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2020年04月24日
ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える−実母のうつ病4
事情が好転し、マリアは子供(ハントケ)と本を読み自身のことも語るようになる。彼女の関心は政治、特に社会主義である。しかし、個人的な支えとなるとは思っていない。他に趣味はない。楽しい一方で精神的にダメージを受け、次第に抑うつの症状が現れる。(Wikipedia2)
抑うつは、うつ病の主な症状の一つで、憂うつ感と不安感が混じったものである。日本成人病予防協会(2014)によると、気分がふさぐ、気が滅入る、将来に対して悲哀感や絶望感を抱える、現実感が失われる悲観的になる、なんとなく漠然とした不安感を持つ、些細なことに腹を立てるなどの症状がみられる。マリアの場合、気分障害でも躁うつ双方の状態がみられ、両極型の症状である。但し、うつ症状が主で、躁状態は軽い段階で済んでいる。
その後、マリアは、病気になり頭痛を薬で抑え、はっきり考えることができなくなる。精神科に行くと、精神虚脱といわれて旅行を勧められ、ユーゴスラビアへ行く。確かに刺激の少ない環境で静養することは好ましい。しかし、旅は功を奏さず、再び薬に溺れる。自殺を考え、部屋に引きこもるようになる。死への憧れが日に日に強くなった。
ペーターと手紙のやり取りがあった。彼は、母が自殺を考えないようにしようと試みた。しかし、回避できなかった。ある日、マリアは知り合い全員に別れの手紙を書いてから、睡眠薬と抗うつ剤を多量に服用し自殺した。日本成人病予防協会(2014)は、うつ病の患者の90%以上が睡眠障害を引き起こすとし、うつ病の症状は、朝に最も強く現れ、夕方になると心身共に楽になっていく日内変動としている。
この小論では、‟Wunschloses Unglück”についての購読脳を「母の半生と精神疾患」とし、執筆脳を「記憶と感情」にする。また、母マリアの精神疾患はもちろん、作者自身も感情の表出を余儀なくされたため、‟Wunschloses Unglück”のシナジーのメタファーは、「ハントケと感情の縺れ」にする。自身とは距離を取るも母とは決して取ることができない感情である。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
抑うつは、うつ病の主な症状の一つで、憂うつ感と不安感が混じったものである。日本成人病予防協会(2014)によると、気分がふさぐ、気が滅入る、将来に対して悲哀感や絶望感を抱える、現実感が失われる悲観的になる、なんとなく漠然とした不安感を持つ、些細なことに腹を立てるなどの症状がみられる。マリアの場合、気分障害でも躁うつ双方の状態がみられ、両極型の症状である。但し、うつ症状が主で、躁状態は軽い段階で済んでいる。
その後、マリアは、病気になり頭痛を薬で抑え、はっきり考えることができなくなる。精神科に行くと、精神虚脱といわれて旅行を勧められ、ユーゴスラビアへ行く。確かに刺激の少ない環境で静養することは好ましい。しかし、旅は功を奏さず、再び薬に溺れる。自殺を考え、部屋に引きこもるようになる。死への憧れが日に日に強くなった。
ペーターと手紙のやり取りがあった。彼は、母が自殺を考えないようにしようと試みた。しかし、回避できなかった。ある日、マリアは知り合い全員に別れの手紙を書いてから、睡眠薬と抗うつ剤を多量に服用し自殺した。日本成人病予防協会(2014)は、うつ病の患者の90%以上が睡眠障害を引き起こすとし、うつ病の症状は、朝に最も強く現れ、夕方になると心身共に楽になっていく日内変動としている。
この小論では、‟Wunschloses Unglück”についての購読脳を「母の半生と精神疾患」とし、執筆脳を「記憶と感情」にする。また、母マリアの精神疾患はもちろん、作者自身も感情の表出を余儀なくされたため、‟Wunschloses Unglück”のシナジーのメタファーは、「ハントケと感情の縺れ」にする。自身とは距離を取るも母とは決して取ることができない感情である。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
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ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える−実母のうつ病3
3 ハントケの‟Wunschloses Unglück”のLのストーリー
オーストリア南部のケルテン州で兄弟姉妹とともに育ったマリアは、父に抑圧されていた。学校では才能を評価され、親切で協調性のある生徒であった。仕事を習得しようと思うも父に禁じられ、15年間実家を離れた。(Wikipedia)こうした家庭内の葛藤は、将来における気分障害の発症を予期させる。
彼女の最初の仕事は、皿洗い、部屋の掃除婦、会計係そしてホテルの調理師である。ナチス・ドイツのメンバーであった既婚のドイツ人と恋愛し妊婦になる。男の年齢は、母より上で頭が禿げており、母は黒髪で背が高く、歩くときは平たいサンダルを履いていた。
出産前にドイツ軍の下士官と結婚する。子供(ハントケ)を女手一つで育てるのは難しいかったためである。ベルリンにいる間にふっくらしていた頬はこけた。ロシア人とスロベニア語でやり取りをした。しかし、冒険は望まない。戦後は男と愛憎定まらぬ関係になる。大都市での生活は、可能性がなかった。異性関係や家族の問題が気分障害の病前性格に絡む精神的な問題になることもあり、将来のうつ病の引き金と読み取れる。
1948年の初夏、夫と二人の子供とビザなしでベルリンからオーストリアの故郷を目指す。転居後は、家族と暮らす。しかし、村での生活は苦しかった。節約が重要で、食事と冬用の燃料以外は贅沢品である。夫が彼女を殴っても、彼女はそれを笑い飛ばした。
