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未成年の時が一番苦労した時代。

まだ引っ越しや役所の手続きが完全に終わっていない中
今日は知人の老舗レストランの大改革という事で

先日、新しく入った料理人の審査をするという理由で
監査役として出席しなければいけなくなってしまいました。

あ〜(汗)まだ忙しいのに・・・・
長い付き合いがあるので簡単にお断りも出来ないし・・・・

監査役といっても試食して意見を言うだけなんですが
今の時代、老舗だからといって、あぐらをかいてるような
経営ではいけない時代です。

なんか私、プチコンサル気分です(笑)
ちょっと調子にのって、言い過ぎたかな(笑)

少し前の話ですが、学歴は中卒なんですが
おしゃれなレストランやクラブなどの箱を

たった数名で海外でも、そこそこ成功していて
かなりいい感じで 上手くいってる人が 私の周りにいました。

私の周囲って意外と高校中退とか家庭の事情で
中卒で苦労してる人が成功を遂げた人が
なぜか自然と集まり、わりと多いんです。

私も高校時代は自分でバイトをしながら卒業し、
大学は、お金が足りず バイトで生活費に追われ
勉強する時間がなくなり中退してしまった一人ですが

私は当時、自分はとても不幸で恵まれない人間だと
悩み、勝手に卑下していました。

でも、私よりもっと苦労してる人がたちが実在し
実際に成功を遂げてる人たちと出会ってから
だんだんと考え方が変わってきました。

「苦労してるのは私だけではない。
  私の苦労なんて、苦労のうちに入らない!」

当時、高校生だった私はまだ16歳でしたので毎日、毎日、

「本当に私はなんで、こんな親から生まれたの?
  こんな親から生まれるんだったら、最初から孤児院で育ちたかった。

  借金まみれで毎日ヤクザの取り立ての対応に追われて
  肝心な親は一時的いなくなって・・・・

  こんなに親から愛されなくて
  ほったらかしにされるなら、親なんていなければよかった。

  なんで友達たちは皆、学費を親に払ってもらって
  部活とかして楽しい時間を過ごしてるのに

  私だけ学校終わったら夜遅くまでバイトしないと
  明日の昼食代すらないの?

  なんで、同じ人間なのに
  なんで私だけ、こんなに貧乏なの?」

ずっとこんな風に思って中学時代、高校時代と過ごしてきました。

中学時代はバイトで雇ってもらえる年齢ではなかったので
近所の、お金持ちのワンちゃんのお散歩を毎日して
それが私のアルバイトでした。

車の免許もバイト代で取得し
成人式の着物も買えなくてレンタルしました。

当時、今から20年以上前のレンタル料はたった1日で10万円以上。
しかも一番そのお店の中では安い着物です。

一部のレンタル料は御祝儀として頂いた お金を充てたので
全額払わなくてすみましたが、私にとってレンタル料は大金でした。

私は成人式のちゃんとした写真を持っていません。
友達たちの親は娘のために写真館で撮影してる人がほとんどでした。

私も記念写真はちゃんとした所で撮影したかったですが
着物のレンタル料が高すぎて写真まで予算がまわらなかったので
写真館での撮影は断念しました。

未成年時代はバイト代で学校にかかる お金や昼食代、
最低限度の衣類(下着類や靴)などに お金を使っていたので
週末もほとんどバイトをしていました。

未成年者が稼ぐ金額って
普通のアルバイトなら、たかだか知れていますよね。

ほんと今思えば、全部、自分で稼ぐしかありませんでした。

今後、例えば私が地震など被災に遭ったとしても
ゼロから他の見知らぬ土地で、やり直すという事は
自信をもって、簡単に出来ると思います。

なぜ簡単に?!と言い切れるかと言うと、
私が昔、一番苦労していた時代は私が未成年者の時。

未成年者は仕事の制限があり、やりたくても
出来ない事が多かったけど今は違います。

体が例え健康でなかったとしても
今はネットがあるという素晴らしい時代なんです。

昔は携帯電話もなければ、ネットもない時代に
私は当時、未成年者という年齢の壁があり 本当に苦労しました。

今後、何が遭っても時代が味方になってくれます。
過去に経験した貧乏時代と比べたら絶対に

あれ以上、落ちる事は私にはないと思っています。
やはり未成年者という年齢の壁は非常に大きかったですね・・・・

ホームレスと会話する私

私はホームレスと普通に会話します。
今日は洒落たオヤジさんのマイカーを紹介します(笑)



これは↓アップの写真です。なんか可愛いでしょ(笑)



私は缶を集めてる人に缶をたまにプレゼントしたりします。



理由はホームレスの人たちの気持ちが分かるからです。

私は小学生中学年くらいまでは わりと裕福な家庭に育ちました。
突然、小学6年の頃、父が経営する会社が倒産しました。

私の生活はそこから地獄が始まりました。
当時の借金額は数千万円。今の金額だと億は越えてると思います。

私がヤクザと普通に話しが出来るようになったのも
ちょうどこの父の会社の倒産がキッカケでした。

小学生ながらヤクザの電話対応、直接の訪問者の対応をさせられたからです。

両親が短い期間ですが私と妹を置いていなくなったので
対応せざるえない状況にありました。

そうなんです。私の両親は私たち姉妹を二人置いて自分たちだけ逃げたのです。
正直、今も両親の事は↑こういう事があったので あまり好きではありません。

ホームレスに近い生活も送った事があるので
ホームレスのオヤジさんたちと話すのはわりと得意な方です。

思春期の時はみんながやってる部活動、私もやりたかった。
普通の子供たちが出来てる普通の生活が当時の私には出来なかった。

ユニホームも買うお金もなかったし、高校は卒業しましたが
都立高校を1校だけ受験させてもらって受験料は当時たったの1000円。
私立高校の受験料の平均は当時1校2万〜2万5000円くらいでした。

