2012年08月13日
NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地(その14)
NHK大河ドラマ「平清盛」の
崇徳上皇の終焉の地(その14)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
さて、もう一つの八十八カ所の札所に・・・・正確には本来の札所に向かいましょう。
白峯宮:正確には本来の札所。
ここは白峯宮の境内の中に、八十八カ所の札所が在ります。
金華山 高照院 天皇寺・・・その寺名からも判ると思いますが、崇徳上皇とゆかりの有る寺です。
元々は上皇より以前から「摩尼珠院」として存在していましたが、上皇暗殺後に二条天皇より崇徳天皇社を建立し、上皇の荒ぶれた御霊を鎮めるようにとの勅命が出されました。
それ以後、明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈令)で、崇徳天皇社は白峰宮として残り、摩尼珠院は廃寺となり暫くして白峯宮の境内を間借りするように「金華山 高照院 天皇寺」が建立されました。
蛇足ながら、京都の白峯神宮は幕末時代の孝明天皇が都に崇徳上皇の御霊を移すようにと徳川幕府に命じたが、その後に崩御なされて実現しなかった。
そこで明治天皇がご自身の即位の礼の前に勅使を讃岐の遣わせ、崇徳上皇の御霊を都に鎮座せしめたそうです。
また昭和天皇も崇徳天皇八百年祭に勅使を讃岐の白峰御陵に勅使を遣わしたそうです。
京都の白峯神宮の地主社として、その境内には精大明神(せいだいみょうじん)も祭られて居て、蹴鞠の守護神、「まり精大明神」とも言い、球技・スポーツ芸能上達の神と言われています。
その関係で現在ではJリ−グのサッカー選手やバレー選手などもよく参拝しているそうです。
現地を巡りながら、嫁ハンはドラマに登場する「崇徳上皇」を思い浮かべながら、
「決して何も悪い事をしていないのに・・・こんなに酷い目に遭って可哀想なお方・・・。」
と少し涙声になって感想を言っていました。
多くの写真を掲載致しましたので、十四回に渡ってUp致しました。
(その13)からの更新が滞って申し訳有りませんでした。
実は私の研究案件(視覚障害者の方の為の擬似的に見える機器・聴覚障害者の方の為の擬似的に聞こえる機器)の研究開発を、研究所を辞めてから個人的に進めています。
数日前に(聴覚障害者の方の為の擬似的に聞こえる機器)のこれまでの私が発案してきた方式と違ったシステムを思い付き、ブログの更新もせずにそれの検証を行って居りました。
しかし研究費が底をついてる現在、新たな実験器具を購入する資金も無く、実証実験に入る事が出来ません。
歯痒いと感じながらも折角発案した方式の検証に打ち込んでいました。
ここまで「NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地」をご訪問して頂き、そしてご高覧頂いたことに感謝致します。
Googleの地図データを含めた下記のページをご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思いますので、大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
崇徳上皇の御陵が在る五色台の公共宿泊施設です。
香川県人なのに休暇村に家族と泊まった事が有ります。
宿泊目的はプールと夜の眺望です。
休暇村 讃岐五色台
かんぽの宿も泊まった事が有ります。
時期は冬で鴨鍋を食べに・・・・。ここも夜景が綺麗です。
白峰温泉 かんぽの宿坂出
崇徳上皇の終焉の地(その14)
保元の乱が終わり、崇徳上皇は流罪と決します。
その配流の地は、私が住んでいる香川県(讃岐の国)でした。
隣の市になりますが、坂出市に流されて来ました。
一番最初に上皇が上陸した松山津、生活なされた「雲井御所」と「木の丸殿」、崩御なされ埋葬された白峰寺の天皇陵、二条天皇が崇徳上皇の御霊を慰める為に建立した「白峯宮」までご案内致します。
約八年間の流罪生活の基盤を嫁ハンと共に訪ねる事にします。
嫁ハンと一緒に訪れた時は案内説明に一生懸命になって写真を撮って居ませんでした。
改めて訪れる機会を作って写真を撮影してきました。
さて、もう一つの八十八カ所の札所に・・・・正確には本来の札所に向かいましょう。
白峯宮:正確には本来の札所。
ここは白峯宮の境内の中に、八十八カ所の札所が在ります。
金華山 高照院 天皇寺・・・その寺名からも判ると思いますが、崇徳上皇とゆかりの有る寺です。
元々は上皇より以前から「摩尼珠院」として存在していましたが、上皇暗殺後に二条天皇より崇徳天皇社を建立し、上皇の荒ぶれた御霊を鎮めるようにとの勅命が出されました。
それ以後、明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈令)で、崇徳天皇社は白峰宮として残り、摩尼珠院は廃寺となり暫くして白峯宮の境内を間借りするように「金華山 高照院 天皇寺」が建立されました。
蛇足ながら、京都の白峯神宮は幕末時代の孝明天皇が都に崇徳上皇の御霊を移すようにと徳川幕府に命じたが、その後に崩御なされて実現しなかった。
そこで明治天皇がご自身の即位の礼の前に勅使を讃岐の遣わせ、崇徳上皇の御霊を都に鎮座せしめたそうです。
また昭和天皇も崇徳天皇八百年祭に勅使を讃岐の白峰御陵に勅使を遣わしたそうです。
京都の白峯神宮の地主社として、その境内には精大明神(せいだいみょうじん)も祭られて居て、蹴鞠の守護神、「まり精大明神」とも言い、球技・スポーツ芸能上達の神と言われています。
その関係で現在ではJリ−グのサッカー選手やバレー選手などもよく参拝しているそうです。
現地を巡りながら、嫁ハンはドラマに登場する「崇徳上皇」を思い浮かべながら、
「決して何も悪い事をしていないのに・・・こんなに酷い目に遭って可哀想なお方・・・。」
と少し涙声になって感想を言っていました。
多くの写真を掲載致しましたので、十四回に渡ってUp致しました。
(その13)からの更新が滞って申し訳有りませんでした。
実は私の研究案件(視覚障害者の方の為の擬似的に見える機器・聴覚障害者の方の為の擬似的に聞こえる機器)の研究開発を、研究所を辞めてから個人的に進めています。
数日前に(聴覚障害者の方の為の擬似的に聞こえる機器)のこれまでの私が発案してきた方式と違ったシステムを思い付き、ブログの更新もせずにそれの検証を行って居りました。
しかし研究費が底をついてる現在、新たな実験器具を購入する資金も無く、実証実験に入る事が出来ません。
歯痒いと感じながらも折角発案した方式の検証に打ち込んでいました。
ここまで「NHK大河ドラマ「平清盛」の崇徳上皇の終焉の地」をご訪問して頂き、そしてご高覧頂いたことに感謝致します。
Googleの地図データを含めた下記のページをご覧下さい。ブログで掲載している写真では案内板の文字が読めないと思いますので、大きな写真を載せています。↓
崇徳上皇ゆかりの地を巡って
崇徳上皇の御陵が在る五色台の公共宿泊施設です。
香川県人なのに休暇村に家族と泊まった事が有ります。
宿泊目的はプールと夜の眺望です。
休暇村 讃岐五色台
かんぽの宿も泊まった事が有ります。
時期は冬で鴨鍋を食べに・・・・。ここも夜景が綺麗です。
白峰温泉 かんぽの宿坂出
【崇徳上皇ゆかりの地を巡っての最新記事】
投稿者:亀山 築城 (かめやま ちくせい)|11:11|崇徳上皇ゆかりの地を巡って
この記事へのコメント