次第に彼女は、居場所がわかってきた。子供が大きくなるまで待つだけである。40歳を前にして三度目の堕胎。再度妊婦となるももはや堕胎はできない。貧しいけれども子供を出産する。妊娠や堕胎そして出産ももちろん気分障害の発症の原因といえる。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
オーストリア南部のケルテン州で兄弟姉妹とともに育ったマリアは、父に抑圧されていた。学校では才能を評価され、親切で協調性のある生徒であった。仕事を習得しようと思うも父に禁じられ、15年間実家を離れた。(Wikipedia)こうした家庭内の葛藤は、将来における気分障害の発症を予期させる。
彼女の最初の仕事は、皿洗い、部屋の掃除婦、会計係そしてホテルの調理師である。ナチス・ドイツのメンバーであった既婚のドイツ人と恋愛し妊婦になる。男の年齢は、母より上で頭が禿げており、母は黒髪で背が高く、歩くときは平たいサンダルを履いていた。
出産前にドイツ軍の下士官と結婚する。子供(ハントケ)を女手一つで育てるのは難しいかったためである。ベルリンにいる間にふっくらしていた頬はこけた。ロシア人とスロベニア語でやり取りをした。しかし、冒険は望まない。戦後は男と愛憎定まらぬ関係になる。大都市での生活は、可能性がなかった。異性関係や家族の問題が気分障害の病前性格に絡む精神的な問題になることもあり、将来のうつ病の引き金と読み取れる。
1948年の初夏、夫と二人の子供とビザなしでベルリンからオーストリアの故郷を目指す。転居後は、家族と暮らす。しかし、村での生活は苦しかった。節約が重要で、食事と冬用の燃料以外は贅沢品である。夫が彼女を殴っても、彼女はそれを笑い飛ばした。
次第に彼女は、居場所がわかってきた。子供が大きくなるまで待つだけである。40歳を前にして三度目の堕胎。再度妊婦となるももはや堕胎はできない。貧しいけれども子供を出産する。妊娠や堕胎そして出産ももちろん気分障害の発症の原因といえる。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える−実母のうつ病2
2 作品の背景
ペーター・ハントケは、1942年にギッフェンで生まれ、現在はパリ在住である。2019年のノーベル文学賞受賞作家である。当初は社会と隔たりがある個人を描き、次第に全体的に同意して書くようになっていく。
‟Wunschloses Unglück”(幸せではないが、もういい)は、1972年ザルツブルクのレジデンツ出版社から最初に出版された。
ヘルムート・シェッケルは、判決ではなく、母のための文学の記念碑でもなく、埋葬後、作者と読者が自由に呼吸できるような孤独なイメージでもなく、恐ろしく開いた傷についての描写だとフランクフルター・アルゲマイネ紙に書いている。
評論家の多くがこの作品をハントケの文体の転換期に位置づけている。(Wikipedia)ケルトナー紙の土曜日版に「混ぜこぜ」という見出しで、自殺の記事が掲載された。1971年11月19日に自殺した母マリアの人生を7週間経過した翌年の1月から半ば伝記風に描き、その年の2月に書き終えた。
埋葬の時は、とても強かった母に関する書きたいという欲望が無気力で暗黙の了解に変わってしまう前に、ハントケは、仕事をしたかった。自叙伝的な諸相を取り込み、自分の感情について語り、貧しい環境においても自立を試みた母の成長を描くために。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
ペーター・ハントケは、1942年にギッフェンで生まれ、現在はパリ在住である。2019年のノーベル文学賞受賞作家である。当初は社会と隔たりがある個人を描き、次第に全体的に同意して書くようになっていく。
‟Wunschloses Unglück”(幸せではないが、もういい)は、1972年ザルツブルクのレジデンツ出版社から最初に出版された。
ヘルムート・シェッケルは、判決ではなく、母のための文学の記念碑でもなく、埋葬後、作者と読者が自由に呼吸できるような孤独なイメージでもなく、恐ろしく開いた傷についての描写だとフランクフルター・アルゲマイネ紙に書いている。
評論家の多くがこの作品をハントケの文体の転換期に位置づけている。(Wikipedia)ケルトナー紙の土曜日版に「混ぜこぜ」という見出しで、自殺の記事が掲載された。1971年11月19日に自殺した母マリアの人生を7週間経過した翌年の1月から半ば伝記風に描き、その年の2月に書き終えた。
埋葬の時は、とても強かった母に関する書きたいという欲望が無気力で暗黙の了解に変わってしまう前に、ハントケは、仕事をしたかった。自叙伝的な諸相を取り込み、自分の感情について語り、貧しい環境においても自立を試みた母の成長を描くために。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える−実母のうつ病1
1 先行研究
文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。
執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。言語の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より
文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。
執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。言語の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。
花村嘉英(2020)「ペーター・ハントケの『幸せではないが、もういい』の執筆脳について」より