【逆転裁判2】天野由利恵、悪女だった説。
※逆転裁判2のネタバレ注意!
逆転裁判2の真犯人と言えばオオトロこと王都楼真悟である。
彼は作中で露骨なまでに悪人としての印象が強い描写がなされている。
天野由利恵は昔は王都楼真悟のマネージャーだった。その頃の彼女は、とても幸せそうだったらしい。
しかし、彼女は王都楼真悟に遊ばれて、そして捨てられてしまったとされている。
その後、藤見野イサオと出会い婚約するまでに至った。
そして、婚約が解消された晩に自殺してしまった。
藤見野が婚約を解消した理由は王都楼が自分と天野由利恵の関係を明かしたからだという。
これが華宮霧緒の王都楼に対する復讐の動機である。
この話題で最も重要な描写は、やはり王都楼の私室に天野由利恵の写真が飾られていた事だろう。
彼が本当に遊びで彼女を捨てたならば、なぜ彼は未だに彼女の写真を部屋に飾っていたのだろうか。
彼は本当に作中で暴露された様な人格の人物だったのだろうか。
王都楼に天野由利恵の人物ファイルを突き付けても彼女に対してだけは悪態を吐かない。
天野由利恵は自殺の際に遺書を遺し、王都楼の仕打ちが詳しく書かれていたと華宮霧緒が語る。
しかし、その遺書は藤見野イサオによって偽造された物だった事が裁判で判明する。
本当の遺書には王都楼真悟の事は書かれていなかった様だ。
これらの事から王都楼は本当に天野由利恵を愛していたのではないかとする説がある。
これは筆者による根拠の乏しい個人的な仮説だが、
本当に遊ばれて捨てられてしまったのは実は天野由利恵ではなく王都楼真悟だったのではないだろうか。
彼女は王都楼真悟との関係が終わると、言い方は悪いが、すぐに藤見野イサオに乗り換えた。
どちらの相手も人気の俳優で、マネージャーとしての仕事の対象である。
もしかすると彼女が愛していたのは人物ではなく、相手の業界のスターとしての地位だったのではないか。
天野由利恵は華宮霧緒の先輩マネージャーとして、
彼女に仕事を一から叩き込んだ師匠の様な存在とされている。
一方で華宮霧緒は常に誰かの言う事を妄信してしまう病的な依存を抱えている。
かつて、その依存の対象が天野由利恵だったため、
彼女が自殺した際に、後追い自殺をしようとした程である。
華宮霧緒が天野由利恵に依存していたのは相手が人格者だったからかもしれない。
しかし本当の人格者が後追い自殺してしまう程の依存状態を放置して先に自殺してしまうものだろうか。
本当の人格者ならば依存という歪んだ状態から改善する様に試みるものではないだろうか。
むしろ、華宮霧緒の依存は、天野由利恵の虐待が原因だった可能性は無いだろうか。
華宮霧緒の自信に満ちた態度は天野由利恵に従って振る舞っている嘘の物らしい。
言ってしまっては悪いが、華宮霧緒の当初の態度は高圧的で印象の悪い物だった。
その態度の元が天野由利恵だったとすると、彼女の人格も怪しい物に思えてくる。
とは言え、王都楼真悟が写真を飾るほど想われ、華宮霧緒が仇討ちを考えるほど慕われていた点を考えると、
この悪女説などというものは非常に脆いものである。
人格や人間関係は多面的なものなので、
全てが真実でもなければ、全てが誤りという事でもないのかもしれない。
色んな要素の不幸な偶然が事件や事故を起こしてしまうのだと思う。
※逆転裁判3のネタバレ注意!
逆転裁判3では美柳ちなみという人物が登場する。シリーズでも最も怖れられている犯人の一人だ。
彼女も作中では基本的に専ら恐ろしい悪人として描写されているが、
幼いころから倉院流霊媒道に関する権力争いに巻き込まれ両親に愛されなかった等、
過酷な境遇を過ごしていた。
これらの様に、逆転裁判シリーズは真犯人を恐ろしい悪人として描写する一方で、
その様な性質とは別の一面を隠されたテーマとして盛り込んでいると思う。
しかし、大衆は受け入れ易い勧善懲悪やハッピーエンドを求めるものなので、
この様な個人的に考えさせられるテーマというものが注目されることは比較的に少ない。
※逆転検事2のネタバレ注意!
更に、逆転検事2では猿代草太という人物が登場する。
逆転シリーズの中でも特に衝撃的な犯人の一人である。
幼い頃に親友に監禁され、実の親に捨てられ、記憶障害を抱え、
権力者たちの犯罪の現場を目撃してしまい、口封じの為に生涯を通して追い回される等、
彼もまた過酷な境遇を過ごしており、従来の作品の中でも特に彼の境遇には焦点が当てられている。
物語の締め括りに主人公である御剣検事も彼の様な人物の境遇を問題視するなど、
盛り込まれたテーマが従来の作品に比べて分かり易くなっている。
猿代草太を捨てた実の父親である風見豊が物語の諸悪の根源と目される事が多いが、
彼でさえ、味覚障害でなければ、氷堂伊作や天海一誠が彼の味覚障害の治療に協力的だったらと思うと、
悲しい展開にはならなかったのだろうかと、やり切れない気持ちになる部分がある。
罪を憎んで人を憎まずという言葉もあるが、
人が犯罪に手を染めてしまう根本的な原因と向き合うべきだというメッセージを、
逆転シリーズを通して伝えようとしていたのではないだろうか。
ノブレス・オブリージュという言葉がある。
世界がどういうものかでは無く、どう在るべきかについて語らなければならないと、
あの藍染惣右介も述べていたが、
罪を許すか許さないかは別の話として、罪には理由や事情があるものである。
それらと、どう向き合うか、
そこまで考える事が出来る様になってこそ、人の精神は高貴だと言えるようになるのかもしれない。
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