高校では授業が終わると掃除は友達に任せて毎日すぐに帰宅して
平日も土日もアルバイトに明け暮れてました。

アルバイトも色んな事をしました。

今のように携帯電話がない時代でしたので当時はまだポケベルも
音しか鳴らないものが主流で一番最新のポケベルでも
やっと文字が打てる、そんな時代でした。

携帯電話が販売し始めたのは私が高校卒業の頃。
自動車電話で設置料込みで35万位かかった時代でした。

私はお金のいいアルバイトを高校の時からしていました。
夜学の学生と偽れば当時は居酒屋のバイトなら採用されました。

私は全日制でしたが夜学もある高校に通っていたので
夜学の生徒とも仲が良く夜学の内部情報も詳しく知っていたので
夜学が終わるのはだいたい夜の20時過ぎ。

21時以降の夜のアルバイトなら都内の繁華街なら朝8時まで
やってる居酒屋もありましたし だいたい深夜2時頃までバイトをしてました。

夕飯は毎晩、今のクラブで食べてました。
当時ディスコと呼ばれていた時代に夕方6時まで入れば
女性は無料で飲み放題、食べ放題だったので不味い食事ではありましたが
自宅に帰っても借金だらけの家ではロクに食べる物がなかったので
毎日ディスコに食べに行って それから21時過ぎからアルバイトの毎日でした。

今、思い出してみても中学、高校時代、部活はやりたかったですね。

私は東京都大会で毎年、義務教育の中学3年生までは
成績が悪くても3位。良い時は1位を短距離でとれてたので
部活は陸上部に入りたかったな・・・・

でも出来なかった。借金の取立てのヤクザたちが凄い勢いで
本当に部活どころではなかった毎日を送っていました。

父の会社が倒産と同時にイジメも始まり
私の学生時代の思い出は いい思い出が一つもありません。

私は友達たちが本当に羨ましかった。

親が学費から食費から、そして18歳になれば免許のお金から
裕福な友達は親に車まで買ってもらって・・・・

私は学生時代、思春期の頃は本当に貧乏だったので
私をイジメた奴らを見返すために法律ギリギリのバイトもしました。

私はわりと暴力的な事が慣れていて そういった事が平気な
性格でしたので その性格に合った法律ギリギリのアルバイト・・・・

高校卒業して自分の貯めたお金で大学も入ったけど2ヶ月で中退。

お金が続かなかった。そしてバイトで疲れすぎて勉強に集中できなくなった。
退学した理由は生活を優先したから。。。。

なんて情けない私・・・・

退学してから私はある賭博場のアルバイト店員からもらった物を
転がす事によって、ちょっとした財を築く事が出来ました。

そうです。プチわらしべ長者の始まりです。
私には当時怖いものが全くありませんでした。

今、死んでも構わない。来週の自分の生活、姿がいつも暗闇で見えなかったから。
何も失うものはない。そして守るものも何もない。

私が死んでも悲しむ者も誰もいない。いつもそう思って死ぬほど働いた。
「法律に触れなきゃ逮捕もされない、合法だろ。」いつもこんな腐った気持ちだった。

因みに私が退学した大学は法学部でした。
私は自分の夢や希望と逆の世界に気付いたら自然と入っていました。

私は自殺するほど気の大きな人間ではありません。
自殺する勇気はなかった。命を絶つ。そんな怖い事が私には出来なかった。

自殺しようとする人たちに言いたい。

「自殺する、そんな凄い勇気があるならホント君は何でも出来るよ。
  死ぬ前に一度考えた方がいい。どうせ自殺したいんだろ。
  自殺する前にちょっとだけ時間、他に使ってみなよ。
  自殺なんてものは いつでも出来る。焦る必要はないさ」って私は言いたい。

学校でイジメにあって自殺してる人も多いけど、学生時代なんて ほんの数年。
悪口、言いたい奴ら、色々してくる奴ら、自分の心の中から存在を消せばいい。

聞こえてくるものは全て無視して「いつかこいつらを見返してやるぜ!」
こんな気持ちで構えていたら学生時代の数年なんて あっという間に終わるよ(笑)

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本当はこの話を書く予定ではありませんでした。
ホームレスのマイカー写真を見ていたら話題がこれしか思い浮かばず(苦笑)

過去の私の人生の学生時代に自然と触れる内容になってしまいました。

詳しくはまた波乱万丈な人生シリーズで書き綴りたいと思いますが
話しが長くなるため、どこから手をつけて書いたらいいのか迷ってる最中です。

今日のタカちゃんはデイサービスがお休みです。
朝からパニック炸裂〜(>。<) ずっと泣いてましたがやっと落ち着きました。

今日のオヤツは精神安定にも良いチョコレートです。
ジャイアントカプリコ いちご 1本×10本入(004025) グリコチョコが美味しいカプリコの、で...



これ↑美味しいですよね〜(^-^)

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ オマケ編

キャビアって最近の値段、知りませんでした。
調べてみて驚きです。↓こんなに高いんですね。


★楽天では缶詰じゃなくガラスの容器ですね。とても美味しいです!

私はベルーガは↑キャビア丼にする時、必ずロシアでは3缶入れてました。
楽天で売ってる日本サイズにしたら12缶にあたります。

一度に上記の金額で簡単に計算すると送料入れて13万1000円以上を
一食に食べていたんだなぁと思うと感覚の違いって恐ろしいですね。

ただ、日本で売られてる容量は50gって少ないですね。
これで、この値段なんですか?!えーっ!!信じられなーいっ!!

私が食べていた缶は1缶あたり200gです。
だから3缶、600gを炊きたての
カリフォルニア米の上にのせてガッツリ食べていました。

カリフォルニア米は当時はロシア国内では値段が高いので
外国人の私たちしか食べられませんでした。
と言っても、日本米よりぜんぜん格安だったんですけどね!

