退へ向かうこととなりました。
もう1つ、幕末、漁に出て漂流しているところをアメリカの捕鯨船に救助された「国際人」ジョン・万次郎は、この地で学んでいます。
その縁で、彼の出身地である高知県土佐清水市とニューベッドフォード市は姉妹都市になっています。
ペリー提督は開国が最大の理由で日本に寄港したわけではないのですね。
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