2016年03月17日
「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」を27年の時を超えて見た感想 その2
「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」を見た感想として、「面白かった!」ということは前回書いたとおりです。
今回は前回書ききれなかった幾つかの「映画を見ていて考えさせられたこと」「ちょっと気になったこと」というのを、決して批判するのではなく、面白がるというスタンスで愛を込めながら書いてみたいと思います。
序盤、のび太は母親に怒られたことに腹を立てて「家出をする!」とドラえもんに宣言しました。この時にドラえもんに言ったことは、確か次のようなことだったと思いますが、とても立派な内容でした。
「ドラえもん、僕は家出をして一人で生活する。
誰にも頼らずに独り立ちするんだ。誰にも頼らないということは、衣・食・住を全部自分で用意するということ。誰にも文句を言われない生活を送るんだ!」
のび太、なかなか考えてるじゃん!
と素直に驚きました。まるで一身独立して国家独立すると言った福沢諭吉のような台詞に、一瞬でしたが「のび太カッコイイ」と感心してしまいました。
そう、一瞬でした。
なぜならこのあとに、
「だからドラえもん、道具貸して」
と、いきなりドラえもんに頼る姿勢を見せたからです。
それもただ頼るだけでなく、ドラえもんの「ひみつ道具」というチート手法によっていかに楽をして目的を達成するかという、とことん堕落しきった姿勢なのです。
おいおいのび太、さっきの格好良さはどこへ行ったんだよ!とツッコミまくりです。
といってものび太だけでは無いんですよね。
ジャイアンだって、スネオだって、しずかちゃんだって、この映画の中では結局ドラえもん頼りなんです。例えば皆で家出して古代に行ってしまう訳ですが、そこに行くための手段も「ひみつ道具」ですし、古代でも「ひみつ道具」に頼りきりで「快適で楽な生活」を満喫していました。
家出した先で食事がかつ丼やらカツカレーやら・・・
こいつらどんだけ世の中舐めてるんだ
とついつい思ってしまいます。
でも彼らは悪くありません。だってドラえもんがいるんですから。ドラえもんがいるのに、わざわざ本当のサバイバルに挑む必要性なんて何処にもありません。
でも大人になった今の自分はそんな彼らを見ていて考えてしまいます。
自分たちの力で道を切り拓いたような気になっていても、それは自分以外の誰かの力で用意してもらった環境の中で生かされているに過ぎないってことなんだよ、と。
そのことに気付かないのび太は、やっぱり子どもなんだなと、当たり前のことを改めて納得してしまいました。
そして自分が年を取ったんだなということをしみじみと感じました。
こんなことは27年前は考えなかったものな、と。
のび太はドラえもんのひみつ道具で3匹の動物を生み出します。
ペガサス、ドラゴン、グリフォンという空想の生き物をモデルにした動物です。彼らはのび太を親と慕い、可愛いさを振りまきながら、映画の中でも大活躍をするという重要な存在となります。
のび太がどうやって彼らを生み出したか?というと、動物のアンプル(素材?)を卵型の培養ケースの中に入れることによって生み出しました。
本当は、一つのケースに一つの動物アンプルを入れるという道具で、単純に馬だったり、犬だったりというペットを生み出す道具のはずだったんです。
でものび太は、一つのケースに複数の動物アンプルを投入するというよくよく考えればとても恐ろしい行動に出ます。
生物のキメラを作る行動に他なりません。
遺伝子組み換え動物の作製です。
先生!
この作品の生命倫理は一体どうなっているんでしょうか!?
