祇園祭と聞いてすぐさま思うのは、真夏の暑さです。
なぜこんなに暑いさなかにと、調べていると、当時の疫病の流行を鎮めようと始まった、とあります。
「日本にあった国の数の66本の鉾をつくって、八坂神社から神泉苑にやってきて、境内にある池で鉾を清めて帰りました。その行列がまた鉾を持ち帰り、その行列が後に祇園御霊会(疫神怨霊を鎮める祭礼)となり」とあります。保立道久氏 『歴史の中の大地動乱』から。
この9世紀には、貞観地震、貞観津波、富士山噴火、東海・東南海地震、阿蘇山噴火が立て続けに起こっています。
『光る君へ』でも、疫病に苦しむ人たちを救うすべもなく、河原にうずくまる描写がありました。
この時から始まる「神仏習合」(本寺垂迹:ほんぢすいじゃく )こそ、日本人ならわかり合える文化、「どうかお救けください」の真摯な心が強くなっていったような気がします。
お祭りとはいえ、神の前には平伏するしかない人々の祈りが今も続いています。