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2017年10月29日

論理文法に見るファジィらしさ4

 修飾語の分析例として、GPSGの枠組みで構成性(フレーゲ原理)を維持するために、イディオムの一部に修飾語を付加することができるかどうか自身で試みたことがある。但し、本書では、論理文法の歴史に従って、構成性を強く意識することはない。条件文やテキストを扱うために、中間処理を意識する方向で理論が展開していくためである。GPSGは、統語論に文脈自由の句構造文法を、そして意味論にMontague 文法を採用した世界的に有名な言語理論である。ここでの問題点は、例文にあるように、形容詞 leibhaftig の形態統語的な修飾は、確かに 名詞 Hund に掛かっているが、意味的な修飾は、この名詞ではなく動詞となるというものである。

a. auf den Hund kommen.
b. auf den leibhaftigen Hunf kommen.

 それ故、本書では、leibhaftig をファジィ論理でいう一種のヘッジとして扱い、さらに、イディオム自体もヘッジと見なすことができるという立場でこの問題を処理している(イディオムの原理)。その理由は、慣用句がイゾト ピー(同位元素性)のようなテキスト内の様相パラメータを特別な方法で識別することができると考えているためである。
 HPSG をツールとした他のイディオム分析に Erbach and Krenn (1993) がある。コロケーシヨンを前提にイディオムが議論されているが、特に、量化の内容の中で記述した数量詞継承原理(Quantifier Inheritance Principle (QIP)) がイディオム分析の鍵となっている。
 まず、全体の表現の特性と見なされるイディオムは、分析不能として分類され、一方、部分的な修飾や指示的な使用が可能なためイディオムの一部に意味が割り当てられるべきものは、隠喩的として分類されています。

c. auf den Löffel abgeben.(さじを投ける、つまり、あきらめる)(分析不能)
d. in den sauce Apfel beißen. (嫌な仕事をする)(隠喩的)

c は、直接意味が割り当てられている。d は、「嫌な仕事」とden sauce Apfel (アップルソース)間および「行う」と beißen (嚙む)の間に一種の連結を作ることで理解される。
 次に、受動化や修飾といったイディオムの統語特性が取り上げられている。通常、VPを形成するイディオムは、受動化が可能だが、それによってイディオムの意味合いが薄れることがある。

e. Hans gibt den Löffel ab.
f. Der Löffel wurde von Hans abgegeben. (イデイオム性は薄れる)

修飾が可能な場合(例えば、sprichwörterlich (諺の))も、イディオム性 が薄れるようである。

g. Er gab den sprichwörterliclien Löffel ab. (イディオム性は薄れる)

逆に、隠喩的なイディオムの構成要素が修飾されても、イディオムの意味合いは薄れない。

h. Hans macht große Augen. (じろじろ見る)
i. Hans macht ganz große Augen.

つまり、Erbach and Krenn (1993) は、統語特性の計算はできても、構成要素の意味を結合する通常の関数では、意味特性の計算はできないと述べ ている。
 そこで、QIP を修正していく。分析不能なイディオム(例えば、die Leviten lesen (きつく叱る))に含まれている固定要素の die Leviten は、ユダヤ教の聖典(旧約聖書レビ記)と一種の意味関係を持っていると連想するであろう。しかし、これは、イディオムを理解する上で言語外的なことである。QIP は、意味の役割を担っていない場合でも、量化表現がリストに記述されなければならないことを義務づけている。それ故、 こうしたイディオムを語彙登録する場合、固定要素 die Leviten の意味を無視できるように、意味の役割は担っていないということを数量詞のリ ストに追記していく。

QIP
 句の接点の QUANTIFIER-STORE (QSTORE) 値は、その接点で検索される数量詞以外で意味の役割を担う娘の QSOTRE 値を結合したものになる。

 隠喩的なイディオム(ins Fettnäpfchen treten (うっかりしたことを言っ て嫌われる))についても、修正が必要である。但し、この場合は、主要部の語彙素が Fettnäpfchen であるということを指定すればよい。つま り、数、限定、量化に関して制限がないため、量化や修飾が掛かる固定要素に対して独立した意味を割り当てることになる。例えば、 Fettnäpfchen の場合は、treten 以外の動詞とも結びつくためである。 (Erbach and Krenn (1993))。そのため、固定要素に量化とか修飾が可能なイディオムは、個々の構成要素(Fettnäpfchenとtreten)に転用される意味を割り当てて、それらの意味を構成的に結びつけるように処理していく。

j. Sie muß in jeaes diplomatische rettnapfcnen treten.
(彼女は、外交面でくだらないことを言って嫌われるに違いない。)

k. In welcnes Fettnäpfchen wird sie diesmal treten?
(今回、彼女はどんなくだらないことを言うのだろう。)

l. Sie läßt kein Fettnäpfchen aus.
(彼女は、油の入った鉢を取り除かない。)

花村嘉英(2005)「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」より
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花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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