いやあ、物事をあまり真面目に考えては物語が楽しめないという、典型的なエピソードですね。いいんです。架空の話なんだから。
劇中、ドラえもんは一度ギガゾンビに敗れます。
負けた原因は、ドラえもんが22世紀からやってきたネコ型ロボットだったのに対し、ギガゾンビは23世紀からやってきた博士だったからということでした。
「1世紀分、負けた」
というのがドラえもんの負け台詞。
しかしそんなギガゾンビも最後はドラえもん達に敗れ、さらに駆けつけたタイムパトロールに逮捕されてしまいます。
タイムパトロールというのは、時代の流れを変えようとする「時空犯(だったかな?)」というのを取り締まる警察みたいなものとのこと。
そうですよね。タイムマシンが普通に使用される未来においては、やっぱりそういう組織が必要になりますよね。
でもよく考えたら、このタイムパトロール、一体何世紀からやってきたんだろう?と疑問が生じます。
ドラえもんは1世紀分先を行くギガゾンビに一度は完膚なきまでに負けました。ギガゾンビは僕達が凄い道具だと愛してやまない「ひみつ道具」を「化石みたいな道具」と言い捨ててしまいます。
だとしたら、例えタイムパトロールを組織化したとしても、その1世紀先の未来からやってきた時空犯には手も足も出ないという事にならないでしょうか?タイムパトロールはその時代では国家権力によりおそらく最高の装備を与えられることになるでしょう。しかし1世紀先の未来からやってきた時空犯にとっては「化石みたいな装備」でしか無いわけで、そうなるとおそらく手も足も出ない、ということになります。
でも大丈夫。
またその先の未来からやってきたタイムパトロールがその時空犯を取り締まってくれますから。
しかしそんなタイムパトロールも、更にその先の未来からやってきた時空犯には手も足も出ません。
でも大丈夫。またその先の未来からやってきたタイムパトロールが・・・
という事象が延々と繰り返されることになりますよね。
そうすると、数学的極限から言えば、タイムパトロールは無限の未来からやって来なければ時空犯には対抗できないという事になってしまいます。
ということを考えだしたら夜も眠れなくなりそうです。
タイムパトロールは恐るべき謎を秘めています。
ところで一つ気になったのは、なぜタイムパトロールはギガゾンビを逮捕しても、ドラえもんは逮捕しなかったのだろうか、という事です。
なぜならドラえもんは、ひみつ道具という未来のアイテムを使って、その時代には日本にまだ存在しなかった「ヒカリ族」という人類を移住させたという、明らかな歴史改変を行ったからです。
ドラえもん的には、
「こうやって日本という国のはじまりがつくられたんだよ!」
という事でハッピーエンドなんでしょうけれど、それはあまりにも身勝手な理屈です。
ちなみにそのドラえもん、ヒカリ族が移住先で村を作る際には、一切ひみつ道具での手助けはしません。「この時代にはない道具だから」と、満面の笑みで諭すように解説するドラえもんの姿が強烈に滑稽です。
あんた、ここにどうやってそのヒカリ族を連れてきたんだよ。
でもドラえもんがあまりニコニコしているからでしょうか。それともドラミちゃんに何か袖の下でも貰ったからでしょうか。
タイムパトロールはお目こぼしで、一切そんなドラえもんを咎めません。
タイムパトロールにはもっとしっかりした業務の遂行をしてもらうよう、また、そのために明確な基準を持ってもらうよう、苦情を届けたいと思います(笑)。
というわけで何だかんだ書きましたが、これだけ書きたくなるのは、やっぱりドラえもんが面白いからです。
私たちに夢や希望、ツッコミどころ、子どもの身勝手さなど、色々なものを提供してくれるドラえもんに感謝して、作者の藤子・F・不二子さん、映画の監督・スタッフさんに敬意を表したいと思います。
ありがとうございました!
今回は前回書ききれなかった幾つかの「映画を見ていて考えさせられたこと」「ちょっと気になったこと」というのを、決して批判するのではなく、面白がるというスタンスで愛を込めながら書いてみたいと思います。
のび太の子どもっぽさで気付く、自分が大人になった現実
序盤、のび太は母親に怒られたことに腹を立てて「家出をする!」とドラえもんに宣言しました。この時にドラえもんに言ったことは、確か次のようなことだったと思いますが、とても立派な内容でした。
「ドラえもん、僕は家出をして一人で生活する。
誰にも頼らずに独り立ちするんだ。誰にも頼らないということは、衣・食・住を全部自分で用意するということ。誰にも文句を言われない生活を送るんだ!」
のび太、なかなか考えてるじゃん!
と素直に驚きました。まるで一身独立して国家独立すると言った福沢諭吉のような台詞に、一瞬でしたが「のび太カッコイイ」と感心してしまいました。
そう、一瞬でした。
なぜならこのあとに、
「だからドラえもん、道具貸して」
と、いきなりドラえもんに頼る姿勢を見せたからです。
それもただ頼るだけでなく、ドラえもんの「ひみつ道具」というチート手法によっていかに楽をして目的を達成するかという、とことん堕落しきった姿勢なのです。
おいおいのび太、さっきの格好良さはどこへ行ったんだよ!とツッコミまくりです。
といってものび太だけでは無いんですよね。
ジャイアンだって、スネオだって、しずかちゃんだって、この映画の中では結局ドラえもん頼りなんです。例えば皆で家出して古代に行ってしまう訳ですが、そこに行くための手段も「ひみつ道具」ですし、古代でも「ひみつ道具」に頼りきりで「快適で楽な生活」を満喫していました。
家出した先で食事がかつ丼やらカツカレーやら・・・
こいつらどんだけ世の中舐めてるんだ
とついつい思ってしまいます。
でも彼らは悪くありません。だってドラえもんがいるんですから。ドラえもんがいるのに、わざわざ本当のサバイバルに挑む必要性なんて何処にもありません。
でも大人になった今の自分はそんな彼らを見ていて考えてしまいます。
自分たちの力で道を切り拓いたような気になっていても、それは自分以外の誰かの力で用意してもらった環境の中で生かされているに過ぎないってことなんだよ、と。
そのことに気付かないのび太は、やっぱり子どもなんだなと、当たり前のことを改めて納得してしまいました。
そして自分が年を取ったんだなということをしみじみと感じました。
こんなことは27年前は考えなかったものな、と。
のび太が創りだした動物たちについて
のび太はドラえもんのひみつ道具で3匹の動物を生み出します。
ペガサス、ドラゴン、グリフォンという空想の生き物をモデルにした動物です。彼らはのび太を親と慕い、可愛いさを振りまきながら、映画の中でも大活躍をするという重要な存在となります。
のび太がどうやって彼らを生み出したか?というと、動物のアンプル(素材?)を卵型の培養ケースの中に入れることによって生み出しました。
本当は、一つのケースに一つの動物アンプルを入れるという道具で、単純に馬だったり、犬だったりというペットを生み出す道具のはずだったんです。
でものび太は、一つのケースに複数の動物アンプルを投入するというよくよく考えればとても恐ろしい行動に出ます。
生物のキメラを作る行動に他なりません。
遺伝子組み換え動物の作製です。
先生!
