2017年01月23日
紙飛行機飛んでった
正月のやる気はどこへやら本日は日記となりました(°▽°)
さて紙飛行機とはなんのことやらですが、
luneの紙飛行機のおじいちゃんが亡くなりまして、
「俺の自叙伝をつくれ」というのが私への遺言でありましたので
忘れないうちに実行してしまおうと思いましてお付き合いくださいませ。
祖父は戦前に2人兄弟の次男として生まれました。
祖父の兄は特攻隊の予備部隊であった予科練習生であったため、
祖父はそれにあこがれて特攻隊のパイロットになるのが夢でした。
中学生になってからは学徒動員で豊田にある飛行機製作所へ
大好きな飛行機を作りに通いました。
年を取ってからも戦闘機を作りにいっていたことは
祖父の自慢であり、ハーモニカではいつも軍歌を吹きました。
戦争がよいわるいは置いておいて
とにかく飛行機やパイロットへのあこがれというのが祖父の少年時代そのものであったのです。
しかしそのまえに戦争は終結を迎えたために
祖父はパイロットにはなることはありませんでした。
祖父はとにかく手先が器用であったため
戦後、美容師になりました。
美容師は女性を美しくするという華やかな職業でもありました。
今でいうライジングカットというんでしょうか。
そういう神業的なことを自力でやり始めた祖父は
美容師としても優秀でしたので
美容師のショーや海外に研修に行ったり、
全国へ講習のために回ったりと
いまでいうカリスマ美容師的な感じであったと
脚色はあるかもしれませんがそう聞いておりました(°▽°;)
そんな手先が器用で美容師だった祖父が
晩年にのめり込んだのが競技用紙飛行機でした。
今もあるかもしれませんが、
「こどもの科学」という雑誌の最後に載っている
紙飛行機の型紙からつくる紙飛行機で
折り紙で折って作る紙飛行機とは違い、
いくつもパーツを切り出して張り合わせて作る紙飛行機で
精巧精密な紙飛行機は一度空に打ち上げたら
風に乗って何分も飛び続けるような紙飛行機でした。
その形はまさに戦闘機のようなかたちで
昔の戦闘機のような楕円系の翼のものから現代の三角翼のものまであり、
速く長く遠くへ
どこまでも飛び続ける紙飛行機を作ることは
祖父の少年時代のあこがれを満足させるものだったのでしょう。
華やかなものも好きでしたので、
紙飛行機にカラフルに色を塗ってモビールを作り
美容院のお客さんに配ったりもしていました。
そんな手先が器用でなんでもできるような
luneにとってはスーパーおじいちゃんだったのですが
右半身の麻痺を患ってからは
はさみを持つこともなにか作ることもできなくなってしまい
不自由な生活を送ることになっていきました。
しかしながら最期は自宅介護で
前の日も夕飯を食べてから
眠るように自宅で息を引き取られたということで
こんな死に方がしたいと言われるような
本当の大往生でありました。
戒名にも「飛翔」という文字を入れてもらい
紙飛行機になって本当にどこかに自由に飛んで行ってしまったことでしょう。
祖母や母など家族に言わせれば
もう破天荒でワンマンでとんでもないじいさんだったようですが
私はまごなのでわからなかった(*⁰▿⁰*)
ながながとお付き合いいただきありがとうございました(=人=)
さて紙飛行機とはなんのことやらですが、
luneの紙飛行機のおじいちゃんが亡くなりまして、
「俺の自叙伝をつくれ」というのが私への遺言でありましたので
忘れないうちに実行してしまおうと思いましてお付き合いくださいませ。
祖父は戦前に2人兄弟の次男として生まれました。
祖父の兄は特攻隊の予備部隊であった予科練習生であったため、
祖父はそれにあこがれて特攻隊のパイロットになるのが夢でした。
中学生になってからは学徒動員で豊田にある飛行機製作所へ
大好きな飛行機を作りに通いました。
年を取ってからも戦闘機を作りにいっていたことは
祖父の自慢であり、ハーモニカではいつも軍歌を吹きました。
戦争がよいわるいは置いておいて
とにかく飛行機やパイロットへのあこがれというのが祖父の少年時代そのものであったのです。
しかしそのまえに戦争は終結を迎えたために
祖父はパイロットにはなることはありませんでした。
祖父はとにかく手先が器用であったため
戦後、美容師になりました。
美容師は女性を美しくするという華やかな職業でもありました。