一度に600g食べる?!って聞くと多そうに見えますが
粒も小さいので簡単に完食出来ます。
ズルズルと飲み込むだけですからね(^^;

当時のロシアではベルーガは1缶200g入って
どんなに高くても日本円でたったの200円でした。

3缶600g食べても600円のランチを食べた感覚しかありません。
日本で同じ量の同じ高級な質のベルーガを頂くと13万1000円以上。

販売店の単価によっては、15万〜20万など高くなりますね。
一食に私が食べた値段は驚きの値段になっていました。

ロシアと縁がなくなってから キャビアの価格は
ここ20年近く調べた事はありませんでした。

今日、久しぶりに調べて思った事は、
「高い・・・・」
「この楽天での価格は平均またはそれより安い方・・・・」

当時食べる物があまりなかったのでキャビア丼とカニ丼と
イクラ丼を交互に毎日食べていました。

こんな生活していたら病気になりますよね。

水の値段がお酒より高かったのでウォッカを水代わりにして
キャビア丼を酒で流し込みながら よく食べたものです。(笑)

私はイクラや数の子など魚の小さな卵類が苦手で
キャビアも正直あまり好きではありませんでした。

今もお寿司屋さんに行くとイクラとマグロが苦手なので
自分からは食べません。魚の中で一番嫌いなのがマグロです。

だから友達からは「安上がりな女」と言われ続けています。(^^;

シーチキンも苦手です。医者からはコレステロール値が低いので
大トロやステーキなど たくさん食べた方がいいと言われますが
マグロに限っては胃もたれするので あまり食べられません。

コレステロール値をわざと上げるために
薬と考えるようにして マグロはたまに食べるようにしてます。

ロシアでこんな大量にキャビアやイクラを続けて食べると
苦手なものも だんだん慣れてくるものなんですね(笑)

元々、私は食べ物に関心が薄い方なので
久しぶりにキャビアっていくらなんだろう?と思い
楽天で検索してみたら「キャビアって高いー( ̄ー ̄;)」

ロシアで帰国の際はカニ缶やキャビア缶を大量に持ち帰り
1つ安いのだと50円、どんなに高いキャビアでも1つ200円、

これを国内で売りさばくと1つが悪い缶でも6000円〜8000円、
高いものだと1缶3万円以上になりました。

1缶200gと多く入っているので
業務用で使用される飲食店の方々に重宝されてました。

大量の缶詰もあっという間に完売しました。
思い起こせば、北京出身のお婆さんがロシアに行商しに来ていて
キャビアの缶詰売っていた時、日本産煙草と物々交換した事もありました。

当時セブンスター1箱220円、キャビア缶、品質イマイチなのは10缶、
品質がいい缶は3缶、物々交換は普通に買うより値切れるので安かったです。

当時は中古車も日本車が人気がありました。
軽トラックに日本語で会社名が書いてある、

日本じゃ絶対に塗装しなおさないと売れない中古車が
当時のロシアでは大人気で一部の富裕層との間で高値で取引されてました。

私は富裕層がダサイ変な名前の入った
日本の中古車を乗ってるのをみて大爆笑していました。

だって格好つけて乗ってるロシア人の車が
「●●廃品回収」とか「豆腐の●●屋」とか
例で挙げれば↑こんな感じなんです(苦笑)

それで私たちに軽トラで
「どうだ!格好いいだろー!」って( ̄▼ ̄;)

言われても、答えようがありませんでした(苦笑)

日本から見たら格好よくない車が人気で
仕入れもメチャクチャ安いのでこれも当時の儲け話の一つでした。

ロシアの話しはこれで終わりになります。

不定期で過去の体験談を 
時間がある時にまた書いていきたいと思います。

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第七章

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第七章

当時はロシアの通貨は持ち帰る事が出来なかった。
でも私は少ない小銭は実際、持ち帰った経験者である。

確かに持ち帰る時、カニ缶やキャビアなど
メンバーが持ち帰るにあたって普通の人だと
空港で全部没収されるはずだが私たちの場合は
没収されず上手く通過する事が出来た。

日本に到着後は普通の食品の缶詰めなので問題なく
手土産として空港は通過できた。

私 「やっと日本に帰国できた!もうロシアへ行く事は
    ないし、海外は当分もう行かないよ!(笑)」

マサ 「実は少し落ち着いたらN.Yへ行く事になった」

私は英語もまともに話せないし
私にはアメリカなんて関係のない話しだと思っていた。

私 「私は就職するかバイトするか、これから忙しくなりそうっ!」

マサ 「キャビアやカニなど日本で販売できる許可をロシアから
     特別に許可されてる日本人がN.Yに住んでいる。
     彼は日本での販売許可権の過半数以上を持っている。
     彼の話しを聞きたいから彼に会いに行こう。」

私 「N.Yならまだいいけど、そのあとまたロシアに行かないよね?」

マサ 「サハリンで多くの仕事がたくさん待ってる。
     まだ日本の商社もここは手つかずの場所でN.Yにいる日本人の
     彼だけがロシアから特別な販売許可をもらっているんだよ。
     彼の名前はMr.Y ロシアに在住している日本人からの紹介だよ」

N.Yに住んでいるMr.Y氏を私たちに紹介した日本人は昔、
N.Yに住んでいて職場でマリファナを吸ってるのがバレてクビになり
なぜかロシアで勤務している風変わりな男、名前はカワだった。

私はふざけるな!と思った。もう二度と行かないはずのロシアに
また行くかもしれない?!えーぇーっ!

経験して分かった事。それは人は食べ物で体臭が変わるという事。
私はロシアから帰国したら早速、妹に言われた。

「オネイちゃん、何か変なニオイするよ。何だろう。体臭が微妙なニオイ。」

自分でも分かっていた。食べ物が悪いと変な微妙な臭い体臭になるって事を。
だから肉を食べ過ぎると臭いというのも多分正しいと思う。

偏った食事や食べすぎ、飲みすぎは何でもいけませんよね。
やり過ぎは体に必ず悪影響が出ます。体臭も同じです。

不潔な感じのニオイとかではなく、説明しようがない体臭に私はなりました。
なんか、顔つきも変わるみたいですね。

私も日本人っぽい顔じゃないと帰国後は物凄く言われました。
確かに昔の写真を見ると謎の外国人みたいな顔になってました(爆笑)

このあと、私はアメリカに行く事になり、
最初はN.Y、次にラスベガス、次にL.A、そして次に行く予定がなかった
サンフランシスコ、そしてまたL.Aに戻り・・・・

私はサハリンに在住するかもしれないという恐怖で精神的参っていた。
サハリンは孤立した島なので何も開拓されてない。

無人島みたいな辺鄙な場所に住むなんて、監獄と一緒だ!
しかもオホーツク海の上の方に仕事しに行くなんて!

