2008年09月20日 | Posted by 公 at 17:50 | 靖国 | この記事のURL |
日下公人語録7
靖国神社の遊就館(略)の歴史記述をめぐってアメリカの議会や政府関係者から"懸念"が表明されると、「未熟な反米史観を正せ」というような意見がすぐさま日本国内の親米派から出てくる。言うまでもなく、アメリカ合衆国は先の大戦において日本が戦った相手である。靖国神社に祀られている英霊の多くは、アメリカを敵として戦い斃れた人たちであり、その慰霊は、そのまま先の戦争における日本の大義をわが国の歴史の大きな一章として確認する行為ともなる。 そもそも靖国問題で議論すべきは、いわゆるA級戦犯の扱いなどではない。中国や韓国、旧敵国であるアメリカや国内左派への"配慮"なのか、靖国神社を「図らずも犠牲となった人々を慰霊」し、「平和を祈念する施設」と言う人がいるが(略)、このような欺瞞はやめるべきである。 靖国神社は国の危機に臨んで命を投げ出した人々を慰霊するとともに、顕彰し、国と民族の永続のために日本人は戦う意志があるということを示す神社である。そうした性格を持つがゆえに、中国や韓国はそこに日本人の独立の意志を感じとって、総理の靖国参拝に執拗なる"抗議"を繰り返す。またそうであるがゆえに、総理は日本の国防のために堂々と参拝をしなければならない。
アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ―「わが国」の未来を歴史から考える
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