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2016年03月22日

バイクが好き - 4 / Kawasaki GPZ750R

今思うと、生きてきたなかで最もフラフラとしていた時期に出会ったバイク
カッコつけているようにとられるであろうが、そんな時に出会った
確か20歳過ぎくらいだったと思うが、車も買ってみたがその頃そんなに好きではなかったためか、すぐ飽きる
勤めていた会社にも残る意味が見出せず、海外のボランティア活動をTVで見て、真剣に行ってみようか?などとボンヤリ考えたりしていた
その頃、居た社員寮で限定解除免許を取るのが流行った?
友人がみな通うので、俺も行ってみるかと…のノリで…
当時はバイクの限定解除(大型二輪?)は一発試験のみであり、難関であった
そのうえ住んでる地域が静岡県、静岡や名古屋など自動車/バイクメーカーが多い県は特に合格率が低いらしく、平均3%ほどであったと記憶する
合格率が低いうえ受験者が多いため、失格したその日に次の試験日を予約しても約1月後という状況であった
約半年ほどかけて、どうにか7回目ほどで合格したと記憶する(まだ7回目だと早いほうと言われた記憶がある)
合格はしたものの、田舎に帰るか、どこか違う場所にでも行こうかなどと考え、バイクが欲しいとは特別強く思わなかった
そこに職場の先輩から「俺の友達のニンジャ買わねーか?」 とのオファー
中学生の頃からバイクに夢中で、当時最もマイナーであった「カワサキ」派であったためドキリとする
退職するから見るだけとは言ったものの、たぶん買っちゃうなと変な確信を持ちつつ見にいった
gpz750r-2.jpg
そのニンジャは私の想像していたものと全く違っていた
ニンジャといえば赤/グレーのイメージだったため、こんな色もあったんだと思った
なんでも限定カラーらしい、当時既に型遅れであったし、モデル末期になんとか売ろうとするメーカーの常等手段の限定バージョンであろう
今思えば、ニンジャの底値の時期であったようだ
予想していたとうり、即決で買ってしまった
「オレなに考えてんだ」と思いつつも「これも運命か?」などと笑いながら帰ったようだ
しかしこのニンジャ(正確には当時国内向け750にはニンジャの名称は冠されてなかった)、最も長く、最も愛着のある相棒となった
友達とのツーリングは楽しき思いでとなり、もちろんソロでもいろんなところに出かけた
楽しい思い出をくれたバイクである、その後田舎ににも持ち帰りケッコウ永く乗ったが、最後にはエンジンが壊れてしまいどうするか悩んでいた頃、静岡の仲のいい友人がバイク事故で逝ってしまった
それが理由かは解らないが、ニンジャは手放しその後バイクにはしばらく乗らなくなった
大事に想う友人をバイク事故でなくしたのは3人目であったが、若い当時の私にとってはこたえた経験だったのであろうと、今は思う



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