2012年07月30日
NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地(その5)
NHK大河ドラマ「平清盛」の
崇徳上皇の終焉の地(その5)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
「讃岐国府」続きです。
説明から脱線してしまいますが、九州の太宰府天満宮に祭られてる天神さん「菅原道真 公」は、九州の太宰府へ左遷される前に、この讃岐の国の国府の長官として赴任して居ました。
彼は水不足を解消する為の灌漑事業に熱心だったので、讃岐の農民達からは慕われて、今なお彼を偲ぶ行事が行われてます。
彼もまた死後に強大な怨霊となって、参議達が宮中の清涼殿で会議をしてる時に、水平落雷で参議を内臓破裂で殺したり、干ばつを起こしたり等の災いを起こしたので、帝は慌てて彼を神として祭ったそうです。
脱線ついでにもう一つ・・・出雲大社の大国主命も大和朝廷に殺された後に、大国主命が起こした災いに恐れを抱いた朝廷が、慌てて彼を神にしたのが出雲大社で、参拝者の正面は三体の大和朝廷系の神が鎮座し、肝心の大国主命はその横で参拝者から見ると、右手奥で直角方向を向かされて居ます。
要は大和朝廷は彼を神にしても、参拝されるのは大和の神にしたかったようです。
日本人特有の「祟り信仰=御霊信仰」の典型的な例です。
さて「讃岐国府」に戻って・・・。
「讃岐国府」からは「木の丸殿」がこんなに近く見えます。
崇徳上皇が「木の丸殿」へ転居させられた時点で、朝廷は彼がまた争乱を起こすと思い込んで居たようですね?
国府跡から数m北側に移動すると、この様に「木の丸殿」が近くに見えます。
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
崇徳上皇の終焉の地(その5)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
「讃岐国府」続きです。
説明から脱線してしまいますが、九州の太宰府天満宮に祭られてる天神さん「菅原道真 公」は、九州の太宰府へ左遷される前に、この讃岐の国の国府の長官として赴任して居ました。
彼は水不足を解消する為の灌漑事業に熱心だったので、讃岐の農民達からは慕われて、今なお彼を偲ぶ行事が行われてます。
彼もまた死後に強大な怨霊となって、参議達が宮中の清涼殿で会議をしてる時に、水平落雷で参議を内臓破裂で殺したり、干ばつを起こしたり等の災いを起こしたので、帝は慌てて彼を神として祭ったそうです。
脱線ついでにもう一つ・・・出雲大社の大国主命も大和朝廷に殺された後に、大国主命が起こした災いに恐れを抱いた朝廷が、慌てて彼を神にしたのが出雲大社で、参拝者の正面は三体の大和朝廷系の神が鎮座し、肝心の大国主命はその横で参拝者から見ると、右手奥で直角方向を向かされて居ます。
要は大和朝廷は彼を神にしても、参拝されるのは大和の神にしたかったようです。
日本人特有の「祟り信仰=御霊信仰」の典型的な例です。
さて「讃岐国府」に戻って・・・。
「讃岐国府」からは「木の丸殿」がこんなに近く見えます。
崇徳上皇が「木の丸殿」へ転居させられた時点で、朝廷は彼がまた争乱を起こすと思い込んで居たようですね?
国府跡から数m北側に移動すると、この様に「木の丸殿」が近くに見えます。
多くの写真を掲載致しますので数回に渡ってUp致します。
この情報の続きは下記のページでご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思います。
ホームページでは案内板の文字が読めるようにもっと大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
【崇徳上皇ゆかりの地を巡っての最新記事】
投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|08:35|崇徳上皇ゆかりの地を巡って
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