同年8月9日 長崎に原爆投下。
1954年3月 アメリカ合衆国 ビキニ環礁で水爆実験 長崎の第5福竜丸が被爆。
1956年8月 日本被団協結成 核兵器廃絶と被爆者の救済を訴える活動を始める。
1982年 国連軍縮特別総会で被爆者の山口仙二さんが原爆被害者の実相を訴える「ノーモア広島、ノーモア長崎」
1996年 広島原爆ドームが世界遺産登録。
2003年 エノラ・ゲイが復元展示されると聞き、坪井さんはワシントンへ。
「自分がわからなくなるくらい」の憤りを覚える。その時、一人のアメリカ人が話しかけてきた。
「戦争で傷ついたのはアメリカ人も同じ」と。「アメリカ憎しを乗り越えないと」。
2005年 被団協ニューヨーク行動。
2009年4月 オバマ大統領「核なき世界を目指す」とプラハで演説 同年ノーベル平和賞受賞。
2010年5月 国連本部での核拡散防止条約会議で被爆者代表の谷口稜曄(すみてる)さんが演説。
2014年7月 エノラ・ゲイ乗組員 セオドア・バンカーク氏死す。
2016年 アメリカ合衆国オバマ大統領が広島を訪問 代表委員坪井直さんと握手。「被爆者の坪井直と申します。被爆者としては、そのこと(原爆投下)は人類の間違ったことの一つ。それを乗り越えて、我々は未来に行かにゃいけん。オバマさんがプラハで言った、『核兵器のない世界』、私たちも行きますよ」
2017年7月 国連は核兵器禁止条約を採択。
2017年3月 核兵器禁止条約制定交渉会議でNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のテアカトリンミエルスタッド氏は不参加のため空席だった日本の席に白い折り鶴1羽を置いた。折り鶴の翼には#wish you were here と書かれていた。
同年10月 ICAN ノーベル平和賞受賞
2019年10月 核兵器禁止条約の交渉会議を通じて各国に条約の採択をあと押し、最終的に1370万人余りの署名を国連に提出
2021年1月 核兵器禁止条約発効。2024年9月時点で、73カ国が批准、94か国が署名。日本は不参加、オランダは反対の立場をとっている。
ここで署名とは、「条約の内容について国家の代表者が合意すること」、批准とは「国家として条約を締結する意思を議会の承認を得て最終的に決定すること」。
2021年10月 坪井直さん死去。
2023年5月 広島市で主要7カ国首脳会議。各国首脳は原爆資料館を見学。
2024年8月 卓球の早田ひな選手が「生きていることは当たり前じゃない」と話し、鹿児島の特攻資料館に行きたいと発言しました。
2024年10月 日本被団協がノーベル平和賞を受賞。
NHKの「コネクト」では、「対話でつなぐ平和の種まき」と題して三登浩成さんの活動を特集。
日本人の一人として知っておかなければならないことと思い、振り返りました。どんな理由があろうとも、戦争だけはしてはいけないと。
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