ヤクザに借金のかたに捕らわれ仕方なしに遠洋漁業のマグロ漁船に
乗り込む連中と変わりないじゃないかっ!

これって↑当時、本当にあった話です。
話しがズレますが この流れなので少しだけ書きます。

以前、あるヤクザから言われた事があります。

因みに私は当時、自営業をしていたので私は悪い人間ではありません。
就職、転職経験もありますが若い頃から自営業をしていました。

至って普通です。もちろん今も普通の人間です。

ただ人を雇う時に借金で困ってる人を雇うようにしていました。
理由は困ってるからこそシッカリと手抜きしないで長く
真面目に働いてくれると思ったからです。

ただ、この考え方は全員には当てはまりませんでした。
そうです。私はお金を盗られたのです。

もちろん盗った相手は少し泳がせて
証拠写真を撮影し即身柄確保しましたが・・・・

そういう人たちを雇用してるとヤクザたちに情報がまわり
結構、色んな声がかかりました。

情報はどこから漏れた?!それは簡単でした。
消費者金融やヤミ金から借りてる人はヤミ金業者のリストがあって
転職先など簡単に調べられるんです。

他にも色々調べ方はありますが、ここでは非公開とさせて頂きます。

これは今から約20年くらい前の話しなので現在は違うと思いますが
昔はこうでした。

ヤクザが言った。
「カネを貸して返ってこない奴がいたら俺たちに教えてくれ。
  必ずカネは取り戻してやる。ただし手数料は高いけどな。」

当時のヤクザの話の契約内容は下記の通りだった。

遠洋漁業のマグロ船は契約が1年単位で契約が出来る。
5年、10年、それ以上もあって例えば、
借金をもつ男がどうしても払いきれない場合の計算例として、

計算し易いように仮に借金額が1000万だったとして、
最低賃金1日1万円、労働最低時間は約1日20時間、
月に30万、年間360万稼ぐと仮定し、

3年で1080万。本来はそれで終わるとこだが、
契約は最低5年させられる。差額は全部ヤクザの手数料になる。

実際労働時間と内容を考えると日給1万は安すぎる話しだった。

私 「もし途中で病気で働けなくなったらどうするわけ?」

ヤクザ 「治らない面倒な病なら海へ捨てる。死んでも海外の海じゃ
      死体はあがらねぇし、なんで死んだか理由も分からねぇよ。
      だいたいは自殺で解決だ。」

私 「そういう人たちだって家族はいるし説明はどうするわけ?」

ヤクザ 「知らねぇよ。テメーの借金はテメーの体で返す。
      借りたもんは必ず返す。学校で習わなかったか?
      図書館で借りた本は返さねぇって教えた先公はいたのか?」

私 「じゃぁ、私が盗られたカネは契約時に最初に貰えるわけ?」

ヤクザ 「契約は契約だ。アンタには一括返済した時点でアンタと俺たちとの
      契約はそれで終わりだ。あとは俺たちと預かったヤローとの
      契約そして話し合いで終わりだ。」

私 「なるほど。前に臓器売買もあるって噂、聞いた事あるけど実際あるの?」

ヤクザ 「海外に売っぱらっちまったら、あとは知らねぇよ。
      肺は片方なくても生きていけるし。血液も売れるし、
      海外は日本じゃありえない法律も沢山あるからな。」

私 「途中で死んだらカネ回収できないよね?損はしないの?」

ヤクザ 「計算済みだ。1日最低20時間労働。ここで既に
      1年以内で元がとれる。あとは全部利益だ。
      途中で死んだら この先 取れる予定のカネが
      減ったな程度しか思わねぇよ。全く損はしねぇ。」

舎弟 「体の弱い奴には最初から こういう話はしねぇよ。
     違う話をもってくようにする。
     俺たちも馬鹿じゃねぇからな。カネにならない人間はいらねぇ。
     稼ぎそうな奴らにしか声はかけねぇ。時間の無駄だからな。」    
   
私 「とりあえず今回の話は保留という事で。
    奴は確かに私のカネを盗った。
    ただ盗られた原因は私の管理が甘かったのもある。
    私が人を見る目がなかったという原因もある。
    そういう原因の元を作ったのは私だから。
    とりあえず人身売買は私は避けたい。
    人の人生を食い物にして荒稼ぎするのは簡単な事かもしれないが
    貰って気持ちのいいカネと そうじゃないカネが私にはある。」

ヤクザ 「ネェちゃん、若けぇな。馬鹿としか言いようがねぇな。
      カネにいいも悪いもない。アンタ、考え方ヌルいんだよ。
      そんな事してるから盗られたり儲からなかったりするんだ。」

当時、私がヤクザと対等に話しが出来たのは私が未成年の時に
プチわらしべ長者になった経験があったからだった。

この続きは長くなるので またいつか波乱万丈な人生シリーズで
時間がある時に書いていこうと思います。

話しは少し飛んでしまいましたがロシアの続きに戻ります。

私は思った。そう言えばロシア在住の頃も臓器売買の話しは聞いた事あったな。
って事は、途中、何らかのトラブルに巻き込まれ殺されても
サハリンで殺されたら死体はあがらないって事か。。。。

勝手に殺されたあと、臓器も売られる可能性があるのか・・・・
これは危険だ。危険過ぎるし青春時代をサハリンで暮らす?!
ありえない!!

