2020年01月11日
将来に向けての戦略を立てていきましょう
こういうものにミノルタV2の姿があるのもうれしい。展覧にはいろいろなものが展示されていましたが,カメラ関係では(図録より)
セコニック露出計 10台,8ミリ映写機 2台,8ミリ撮影機 2台
ミノルタ オートワイド,V2,V3,ユニオマット I,ハイマチック 他 8ミリ撮影機 6台(ミノルチナ8 あり)
ゼンザブロニカ D 試作機,市販機
他に,三菱鉛筆uni のパッケージもありました。これは1958年のものなので,私の小さい頃,ブルジョアの子がケースを筆箱代りに使っていたのはHi uni のものだったか。
秋岡芳夫さんの仕事は多岐にわたっていて,わたしなどの紹介できるものではありませんが,上記のカメラ関係のデザインは「1953年に3人(*金子至,秋岡,河潤之介)で工業デザイングループKAK(カック)を秋岡家の敷地の一角に立ち上げ。」,そのKAKによるもの。その場所が目黒区にあった(今もDOMAの名である)ので目黒美術館で開催されたのでしょう。「カメラに関しては,秋岡が1953年にいち早くリンホフを購入しているなどKAK3人全員がカメラ技術に独特の思想を持ち,撮影,現像まで完璧にこなしていた。・・・セコニックとの仕事の実績からメカニズムに強い工業デザイン事務所と評され,その仕事が千代田光学精工のミノルタや丸正自動車製造のライラックへの仕事につながっていく。」とのことです。
会場の一角には秋岡さんの使っていたカメラ,KAKでデザインしたカメラではありませんが,も展示されていました。なお「初めてミノルタ(*ママ)が外部デザイナーに依頼した最初のデザインとなった[「ミノルタオートワイド],・・・[ミノルタV2]は秋岡がデザインを担当し1958年に販売開始。」,「・・・ミノルタのロゴ(1958年から1980年まで,22年間も使われた),ケースなどカメラ以外,今でいうCI計画と見られるデザインにも丁寧に取り組んだ。」とのことです。ロゴは「工業レタリング」の分野のもの。「秋岡は・・・ライツ社のライカの機械彫刻文字の美しさをよく挙げている。」由。さらに「KAKの面々は,こうした機械彫刻を行う中小企業とのコミニュケーションも大事にしていた。」,軍艦部のメッキの質は関東の方がよいとどこかで読みました,この時期からミノルタのカメラの軍艦部は関東で作られていたのでしょうか?
会場に掲げられた年譜に「1964年 ミノルタSR7」とありました。やはりミノルタデザインの極北は,このnew SR-7(発売年は1965年)と思います。
画像2 new SR-7
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