2020年07月11日
nikon sp について
SPと聞いて、すぐさまNIKON SPを思いつく人は、結構なNIKON党と言えよう。
レンジファインダー機の最高機種として、いまも多くのファンを魅了する本機は、
ニコンシングルナンバーの祖として知られる“F”と同じ時期に開発され、
どちらかというとFの原型となったカメラである。
当時、一眼レフカメラは、レンジファインダーカメラの格下として扱われ、
よって、NIKKOR-S・C 5cm F1.4レンズ付で 9 万8,000 円(ケース付き)
という値段で売り出されたSPは、NIKONの全ての技術を投入して開発された。
コンピューターに頼る現在と違って、設計から部品の製造、組み立て、
調整まで全て手作業で行われ、2万4千台という台数を作り出した当時の技術には恐れ入る。
第4回フォトキナ(photokina)のM3ショックによって、
小改造を施して出されたS2と違い、SPは世界ナンバー1を目指して開発されただけに、
機械的な工作精度は、現代では製造不可と言われるほど高い。
近年水戸ニコンによって、復刻モデルが出されたが、特にファインダー系を中心として、
かなり苦労し、携わった現代の技術者の当時の技術者への思いが容易に想像つく。
そんなSPも1957年発売時には諸手を挙げて歓迎されたわけではない。
ニューフェース診断室でも指摘されたように、
少々暗いファインダーや焦点ダイヤルや巻き上げレバーの操作性、
レンズフードを付けた場合のファインダー視野のケラレ、
シャッターボタンの位置と問題はあった。
しかし、そんな問題は、機体の工作精度の高さ、
世界に類を見ないボディーのみで2.8cmから13.cmまでのレンズに対応する
ユニバーサルファインダー、NIKON初のセルフタイマー、
シャッターの精度を高めるために開発した後幕の加速装置と、
そのショックを吸収するサイレントブレーキ、
まさにSPのP(professional)に相応しい性能を有し、
欠点を一蹴するに十分すぎるほどであった。一眼レフに慣れた私たち現代人は、
レンジファインダー機を操作したとき、特にシャッター音に驚くだろう。
ミラーが無いのだから当たり前だが、前期モデルの布幕シャッターの音は、
何とも言えないまさに“ささやくような”音がする。秒8コマをたたき出すD300の方が、
よっぽど即戦力があり、私も使用頻度は高いのだけど、
日曜日の一人散歩などにSPを連れ出すと、それだけで楽しくなる。
それはきっと、SやS2までとは一線を画する絶対的な機械性能と
NIKONの技術陣の魂がそうさせているのだろうと思うときすらある。
有名な吉岡 専造氏も、SPを持ったとき、それまで愛用していたSやS2を
手放してしまったそうだ。
また、自身が所属した朝日新聞東京本社-写真部のカメラを全てSPとFにしてしまったのも、
うなずける。それだけの力がこのカメラにはあるのだ。
この先、NIKONがSPを復刻することは無いだろうし、機体の数は確実に減っていくだろう。
しかし、50年後いや100年後にもこのカメラは確実に存在するはずだ。
(存在して欲しい)人間が、いや日本人が作り出し100%機械仕掛けのこの名機。
世代が変わっても、一部の金持ちのマニアの手元にある投資目的の“タダの機械”
ではなく、その時代時代に興味を持った人が手に届く範囲の値段で市場に出回り、
しかもカメラとしてきちんと動くコンディションを有していて欲しい。
また、私のように幸運にして出会えた人は、オーバーホールをして大事に使って欲しいものだ。
SPを見ながらかつての物作り大国日本に思いをはせていただきたい
レンジファインダー機の最高機種として、いまも多くのファンを魅了する本機は、
ニコンシングルナンバーの祖として知られる“F”と同じ時期に開発され、
どちらかというとFの原型となったカメラである。
当時、一眼レフカメラは、レンジファインダーカメラの格下として扱われ、
よって、NIKKOR-S・C 5cm F1.4レンズ付で 9 万8,000 円(ケース付き)
という値段で売り出されたSPは、NIKONの全ての技術を投入して開発された。
コンピューターに頼る現在と違って、設計から部品の製造、組み立て、
調整まで全て手作業で行われ、2万4千台という台数を作り出した当時の技術には恐れ入る。
第4回フォトキナ(photokina)のM3ショックによって、
小改造を施して出されたS2と違い、SPは世界ナンバー1を目指して開発されただけに、
機械的な工作精度は、現代では製造不可と言われるほど高い。
近年水戸ニコンによって、復刻モデルが出されたが、特にファインダー系を中心として、
かなり苦労し、携わった現代の技術者の当時の技術者への思いが容易に想像つく。
そんなSPも1957年発売時には諸手を挙げて歓迎されたわけではない。
ニューフェース診断室でも指摘されたように、
少々暗いファインダーや焦点ダイヤルや巻き上げレバーの操作性、
レンズフードを付けた場合のファインダー視野のケラレ、
シャッターボタンの位置と問題はあった。
しかし、そんな問題は、機体の工作精度の高さ、
世界に類を見ないボディーのみで2.8cmから13.cmまでのレンズに対応する
ユニバーサルファインダー、NIKON初のセルフタイマー、
シャッターの精度を高めるために開発した後幕の加速装置と、
そのショックを吸収するサイレントブレーキ、
まさにSPのP(professional)に相応しい性能を有し、
欠点を一蹴するに十分すぎるほどであった。一眼レフに慣れた私たち現代人は、
レンジファインダー機を操作したとき、特にシャッター音に驚くだろう。
ミラーが無いのだから当たり前だが、前期モデルの布幕シャッターの音は、
何とも言えないまさに“ささやくような”音がする。秒8コマをたたき出すD300の方が、
よっぽど即戦力があり、私も使用頻度は高いのだけど、
日曜日の一人散歩などにSPを連れ出すと、それだけで楽しくなる。
それはきっと、SやS2までとは一線を画する絶対的な機械性能と
NIKONの技術陣の魂がそうさせているのだろうと思うときすらある。
有名な吉岡 専造氏も、SPを持ったとき、それまで愛用していたSやS2を
手放してしまったそうだ。
また、自身が所属した朝日新聞東京本社-写真部のカメラを全てSPとFにしてしまったのも、
うなずける。それだけの力がこのカメラにはあるのだ。
この先、NIKONがSPを復刻することは無いだろうし、機体の数は確実に減っていくだろう。
しかし、50年後いや100年後にもこのカメラは確実に存在するはずだ。
(存在して欲しい)人間が、いや日本人が作り出し100%機械仕掛けのこの名機。
世代が変わっても、一部の金持ちのマニアの手元にある投資目的の“タダの機械”
ではなく、その時代時代に興味を持った人が手に届く範囲の値段で市場に出回り、
しかもカメラとしてきちんと動くコンディションを有していて欲しい。
また、私のように幸運にして出会えた人は、オーバーホールをして大事に使って欲しいものだ。
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