2023年05月21日
タイムスリップ! 「平安ガールフレンズ」 酒井順子
著者の本はいつも視点と切り口に
才があり楽しませてもらって
きたが、この平安時代の作家たちを
とりあげたエッセイも面白い。
1000年以上も前の女性たちを
まるで友達のように生き生きと描き出す。
少しひくと、
自分が美人でなかったからこそ、
不細工を嫌い、自分が一流のお嬢様でなかった
からこそ、下衆女を嫌う清少納言。
そんな彼女は、今の世の中の基準からすれば、
善人ではないのかもしれません。
しかし私は、だからこそ彼女が好きなのです。
「枕草紙」は、清少納言のリア充アピールの
舞台。自身の知性やウィット、そして
モテっぷりを披露し、「いいね!」と言って
もらえることに彼女は無上の快感を見出している。
そしてそんなリア充アピールが激しい清少納言を
イライラしながら見ている女性が平安貴族の中に
一人いて、それが紫式部です。
……ですって。さらに著者は「紫式部日記」をひいて
教えてくれます。
「清少納言こそ、したり顔にいみじう待べりける人。
さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、
よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」
「さかしだつ」とは「賢しだつ」だから、
清少納言こそ、賢そうに物知りぶる女よね。
真名(漢字)を書き散らしているようだけど、
よく見れば全然なってないじゃないの、と怒り、
さらに「こういう人のなれの果ては、ろくなことに
ならない」とまで書いている。
酒井さん曰く、紫式部がここまでむかついている
のは、清少納言の”含羞の無さ”。
紫式部は清少納言より少し年下、だから「枕草紙」も
読んでいた。
清少納言のモテ自慢などは、どちらかという
内にこもるタイプの紫式部は我慢ならなかった
んだろう。
けれど紫式部も、自分の文才をアピールするために
父から「お前が男だったら」と言われたと
日記に書く。
でも人前では、私は漢字の「一」さえ書けない
不調法で謙虚にふるまう。’
二人を比べ著者の見事な視点が光る極めつけの
文章がこちら。
溜めがきかないタイプの清少納言は、自らが体験した
こと、感じたことをそのまま、紙の上にあらわし
ました。
それが後年、「随筆」と言われるジャンルと
なったのです。
対して紫式部は、様々な思いをいったん胸の中に
溜め、熟成・発酵させ、それを物語として
紡いでいった。
このエッセイでは他、藤原道綱母、菅原孝漂女、
和泉式部も取り上げている。
どれも面白いのでよかった読んでみてください。
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