サハリンの地図見たけど、絶対、風呂もないと思うし
便所は?毎日、野糞?!みんな何を食べてるわけ?

またキャビア丼?!イクラ丼?!カニ丼?!
うぁ〜っ!もう食べたくないっ〜(>。<)

私はロシアで どうしても我慢できず空港までトイレもなく
野糞経験者でもあった( ̄旦 ̄;)アァァ。

間違いなくサハリンにはまともな便所がない事は予測できる。
向こうでは糞イコール野菜の肥料という感覚があるので
絶対に住みたくない場所の一つであった。

サハリンはロシア人が90%以上働く場所となっていた。
残りの1割にたまに中国など違う人種も混じっているらしい
という話しだけは聞いていた。

N.Y在住の日本人Mr.Y氏はロシア人の従業員を既に1箇所の工場で
3000人抱えている人物だった。
他の工場を足すと従業員の人数は計り知れない。

Mr.Y氏はN.Yの一部の人間の間ではミリオネールと呼ばれていた。
私のミリオネールのイメージは当時N.Yの飲食店で知り合った
日本人の60代のスズさんの恋人である石油王の彼氏のイメージしかない。

Mr.Y氏がミリオネール?!私は疑惑を持ち続けていた。
嘘が多いロシアでの話しだからねぇ(苦笑)

そして、とりあえずアメリカならまだ大丈夫だと思い
Mr.Y氏に話しの流れで会いにN.Yに行く事になった。

もちろん私の心の中はサハリンでは仕事はありえないし
ロシアにはもう関わりあいたくないという気持ちでいっぱいだった。

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以上で終わりになります。
明日はロシアの話しのオマケ編を更新します。

また時間がある時に、不定期にロシアの話しは書いていこうと思います。

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カニはたまに食べると美味しいですね!
流石にどんな食べ物も毎日続くと飽きますよね(^^;



旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第六章

11/12(金)に旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ
第五章を掲載して、お約束通り次回掲載予定は
来週か再来週という事でしたがギリギリ、
再来週にあたる今日、記事掲載できました。

間に合わないかと思い焦りましたが、間に合いました。

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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第六章

いきなり老婆の声が聞こえた。
「Пожалуйста, пожалуйста」

老婆は単語しか私たちに言わなかった。
「どうか、ください」
「話し、、聞いて、、下さい、、」

老婆が私たちの近くに寄って来る前、かなりの異臭が鼻についた。

私「この腐敗した臭いはどこから臭ってるんだろう。」

日本人マサ「周囲を見渡しても何も見えないよなぁ。」

この臭いの原因は最初は分からなかった。
暖かくてもマイナス10度、平均-15度のこの地域で
夏に小動物が死んで腐敗した時と同じ臭いがしていた。

私「こんなに寒い地域でこの悪臭はおかしい。
  この臭いはウジ虫が湧いた時のあの臭いと同じだ!」

私は小学生の時、よく猫やネズミ、鳩の死骸を目の当たりに
する環境にいた事もあり腐敗した臭いは昔から知っていた。

20m以上先に誰かが歩いてくるのが見えてきた。
やっとここで理解出来た事が一つだけあった。

この異臭は20m以上先にいる老婆の臭いだった。

風で臭いがこちらまで届いていたのである。
老婆がだんだんと近づいてきた。

老婆は私たちを見ると何かを恵んでもらいたくて
小走りで私たちに向かって走り始めた。

老婆の顔がだんだん近づいてくる。
私は視力2.0あるので老婆の顔がハッキリ見えた。

老婆の顔には鼻がなくて穴だけが2ヶ所あいているだけだった。
耳は半分切れて黒ずんで両耳欠けていた。

私「この臭いは老婆の耳と鼻が腐った臭いだ!
  早く逃げるんだ!これは今この地域で流行ってる梅毒だぞ!」

ちょうどこの頃、ロシアでは梅毒が流行していた。
梅毒はThe 1st Stageから4th Stageまで
初期から末期と段階を踏んで進行する病気である。

空気感染はしないが皮膚感染はする。
電車やバスや公衆電話、気をつけないといけない場所は多くある。

変な話し、性行為をする時、陰毛から陰毛へと感染するので
コンドームをすれば大丈夫と安易に考えていた外国人は
かなりの感染者が出たらしい。

実は国内で有名な(誰でも知ってる会社です。)
某大手旅行会社が売春ツアーみたいな事を当時してました。

これは実話です。ちょっとだけ暴露しますね。
暴露されるような事をしてる某大手旅行会社が悪いんですから。
私は何も悪くありません(笑)

国内で売春ツアー希望者を集めるのですが
私はどうやって集めるのか知ってます。
流石に深い話しは非公開とさせて頂きます。

私はロシアの現地に短期間ではありますが
住んでいましたので正直この事実を知った時は衝撃的でした。

多分、今でもあるんじゃないでしょうか?
儲かりますからね〜(苦笑)

そうなんです。日本国内で違法でも
海外へ行けば合法なんてザラにあります。

マリファナも北海道の奥の方には自然のものが生えてるって
北海道に住んでる親戚が言っていました。

北海道の緯度、経度で見ても自然と解ると思いますが
ロシアにも中国の雲南省にも野生が腐るほど生えてます。

ただ国によって違法、合法と分かれるので
そんなので逮捕されて犯罪者扱いされるのも嫌ですよね。

当時、ロシアにいた私は思いました。

「こんなに梅毒が流行ってるのに売春ツアーなんて怖くないのかな。
 多分、知らぬが仏って感じで遊びに来てんだろうな」

そのツアー客の中で たった一人だけ新卒の男性だけが
知っていたのか分かりませんが、私にこんな事を言ってきました。

新卒ツアー客
「ロシア人と絶対にしないとダメなんですか?
 お金を10倍出しても構わないから貴方じゃダメですか?」

私「はぁ〜?!(爆笑)私はロシアには学生と称して仕事の手伝いに
  来てるんですよ。私は日本で雇われてる商社の人間ではないので
  ちゃんとした理由がないと長くここにはいれないんです。
  観光も兼ねての長期滞在が目的でしたが
  観光どこの国じゃないですね。外出したくなくなります。」