今でいうライジングカットというんでしょうか。
そういう神業的なことを自力でやり始めた祖父は
美容師としても優秀でしたので
美容師のショーや海外に研修に行ったり、
全国へ講習のために回ったりと
いまでいうカリスマ美容師的な感じであったと
脚色はあるかもしれませんがそう聞いておりました(°▽°;)
そんな手先が器用で美容師だった祖父が
晩年にのめり込んだのが競技用紙飛行機でした。
今もあるかもしれませんが、
「こどもの科学」という雑誌の最後に載っている
紙飛行機の型紙からつくる紙飛行機で
折り紙で折って作る紙飛行機とは違い、
いくつもパーツを切り出して張り合わせて作る紙飛行機で
精巧精密な紙飛行機は一度空に打ち上げたら
風に乗って何分も飛び続けるような紙飛行機でした。
その形はまさに戦闘機のようなかたちで
昔の戦闘機のような楕円系の翼のものから現代の三角翼のものまであり、
速く長く遠くへ
どこまでも飛び続ける紙飛行機を作ることは
祖父の少年時代のあこがれを満足させるものだったのでしょう。
華やかなものも好きでしたので、
紙飛行機にカラフルに色を塗ってモビールを作り
美容院のお客さんに配ったりもしていました。
そんな手先が器用でなんでもできるような
luneにとってはスーパーおじいちゃんだったのですが
右半身の麻痺を患ってからは
はさみを持つこともなにか作ることもできなくなってしまい
不自由な生活を送ることになっていきました。
しかしながら最期は自宅介護で
前の日も夕飯を食べてから
眠るように自宅で息を引き取られたということで
こんな死に方がしたいと言われるような
本当の大往生でありました。
戒名にも「飛翔」という文字を入れてもらい
紙飛行機になって本当にどこかに自由に飛んで行ってしまったことでしょう。
祖母や母など家族に言わせれば
もう破天荒でワンマンでとんでもないじいさんだったようですが
私はまごなのでわからなかった(*⁰▿⁰*)
ながながとお付き合いいただきありがとうございました(=人=)
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コメントありがとうございます。
私も祖父には一番可愛がってもらったので、大きくなるにつれてなかなか会いに行かなくなってしまったのですが、もっとこうしたら良かったんじゃないかとか後悔するけど、もう仕方ないし。。
自伝は自分でみずから描くのが自伝?なのかわからないけど、去年の夏に書いてほしいと言われた約束の自伝を今回は作成してみました(u_u)
読んでいただけてじいちゃんも喜んでおります(=人=)ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
正月も会いに行って、起き上がって一緒に写真撮ったりして、ご飯もよく食べるしお医者さんに健康そのものですって言われてたので、あれからたった20日で亡くなるとはとても思えず予想外でぽかーんとなってしまいました。
私は同居していたわけではないのであれですが、同居していた祖母や叔父家族のほうはやっぱり介護が大変だ大変だって言ってましたがいざ居なくなってしまうと、変化が大きいので心配ではあります(u_u)
戦争体験は鮮烈で、人生を左右する契機になることがままあることなのですね。
私の祖父が亡くなったときは、私が高校生の時で身近な人で初めてだったので
泣きまくったのを思い出しました。
でも、余り気を落とさないでくだいさいね。
おじいちゃんは、一生懸命生きて来られたのですから。
千の風になられた紙飛行機のおじいちゃんのご冥福をお祈りします。
残念なことでございましたね
スーパーなおじい様だったのですね
戦時中がおじい様の青春の一部だったのでしょうね
私の父が特攻でした
戦友や部下を何人も失ったそうですが
当時の事を懐かしそうに話す姿を見て
父の青春は戦場にあったのだと感じたことがありました
父や戦友の方々と話をしたときに
「話してもわからない」といって口をつぐんでしまう事があったので
青春といっても後の世代のそれとは違うとは思いますが
身近な存在を失うと いつの間にか生活のリズムがくるってしまい
疲れをため込むことがございます
くれぐれも体調を崩されませんように お気を付けくださいませ