2009年11月21日
卑弥呼の謎
卑弥呼の謎
歴史書に卑弥呼と書くのは間違い。 正しくは”日の御子である。
卑弥呼とは、古事記に書いて書いてあるように、日の御子(つまり、天皇の古い呼び名)のことで、「ひのみこ」を中国人読みをして→「ひみこ」→中国独特の蔑称漢字を宛てて→卑弥呼とした、日の御子が正しい。日本歴史の第一人者である本居宣長が魏志倭人伝を見て怒り、卑弥呼は日の御子ではない、九州のどこかの豪族であると言ったため邪馬台国の九州説が生まれたが、本居宣長の言葉尻でなく本心を読みとらなければならない。
古代人は現代人より頭が良いかもしれない。
農耕文化が始まった時、10人の食糧が7人で生産出来るようになった。3人が失業という大不況が生まれ、人間は集合して国を作り、農民は生産の30%を国に納め、国はそれを失業対策事業としてピラミッドや万里の長城や古墳を作った。王は金持ちから税を取り失業者に仕事と金を与えたと解釈すべきで、現在の不況対策に劣らない。新規事業も育成したから鉄器や織物が出来た、住居も改善された。
中央集権が成立したときは史跡が出来る。
中央集権が出来れば、中央に税金が集まる。中央配下の軍隊もできる。日本では法隆寺が最古の遺跡であるから、飛鳥時代が確固たる中央集権の成立である。日本軍(防人)もそのころ始まった。古墳時代は大和の国のものが大きいが、安い税金か寄進程度のもが集まったと思われる。日の御子は日本の王というより、ローマ法王に近い存在で寄進の額は少ないが権威があり、日本に一人だけであった。
日の御子が即位したのは2000年前。
2000年前から古墳時代が始まった。各地でその頃からの古墳が発見されることは、”くに”という地域集合体が完成し、失業対策として古墳築造が必要になったことが考えられる。その頃”くに”の長の仕事は神のお告げを聞き(精神統一をして判断し)法令発布、裁判長、警察長官、豊作祈願、を務めたので{神の御子、略して御子}と呼ばれたと仮定すれば、全国を代表する御子を(日の御子)と呼ぶのが納得できる。
大陸の歴史で日本の歩みを推定すると大間違いする。
1500年以前の世界の歴史は、エジプト、中近東、ギリシャローマ、インド、中国にしか資料がないので、学者たちはこれを研究する、強引に日本に当てはめれば大きな誤りを冒す。第一に国の意味が違う、日本の”くに”と大陸の”国”とは意味が違う。くにの境は中心から歩いて10里(40KM)以内で山の分水嶺の所を境とする。”くに”は弥生時代から明治時代まで2000年も続いている。日本は全国というように“くに”の集合体である。大陸の国とは同一支配権の及ぶ範囲のことであり全く意味が違う。
歴史書に卑弥呼と書くのは間違い。 正しくは”日の御子である。
卑弥呼とは、古事記に書いて書いてあるように、日の御子(つまり、天皇の古い呼び名)のことで、「ひのみこ」を中国人読みをして→「ひみこ」→中国独特の蔑称漢字を宛てて→卑弥呼とした、日の御子が正しい。日本歴史の第一人者である本居宣長が魏志倭人伝を見て怒り、卑弥呼は日の御子ではない、九州のどこかの豪族であると言ったため邪馬台国の九州説が生まれたが、本居宣長の言葉尻でなく本心を読みとらなければならない。
古代人は現代人より頭が良いかもしれない。
農耕文化が始まった時、10人の食糧が7人で生産出来るようになった。3人が失業という大不況が生まれ、人間は集合して国を作り、農民は生産の30%を国に納め、国はそれを失業対策事業としてピラミッドや万里の長城や古墳を作った。王は金持ちから税を取り失業者に仕事と金を与えたと解釈すべきで、現在の不況対策に劣らない。新規事業も育成したから鉄器や織物が出来た、住居も改善された。
中央集権が成立したときは史跡が出来る。
中央集権が出来れば、中央に税金が集まる。中央配下の軍隊もできる。日本では法隆寺が最古の遺跡であるから、飛鳥時代が確固たる中央集権の成立である。日本軍(防人)もそのころ始まった。古墳時代は大和の国のものが大きいが、安い税金か寄進程度のもが集まったと思われる。日の御子は日本の王というより、ローマ法王に近い存在で寄進の額は少ないが権威があり、日本に一人だけであった。
日の御子が即位したのは2000年前。
2000年前から古墳時代が始まった。各地でその頃からの古墳が発見されることは、”くに”という地域集合体が完成し、失業対策として古墳築造が必要になったことが考えられる。その頃”くに”の長の仕事は神のお告げを聞き(精神統一をして判断し)法令発布、裁判長、警察長官、豊作祈願、を務めたので{神の御子、略して御子}と呼ばれたと仮定すれば、全国を代表する御子を(日の御子)と呼ぶのが納得できる。
大陸の歴史で日本の歩みを推定すると大間違いする。
1500年以前の世界の歴史は、エジプト、中近東、ギリシャローマ、インド、中国にしか資料がないので、学者たちはこれを研究する、強引に日本に当てはめれば大きな誤りを冒す。第一に国の意味が違う、日本の”くに”と大陸の”国”とは意味が違う。くにの境は中心から歩いて10里(40KM)以内で山の分水嶺の所を境とする。”くに”は弥生時代から明治時代まで2000年も続いている。日本は全国というように“くに”の集合体である。大陸の国とは同一支配権の及ぶ範囲のことであり全く意味が違う。
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