外出したくなくなる理由としては遊ぶ場所がない、
襲われる可能性がある、梅毒が流行している。

下記はメルクマニュアル医学百科から一部引用した内容です。

「梅毒は第1期と第2期が非常に感染しやすい時期で、
梅毒にかかっている相手との1回の性行為で
感染する確率は約3分の1です。細菌は腟や口の粘膜または
皮膚を通して体内に入り、数時間のうちに付近のリンパ節に達し、
血流に乗って体中に広がります。」

これは聞いた話しですが、梅毒は一度感染すると
完治しても女性の場合の話しですが
子宮の中に痕として必ず残るそうです。

一度感染したら御相手にもよりますが必ずバレるという事です。
私は全てに対し本当に信じられないほど神経質になってしまいました。

口や粘膜や皮膚を通して体内に細菌が入るなんて怖すぎます!
皮膚を調べると陰毛同士での感染、特に陰毛は
毛に覆われているので患部が判り難いそうです。

私には妹がいますが妹の友達に女医がいます。
彼女が言うには、ここ最近日本でも梅毒感染者がまた
少しずつ増えてきてるそうです。

原因は酔っ払って不特定多数の人と
たまにキスしちゃう人っていますよね。
口内による粘膜感染です。

ロシア人は当時ほとんどの人が
アル中になりそうなくらい お酒を多く飲んでました。
酒に酔ってのキス魔は多かったです。

それとオーラルS●Xも口の粘膜に関係あるので
危険だそうです。感染しても見た目は普通にしか
見えませんので要注意だそうです。

梅毒意外でもオーラルS●Xで感染するヘルペスなどもあります。
だから私は潔癖症に近い性格になってしまいました。

少し話しがズレましたがロシアの話しに戻ります。

安易に人の手など触れない。
指のササクレなんかは特に感染し易く危険である。

老婆が「恵んで下さい」と言って小走りで走ってきた時、
それを見ていた他の連中も私たちに気付き小走りで何人も近寄ってきた。

私は当時、喫煙していた。私が喫煙した煙草の吸殻が欲しくて
みんな近寄ってきたのであった。

それと日本人のマサは中国製品のコカ・コーラを飲んでいた。
その瓶も欲しくて皆、近寄ってきたのだった。

老婆だけでなく若い男も鼻がなかった。
そして若い女も耳が半分以上 腐敗し欠けていた。

私は恐怖に怯え老婆たちに言った。

私「これ以上、近づくな!」

それでも老婆たちは私たちが持ってる物が
どうしても欲しく、こちらの言う事は全く聞こうとしなかった。

マサ「あの武器で追い払うしかない!」

その武器はGパンのベルトとして腰に巻いていた物だった。
見た目もベルト。触ってもフニャフニャした普通のベルト。

しかしこれが大変身を遂げる!
カチッ!と一箇所に力を入れるとベルトの金具部分が
竹刀の握り部分のように握り易く硬く変身する。

そして1本の物凄く硬い棒になるが
これがただの棒ではない。破壊力抜群の棒なのである。

さっきまでフニャフニャしていたズボン用ベルトが!!!!

実験的に石の壁を叩いたら壁の一部が砕けた。
多分、人の手や足は簡単に切断できそうなくらいの
破壊力だと推測されるほど とにかく凄かった。

例えば竹刀などで硬い物を叩いた場合、
自分の手まで痺れがくる事があるが
このロシアのベルトは自分の手が痛くなる事がない!

衝撃が途中で吸収されるので手が痛くならないので
相手を叩きのめして殺す事まで出来る棒だった。

私「猛獣用の一本鞭よりスゴイな( ̄▼ ̄;)
  これは見た目が普通のベルトだし便利だし
  なんか日本に持ち帰りたいな。
  痴漢撃退にちょうど良さそう。」

マサ「ロシアの空港はマフィアに金を握らせれば
   簡単に通過できるよ。ただ日本に到着してからが
   問題で日本の空港では絶対に通過しないし
   銃刀法違反で逮捕される可能性があるから止めた方がいい。」

日本人のエイちゃん
「ジェイソンみたいな鼻がない末期患者が多すぎて
 俺はその鞭で全員叩きのめしたいよ。」

私「万が一、死ぬ可能性があるから冗談でも叩くのは止めた方がいい。
  振りかざした時の あの鋭い音だけで威嚇できるから 
  それで十分だと思うし 奴らが近づいてきたらとにかく逃げよう。」

そして私は帰国出来る事になったが
またもや違う問題が出てきてしまった。

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この続きは だいぶ仕上がってますので来週には掲載できると思います。
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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第五章

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今日はまたロシア在住のころの違う話題を書いてみようと思います。
私は事故の後遺症で右半身が痺れ よく手や首、背中がつったりしますので
なかなかスムーズに文章が書けず長文に関しては更新が遅れます。

気持ちは どんどん書いて更新したいとこですが
文章力もあまりないため、書くのに時間がかかります(>。<)

このような事情ですので御理解のほど宜しくお願い致します。

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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第五章

私「この部屋は虫が多いなぁ。殺虫剤とか日本から持ってくればよかったよ。」

日本人のマサ「俺は前に来た時、色々持ってきたけど
          ゴキブリホイホイなんて あっという間に満タンになるから
          カネの無駄だと思って今回は持ってこなかったよ。」

私はゴキブリの卵を部屋の中でたくさん発見した。ゴキブリの子供がたくさん
産まれてくるのが怖くて潰そうと思ったが潰すのも気持ちが悪いし
紙で潰した場合、その触感がプチッと指先に
伝わるのが嫌で結局ライターで燃やす事にした。

紙とライターは当時貴重でトイレットペーパーがない時は
雑誌や新聞でお尻を拭いてよく切れたりしていた。これがまたかなり痛い(ノД`)

