常にライバル関係にあったランボルギーニとフェラーリ、最高速度300kmをどちらが先に、カタログに載せるかを競い合っていた。
そして、ランボルギーニの伝説が生まれる。
ランボルギーニの創業者フェルッチョ・ランボルギーニがトラクターの製造で成功を収めた頃、まだ自動車の製造は行っていなかった。
当時イタリアでは、事業に成功すると、フェラーリを買うというのがステイタスのようで、当然のようにランボルギーニもフェラーリを買い乗っていた。
その後、伝説のキッカケとなる事件が起きる。
フェラーリに乗っていると、どうも気に入らないところあり、改良をして欲しいとフェラーリに直接会いに行ったランボルギーニは、どこぞの田舎物とは会えないと、フェラーリから追い返されてしまう。そこで怒ったランボルギーニは、いっちょフェラーリを凌ぐスーパーカーを自分で創ってやる!ということで、ランボルギーニはフェラーリを目の敵のように、対抗したクルマを創り続けた。
というのが、伝説である。
が、真実は違った。
ランボルギーニがフェラーリに乗っている頃、自社のトラクター工場で、愛車のフェラーリを整備させていた。
そして、フェラーリに使用されている部品とトラクターに使用されている部品が同じ事に気づいた。
それは、クラッチだった。
価格を調べてみると、なんとフェラーリは約3倍の値段を取っていた。
そこで、ランボルギーニは「ピンッ」とくる。
ランボルギーニはフェラーリのようなスーパーカーを創れば「絶対に儲かる!」
とランボルギーニは思った。
ハートに火が点いた瞬間だった。
それからというもの、ランボルギーニはフェラーリを執拗に追いかけ回し、競い合うクルマを創り続けた。
というのが、真実である。
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