この作品の生命倫理は一体どうなっているんでしょうか!?
いやあ、物事をあまり真面目に考えては物語が楽しめないという、典型的なエピソードですね。いいんです。架空の話なんだから。
タイムパトロールについて考えてみると・・・
劇中、ドラえもんは一度ギガゾンビに敗れます。
負けた原因は、ドラえもんが22世紀からやってきたネコ型ロボットだったのに対し、ギガゾンビは23世紀からやってきた博士だったからということでした。
「1世紀分、負けた」
というのがドラえもんの負け台詞。
しかしそんなギガゾンビも最後はドラえもん達に敗れ、さらに駆けつけたタイムパトロールに逮捕されてしまいます。
タイムパトロールというのは、時代の流れを変えようとする「時空犯(だったかな?)」というのを取り締まる警察みたいなものとのこと。
そうですよね。タイムマシンが普通に使用される未来においては、やっぱりそういう組織が必要になりますよね。
でもよく考えたら、このタイムパトロール、一体何世紀からやってきたんだろう?と疑問が生じます。
ドラえもんは1世紀分先を行くギガゾンビに一度は完膚なきまでに負けました。ギガゾンビは僕達が凄い道具だと愛してやまない「ひみつ道具」を「化石みたいな道具」と言い捨ててしまいます。
だとしたら、例えタイムパトロールを組織化したとしても、その1世紀先の未来からやってきた時空犯には手も足も出ないという事にならないでしょうか?タイムパトロールはその時代では国家権力によりおそらく最高の装備を与えられることになるでしょう。しかし1世紀先の未来からやってきた時空犯にとっては「化石みたいな装備」でしか無いわけで、そうなるとおそらく手も足も出ない、ということになります。
でも大丈夫。
またその先の未来からやってきたタイムパトロールがその時空犯を取り締まってくれますから。
しかしそんなタイムパトロールも、更にその先の未来からやってきた時空犯には手も足も出ません。
でも大丈夫。またその先の未来からやってきたタイムパトロールが・・・
という事象が延々と繰り返されることになりますよね。
そうすると、数学的極限から言えば、タイムパトロールは無限の未来からやって来なければ時空犯には対抗できないという事になってしまいます。
ということを考えだしたら夜も眠れなくなりそうです。
タイムパトロールは恐るべき謎を秘めています。
ところで一つ気になったのは、なぜタイムパトロールはギガゾンビを逮捕しても、ドラえもんは逮捕しなかったのだろうか、という事です。
なぜならドラえもんは、ひみつ道具という未来のアイテムを使って、その時代には日本にまだ存在しなかった「ヒカリ族」という人類を移住させたという、明らかな歴史改変を行ったからです。
ドラえもん的には、
「こうやって日本という国のはじまりがつくられたんだよ!」
という事でハッピーエンドなんでしょうけれど、それはあまりにも身勝手な理屈です。
ちなみにそのドラえもん、ヒカリ族が移住先で村を作る際には、一切ひみつ道具での手助けはしません。「この時代にはない道具だから」と、満面の笑みで諭すように解説するドラえもんの姿が強烈に滑稽です。
あんた、ここにどうやってそのヒカリ族を連れてきたんだよ。
でもドラえもんがあまりニコニコしているからでしょうか。それともドラミちゃんに何か袖の下でも貰ったからでしょうか。
タイムパトロールはお目こぼしで、一切そんなドラえもんを咎めません。
タイムパトロールにはもっとしっかりした業務の遂行をしてもらうよう、また、そのために明確な基準を持ってもらうよう、苦情を届けたいと思います(笑)。
それでもドラえもんは面白い
というわけで何だかんだ書きましたが、これだけ書きたくなるのは、やっぱりドラえもんが面白いからです。
私たちに夢や希望、ツッコミどころ、子どもの身勝手さなど、色々なものを提供してくれるドラえもんに感謝して、作者の藤子・F・不二子さん、映画の監督・スタッフさんに敬意を表したいと思います。
ありがとうございました!
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