2009年11月08日
2012年人類滅亡説
2012年人類滅亡説(2012ねんじんるいめつぼうせつ)とは、マヤ文明において用いられていた暦の一つ長期暦が2012年12月21日〜23日頃に一つの区切りを迎える[1]とされることから連想された終末論の一つ。
21世紀初頭のオカルト雑誌や予言関連書などで1999年のノストラダムスの大予言に続く終末論として採り上げられているが、懐疑的な論者は、マヤ暦の周期性は人類滅亡を想定したものではないと反論をしている[2]。学術的にも、マヤ人の宗教観や未来観を知る上で意味があるとしても、それが現実に対応するものとは考えられていない
マヤ文明では歴史は繰り返すという観念があり、異なる周期を持つ複数の暦が用いられていた。また、暦のなかには、一つの周期の終わりが滅亡に結び付くと考えられていたものもあったらしく、マヤ文明衰退の一因に、こうした終末観の影響を挙げる者もいる[4]。ただし、衰退要因としては有力視されなくなってきているとも指摘されている[5]。
マヤ文明で用いられていた暦の一つ、主に碑文などで用いられていた長期暦はある起点日からの日数で表わされており、その周期は13バクトゥン(187万2千日)であった。長期暦のグレゴリオ暦への換算は、様々な計算法が確立されているが、現在有力視されているのはGMT対照法である。
ニューエイジ思想などにおいてマヤの暦と2012年を結び付けることは、ホゼ・ アグエイアス(英:José Argüelles)の著書『マヤンファクター』によって、2012年12月21日に「新しい太陽の時代」が始まるとされたことで広まった[6]。エイドリアン・ギルバートの著書『マヤの予言』の影響の強さを指摘する者もいる[7]。日本では特に1999年の恐怖の大王に関連したブームの後に、次の終末論としてオカルト関係者がさかんにとりあげる題材になっている[8]。
このテーマを広く知らしめる上で大きな影響力を持ったホゼ・アグエイアスは、様々な批判にさらされたが、自身の仮説が考古学におけるマヤと関係のない旨を『マヤンファクター』の序文に記している。その上で、自分の説は「銀河のマヤ」のものだと主張している
マヤ文明の神話
マヤの神話はディエゴ・デ・ランダの焚書の影響などにより、現存する資料が少ない[10]。しかしながら、現在残されている『ポポル・ヴフ』などからは、マヤの世界観が破滅と再生の周期を持っていたとされている(ただし、この説に否定的な論説も存在する)。
その世界観では、現在の世界は第5の時代にあたっており、先行していた4つの世界はいずれも何らかの要因で滅んだとされている(それぞれがどのような要因で滅んだかは、資料によって違いがある)[11]。それらの世界の周期は各13バクトゥンとされていた[12]。こうした世界観はメソアメリカでは典型的なもので、アステカ人の神話にも見られる[13]。アステカやトルテカの神話・宗教観との類似性については、マヤが影響を及ぼしたのか、それらが古典期のマヤの宗教観に上書きされたものなのか、諸説ある[14]。
長期暦の現サイクルの始点である紀元前3114年には、世界はおろかメソアメリカ限定ですら、何らかの大規模な天災地変の痕跡を見出すことはできないため、この年代は歴史的な理由というよりも神話上の起源として想定されたものであると考えられている[15]。この始点を設定したのは紀元前3、4世紀ごろの神官たちであったと推測する者もいる[16]。
なお、『チラム・バラムの書』には中世ヨーロッパでのペスト流行、ナポレオン・ボナパルトの登場、第2次世界大戦など、世界史上の大事件が予言されていたと主張するオカルト関係者もいる[17]。これについては、具体的な年代指定に欠ける文言を事後的にこじつけているだけに過ぎないとする懐疑的な反論があり[18]、学術的にもそのような読み方は支持されていない
他の事柄との関連
この年の5月20日に最大規模と呼ばれる金環食が起こり、この時太陽、地球、月、さらにこれに加えプレアデス星団までが正確に地球と一直線に並ぶという天文学的に稀な現象が発生すると主張する者もおり、その日が12月22日の滅亡に向かう契機と解釈するものもいる[20]。また、フォトンベルトと関連付けるものもいる。
ほかに太陽活動の極大期が2012年頃に当たっており、太陽嵐が発生する可能性があることから、エイドリアン・ギルバートのように、これと関連付ける論者もいる。だが、これについては1957年にほぼ同程度の活動があった時も、特に人類滅亡には繋がらなかったとする反論が寄せられている[21]。それに対して、地球の磁気圏で見つかった巨大な穴[22]により、今回は大きな被害に結びつくと指摘するものもいる[23]。
また、1999年に向けたブームがそうであったように、年代の明記されていない予言を2012年と結び付けようとする者たちもいる。例えば、ホピ族は独特の予言体系をもっていることで知られるが、終末論的な伝承を2012年と結び付けようとする動きがホピ族の一部にもあるという。しかしながら、こうした結び付け方については、オカルト雑誌『ムー』の記事においてさえ、否定的な見解が示された[24]。ほかに、聖書、クルアーン、ミドラーシュ、易経[25]などと関連付ける論者もいるようである。
なお、21世紀に予言者を自称する者には、人類の8割が滅亡する時期を2043年におくジュセリーノ・ダ・ルース[26]、2012年に特に言及のないまま西暦3000年までの予言をしているジョー・マクモニーグル[27]のように、2012年に人類が滅亡するという立場と一致しない予言をする者もいる。また、自称「未来人」のジョン・タイターは2036年から来たと主張していたが、彼によれば2015年に米ロをはじめとする主要国の核戦争が起こったという[