切れたお尻に持参してきたメンソレータムをぬると効果抜群!治ります!
ただし お尻がスースーしすぎて、鳥肌バリバリ立ちます(* ̄▼ ̄*)ノ"

体温5度くらい下がった感じ。外の気温は冬は−15度で暖かいほう。
メンソレータムをお尻にぬったら−20度は覚悟しておいた方がいいと思い
それを口実に「体を温めるんだー」と言いながら
よく酒を飲んでいた私はバカ丸出しだった( ̄▽ ̄;)

もちろん綺麗にしたお尻にぬらないとバイ菌入ります。
なんか、変な話に飛んでしまったけど・・・・(= ̄∇ ̄=)

私は思った。なんで硬い紙の切れ端を
トイレットペーパー代わりに使っているのか!┌(* ̄0 ̄)┐

「私のこの生活はいったい何なんだーっ!」といつも心の中だけで叫んでいた。
早く日本に帰りたいと いつも思っていた。

ゴキブリの卵をライターで燃やす計画は部屋の中で実行した。
周囲に日本人のメンバーが数人いる中、日本人のマサが突然叫んだ!

マサ「うわぁぁぁあ〜〜。」

私「おっ、脅かすなよ!ビックリしたなー。ゴキブリ見ていちいち騒ぐなよ!」

マサ「暴発して飛び跳ねたゴキブリの卵が目に入ったぁー!」

卵は火で燃やし始めると中の温度が上がり暴発するのである。
私は知らなかった。ゴキブリの卵を燃やすのは今は仕方のないこと。

パチッ!パチッ!と大きな音でポップコーンのように飛び跳ねるのである。
私は申し訳ないと思い謝りながらもライターで燃やす手は止めなかった。

私「とりあえず、これ全部燃やしたら止めるから。我慢してくれっ!」

私はゴキブリ退治で忙しく 他に退治する方法はないか
考えながら燃やしていたが やはり思い浮かばなかった。
マサは持参していた目薬をさして とりあえず大人しくなった。

その時だった。誰かがドアのベルを鳴らした。
開けてみるとロシア人のウォーバだった。

ロシア人のウォーバ
「元気だったか?今日はこの前 言っていた殺虫剤を持ってきた。
 遠慮しないで使ってくれ。使い方に気をつけないと息が止まるぞ!
 出来ればマスクが必要だが残念ながらガスマスクは持ってないから
 マスクの方は貸す事が出来ない。マスクなしで頑張ってくれ!」

私「ガスマスクがないと危ない殺虫剤?!どうやって使うの?」

ウォーバ「この殺虫剤は武器にもなるんだ。直接人にかければ
      窒息するくらい強力な物だから虫なんて全部死んじまうさ!
      アハハハハハ〜(爆笑)」

ウォーバは爆笑していた。
彼は少しアル中っぽく ちょっと抜けた事をたまに言う男だった。
酒の飲みすぎで まともな判断が出来なくなってるんだろうと私は思った( ̄▼ ̄*)

事実かどうか分からないが噂によると この殺虫剤は噴射と同時に
周囲の酸素を全部取り込んで消すらしい。

だから近くにいる人や動物が窒息して死に至るという事らしい。
ただこの噂は酔っ払いのロシア人が言っていた事なので
半分嘘のような気もするが軍人にカネを貸した代わりに
軍人が置いていった物だったらしい。

私は思った。何の為に軍人は殺虫剤を置く必要があったのか?!
担保のつもりだったのか?!なんか理解できず私も爆笑していた。

この時代のロシアは嘘が本当に多かった。
人を騙すのは当たり前のような人間もかなり多かった。

因みに私の身内はかなり仲良くしていたロシア人に
日本円で500万円、騙し取られたという実話がある。
正直どれを信じていいのか私たちは分からなかった。

日本人のエイちゃん「笑ってる場合じゃないだろー。これマジで使うの?」

私「これを使ったあとの食器類とか普通の洗浄じゃダメなんじゃないの?」

武器にも代わる殺人殺虫剤の詳しい使用後の事はウォーバもよく知らなかった。
ただ一つだけ分かってる事は殺虫剤を使う時は本来ならガスマスクが必要だということ。

ガスマスクというと私が一番先に思い浮かぶのはアニメのルパン三世でたまに
ルパンがガスマスク付けていたなぁーって事とアフリカのエボラ出血熱の時に
全員の医師がガスマスクみたいなのを付けて完全武装していた写真。

ガスマスクと言えば これしか思い浮かばない。
うわっ!エボラ出血熱っ!マジで恐いー( ̄Д ̄;
おっと!話しがズレそうになった。。。。

ウォーバは殺虫剤を使ったあと どうなるかよく知らなくても
とりあえず虫が死ねばいいだろーという軽い考えでマスクなしで
殺人殺虫剤を勧めてきた。彼は殺虫剤を置いたら千鳥足で帰っていった( ̄w ̄)プッ。

私「酔っ払いの言う事は聞かない方がいい。間違いなく死ぬぞ!」

マサ「俺が殺虫剤を後退りしながら小走りでスプレーして部屋を出て
    あとで掃除するって事で使ってみない?やっぱ虫が多すぎるよ!」

エイちゃん「レストランに日本人のDさんが働いているから
       何か日本から持ってきてるかもしれないから
       使う前に一度Dさんに聞いてからで遅くないんじゃないの?」

マサは早く殺虫剤を使ってゴキブリを全滅させたかった。
マサの心の中はゴキブリの卵が暴発し目に入ったあの怒りがおさまらなかったのである。

間違いなく、私のせいである。( ̄m ̄〃)ププッ!
笑っちゃいけないと思いながらも私は笑っていた。悪い女だっ!(¬w¬*)

