2015年03月10日
【福島原発事故】今も謎だらけ、“東日本壊滅”が避けられたのもただの偶然だった!?
【福島原発事故】今も謎だらけ、“東日本壊滅”が避けられたのもただの偶然だった!?
最悪の原発事故から、もうすぐ4年が経とうとしている。しかし、問題は何も解決していないと言ってもいい。
高濃度汚染水は今も増え続け、昨年内に終了する予定だった処理作業はトラブル続き。
海への汚染拡大も懸念されている。また、事故原因も解明されず、責任についても誰もとってはいない。
業務上過失致死傷容疑で告発された東京電力の勝俣恒久・元会長と当時の幹部2人に対し、東京地検は2度にわたり不起訴処分とした。
「謎が多くて何も分からない」──それが福島第一原発と事故の現在だ。『NHKスペシャル メルトダウン』シリーズは
事故以降5回に渡って放映されてきた検証・取材番組だが、その取材班による
『福島第一原発事故7つの謎』(NHKスペシャル『メルトダウン』取材班/講談社)には、恐るべき原発事故の内幕が描かれている。
そこで浮かんでくるのは、まさに危機の連続だった。1号機の冷却機能喪失はなぜ見逃されたのか。
ベントはなぜ遅れたのか。消防車が放水した水はどこに消えたのか──。こうした謎に挑んだ本書だが、
なんといっても最大の恐怖は2号機を巡る攻防だ。吉田昌郎所長をして「東日本壊滅」「死を覚悟した」と言わしめ、
全体の4割もの放射線をまき散らした2号機。実はこの2号機こそ、「福島第一原発事故最大の危機を迎えた主戦場」だった。
2号機の状態いかんでは“最悪の事態”が引き起こされた可能性が高かったのだ。その裏では何が起こっていたのか。
実は水素爆発を起こした1、3号機に比べ2号機は、3月14日夜まで冷却機能が維持されていた。
それは偶然と幸運がもたらしたものだった。2号機の中央制御室が停電する直前、RCIC(原子炉隔離時冷却系)の操作が行われ、
冷却機能が維持された。しかし、14日正午にはRCICが動きを止める。そのため、ベントと同時に原子炉の圧力を格納容器へ逃がす
SR弁を開く作業を行うが、双方とも失敗、2号機の操作は完全に行き詰まる。原子炉の減圧ができず、原子炉の水位はどんどん下がっていく。
そして減圧しなければ消防車のポンプの水の圧力との関係から原子炉に水は入らない。2号機には注水さえできなかった。
吉田調書にはこのときのことが、こう記されている。
「私自身、パニックになっていました。(中略)廊下にも協力企業だとかいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、
減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。
(中略)ここで本当に死んだと思ったんです」
そのタイミングは最悪のものでもあった。このとき、既に1号機と3号機は水素爆発していたが、両機ともまがりなりにもベントは成功、
消防車による注水が行われていた。しかし──
「2号機のSR弁が開かず、全く水が注げないままメルトダウン、そして格納容器破壊のシナリオになってしまった場合、
1号機と3号機に水が注げなくなってしまい、さらに使用済燃料プールへの対策が滞ってしまうことだった。
まさに福島第一原発の最悪のシナリオだ。そしてそこから放出された放射性物質の影響で南におよそ10キロの所にある
福島第二原発もオペレーション不能になれば、それこそ東日本全体が放射能に覆われてしまう」
最悪の原発事故から、もうすぐ4年が経とうとしている。しかし、問題は何も解決していないと言ってもいい。
高濃度汚染水は今も増え続け、昨年内に終了する予定だった処理作業はトラブル続き。
海への汚染拡大も懸念されている。また、事故原因も解明されず、責任についても誰もとってはいない。
業務上過失致死傷容疑で告発された東京電力の勝俣恒久・元会長と当時の幹部2人に対し、東京地検は2度にわたり不起訴処分とした。
「謎が多くて何も分からない」──それが福島第一原発と事故の現在だ。『NHKスペシャル メルトダウン』シリーズは
事故以降5回に渡って放映されてきた検証・取材番組だが、その取材班による
『福島第一原発事故7つの謎』(NHKスペシャル『メルトダウン』取材班/講談社)には、恐るべき原発事故の内幕が描かれている。
そこで浮かんでくるのは、まさに危機の連続だった。1号機の冷却機能喪失はなぜ見逃されたのか。
ベントはなぜ遅れたのか。消防車が放水した水はどこに消えたのか──。こうした謎に挑んだ本書だが、
なんといっても最大の恐怖は2号機を巡る攻防だ。吉田昌郎所長をして「東日本壊滅」「死を覚悟した」と言わしめ、
全体の4割もの放射線をまき散らした2号機。実はこの2号機こそ、「福島第一原発事故最大の危機を迎えた主戦場」だった。
2号機の状態いかんでは“最悪の事態”が引き起こされた可能性が高かったのだ。その裏では何が起こっていたのか。
実は水素爆発を起こした1、3号機に比べ2号機は、3月14日夜まで冷却機能が維持されていた。
それは偶然と幸運がもたらしたものだった。2号機の中央制御室が停電する直前、RCIC(原子炉隔離時冷却系)の操作が行われ、
冷却機能が維持された。しかし、14日正午にはRCICが動きを止める。そのため、ベントと同時に原子炉の圧力を格納容器へ逃がす
SR弁を開く作業を行うが、双方とも失敗、2号機の操作は完全に行き詰まる。原子炉の減圧ができず、原子炉の水位はどんどん下がっていく。
そして減圧しなければ消防車のポンプの水の圧力との関係から原子炉に水は入らない。2号機には注水さえできなかった。
吉田調書にはこのときのことが、こう記されている。
「私自身、パニックになっていました。(中略)廊下にも協力企業だとかいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、
減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。
(中略)ここで本当に死んだと思ったんです」
そのタイミングは最悪のものでもあった。このとき、既に1号機と3号機は水素爆発していたが、両機ともまがりなりにもベントは成功、
消防車による注水が行われていた。しかし──
「2号機のSR弁が開かず、全く水が注げないままメルトダウン、そして格納容器破壊のシナリオになってしまった場合、
1号機と3号機に水が注げなくなってしまい、さらに使用済燃料プールへの対策が滞ってしまうことだった。
まさに福島第一原発の最悪のシナリオだ。そしてそこから放出された放射性物質の影響で南におよそ10キロの所にある
福島第二原発もオペレーション不能になれば、それこそ東日本全体が放射能に覆われてしまう」
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posted by hilde at 11:54| メディアが報道しない日本の真実