21世紀初頭のオカルト雑誌や予言関連書などで1999年のノストラダムスの大予言に続く終末論として採り上げられているが、懐疑的な論者は、マヤ暦の周期性は人類滅亡を想定したものではないと反論をしている[2]。学術的にも、マヤ人の宗教観や未来観を知る上で意味があるとしても、それが現実に対応するものとは考えられていない
マヤ文明では歴史は繰り返すという観念があり、異なる周期を持つ複数の暦が用いられていた。また、暦のなかには、一つの周期の終わりが滅亡に結び付くと考えられていたものもあったらしく、マヤ文明衰退の一因に、こうした終末観の影響を挙げる者もいる[4]。ただし、衰退要因としては有力視されなくなってきているとも指摘されている[5]。
マヤ文明で用いられていた暦の一つ、主に碑文などで用いられていた長期暦はある起点日からの日数で表わされており、その周期は13バクトゥン(187万2千日)であった。長期暦のグレゴリオ暦への換算は、様々な計算法が確立されているが、現在有力視されているのはGMT対照法である。
ニューエイジ思想などにおいてマヤの暦と2012年を結び付けることは、ホゼ・ アグエイアス(英:José Argüelles)の著書『マヤンファクター』によって、2012年12月21日に「新しい太陽の時代」が始まるとされたことで広まった[6]。エイドリアン・ギルバートの著書『マヤの予言』の影響の強さを指摘する者もいる[7]。日本では特に1999年の恐怖の大王に関連したブームの後に、次の終末論としてオカルト関係者がさかんにとりあげる題材になっている[8]。
このテーマを広く知らしめる上で大きな影響力を持ったホゼ・アグエイアスは、様々な批判にさらされたが、自身の仮説が考古学におけるマヤと関係のない旨を『マヤンファクター』の序文に記している。その上で、自分の説は「銀河のマヤ」のものだと主張している
マヤ文明の神話
マヤの神話はディエゴ・デ・ランダの焚書の影響などにより、現存する資料が少ない[10]。しかしながら、現在残されている『ポポル・ヴフ』などからは、マヤの世界観が破滅と再生の周期を持っていたとされている(ただし、この説に否定的な論説も存在する)。
その世界観では、現在の世界は第5の時代にあたっており、先行していた4つの世界はいずれも何らかの要因で滅んだとされている(それぞれがどのような要因で滅んだかは、資料によって違いがある)[11]。それらの世界の周期は各13バクトゥンとされていた[12]。こうした世界観はメソアメリカでは典型的なもので、アステカ人の神話にも見られる[13]。アステカやトルテカの神話・宗教観との類似性については、マヤが影響を及ぼしたのか、それらが古典期のマヤの宗教観に上書きされたものなのか、諸説ある[14]。
長期暦の現サイクルの始点である紀元前3114年には、世界はおろかメソアメリカ限定ですら、何らかの大規模な天災地変の痕跡を見出すことはできないため、この年代は歴史的な理由というよりも神話上の起源として想定されたものであると考えられている[15]。この始点を設定したのは紀元前3、4世紀ごろの神官たちであったと推測する者もいる[16]。
なお、『チラム・バラムの書』には中世ヨーロッパでのペスト流行、ナポレオン・ボナパルトの登場、第2次世界大戦など、世界史上の大事件が予言されていたと主張するオカルト関係者もいる[17]。これについては、具体的な年代指定に欠ける文言を事後的にこじつけているだけに過ぎないとする懐疑的な反論があり[18]、学術的にもそのような読み方は支持されていない
他の事柄との関連
この年の5月20日に最大規模と呼ばれる金環食が起こり、この時太陽、地球、月、さらにこれに加えプレアデス星団までが正確に地球と一直線に並ぶという天文学的に稀な現象が発生すると主張する者もおり、その日が12月22日の滅亡に向かう契機と解釈するものもいる[20]。また、フォトンベルトと関連付けるものもいる。
ほかに太陽活動の極大期が2012年頃に当たっており、太陽嵐が発生する可能性があることから、エイドリアン・ギルバートのように、これと関連付ける論者もいる。だが、これについては1957年にほぼ同程度の活動があった時も、特に人類滅亡には繋がらなかったとする反論が寄せられている[21]。それに対して、地球の磁気圏で見つかった巨大な穴[22]により、今回は大きな被害に結びつくと指摘するものもいる[23]。
また、1999年に向けたブームがそうであったように、年代の明記されていない予言を2012年と結び付けようとする者たちもいる。例えば、ホピ族は独特の予言体系をもっていることで知られるが、終末論的な伝承を2012年と結び付けようとする動きがホピ族の一部にもあるという。しかしながら、こうした結び付け方については、オカルト雑誌『ムー』の記事においてさえ、否定的な見解が示された[24]。ほかに、聖書、クルアーン、ミドラーシュ、易経[25]などと関連付ける論者もいるようである。
なお、21世紀に予言者を自称する者には、人類の8割が滅亡する時期を2043年におくジュセリーノ・ダ・ルース[26]、2012年に特に言及のないまま西暦3000年までの予言をしているジョー・マクモニーグル[27]のように、2012年に人類が滅亡するという立場と一致しない予言をする者もいる。また、自称「未来人」のジョン・タイターは2036年から来たと主張していたが、彼によれば2015年に米ロをはじめとする主要国の核戦争が起こったという[
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