当時のロシアでは娯楽が酒か煙草かチェスくらいしかないので
人の不幸を見ると心の中では悪いと思いつつ、どうしても笑ってしまうのだ。

多分、これは人間の心理として何かあるのだろうと、私は勝手に思っていた。

私たちはエイちゃんの言う通り 殺虫剤の使用をとりあえず止めた。
それからまた千鳥足で帰ったはずのウォーバが違う物を持って戻ってきた。

私「あれ?!また あいつ 来たぞ!( ̄∇ ̄)」

ウォーバが持ってきた物は意外な物で私が日本に持ち帰りたいと思えるような武器だった。
銃刀法違反で間違いなく逮捕される物だったので持ち帰る事は出来なかった。

夜の外出はほとんどしないようにしていたが どうしてもしないといけない時、
必ずこれを持ち歩くようにした。もちろん外出は一人では絶対にしない。
必ず数人で夜は外出するようにしていた。

外は食べ物に困ったホームレスの山になっていた。
病気も流行していたので映画の13日の金曜日に出てくる
本物のジェイソンみたいな怖い人間を私は何人も見た。

私はメンバーに言った。「あいつらはウィルステロだっ!近づくと感染させられるぞ!」
下手な武器よりもウィルスは目に見えないぶん本当に怖かった。

男も女もジェイソンみたいなのが いっぱいいた。
ジェイソンを追い払うのに 万が一襲われそうになったら この武器が使える。
私はそう思ったのでウォーバが持ってきた この武器を持ち歩いた。

そして夕方、暗くなりかけた時に事件が起こった。

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次回の予告編:ジェイソンの正体とは一体なにか?!
           なぜ私がロシアに行く事になったのか?!
           武器の正体とは一体何だったのか?!

この続きはまた来週から再来週くらいに時間が出来た時に書きます。

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第4章

この前のロシア在住の頃の続きを書きます。
こういった長文を書く時は後遺症が軽い日にしか
書けませんので少し日があいてしまいました(m--m)

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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第4章

事件があった前日に見た事がない軍人が私の部屋のベルを押しまくる。
覗き穴から見える軍服を着た男の姿。

ちょうど昼で私の他に3人の日本人男性が部屋にいたので
ドアを開けてみた。

私「用件は?」

軍人「 Токарев を5万で買ってくれないか?」

軍人は新しい型のトカレフ(拳銃)を
日本人の私たちに売りに来ていた。

当時は軍人が拳銃や武器など売ってはいけないものを
平気で横流しして金を儲けていた時代だった。

日本人のケン「日本円で5万は高いな。ふざけるな。帰れ!」

軍人「今すぐに金が必要だ。3万にするから買ってくれ。」

私は冗談で おちょくりながら
「1万くらいだったら買ってやろうか?!(笑)」

まさかの答えが返ってきた。それでもいいからと軍人は言ってきた。

日本人のエイちゃん
「やっちまったな〜。このままだと帰らないぞ。どうするんだ?」

私「その Токарев が本物かどうか分からないだろ。
  改造拳銃だったら手が飛ぶぞ。答えは「買わない」だ!」

日本人のマサ
「こいつらは何でも売りにくるからな。帰るよう俺が交渉するよ。」

軍人は渋々帰っていった。翌日の夜、突然事件が起こった。
この部屋に日本人が住んでるという事を軍人が知ってるのは
よくよく考えてみると おかしい。

最初 私が疑っていた右隣の職業不詳の男、こいつではなく
もしかしたら逆に住んでる左隣の妻と娘がいる家族。
ここの夫は軍人だった。情報が漏れるとしたらこっちの方が
もしかしたら怪しいかもしれない。

事件は深夜1時頃、突然始まった。
私は他の日本人メンバーと酒を酌み交わし飲んでいた。
「明日は特にやる事もないので朝まで飲もうか!」
こんな気軽なノリで皆で飲んでいた。

深夜1時を過ぎた頃、突然ドアを激しく叩く音が聞こえた。
それは異常な激しさだった。防弾扉は普通のドアと違って
手でノックしてもあまり音がこちらへ届かない。

ベルを鳴らしながら何か鉄パイプのような物でドンドン叩き続ける。
覗き穴を見るとそこには誰も立っていない。音だけがずっと聞こえている。
間違いなく叩いてる相手は覗き穴から見えない死角に
立って叩いているのがすぐに分かった。

私は小さい声でメンバーに
「これは普通じゃない。わざとやってる。どうする?開けてみる?」

日本人のマサ
「絶対開けるな!音もたてるな!銃で撃たれるか鉄パイプでやられるぞ!
 相手が死角に立ってるから見えないな。これが軍人だったら
 俺たちなんて奴一人で滅多切りだぞ。鍛え方が半端じゃないからな。」

深夜1時に始まって2時になっても音は止まなかった。
途中、相手もやり方を変えてきた。あまりにも私たちが出てこないので
今度は猫を使い始めた。猫を使い始めたのは音が鳴り出してから
1時間後の深夜2時を回った頃だった。

突然、ベルとドアを鉄パイプのような物で叩く音が止んだと思ったら
今度は猫の死ぬ寸前のような泣き声が聞こえてきた。
しかもその泣き声は朝の6時近くまで4時間近くにも渡る長時間。

覗き穴からは猫も見えない、やってる相手も見えない、
私は恐怖でたまらなかった。覗き穴から見える範囲に
猫と思われる血が大量に見え始めた。
猫はずっとギャーギャーと鳴き続けていた。

私は思わずメンバーに
「こんなに猫が何時間も鳴いてるからドアを開けてみようか?」

日本人のマサが言った。
「これが奴らの手口だ。引っ掛かるな!気になる事をわざとして
 ドアを開けさせる手口だ。奴らは身体を鍛えてる他に
 精神心理学も学んでる。これで引っ掛かって開けると必ず殺されるぞ!」

私は怖くて怖くてたまらなかった。他のメンバーも同じだった。
相手は見えないし何人いるかも分からない。

こちらの人数が多くても軍人が一人でもいれば簡単に殺される。
こんなに音がするのに両隣は誰も出てこない。

朝の6時近くになって ようやく猫の鳴き声が急に止まった。
私たちはすぐにはドアを開けず、朝10時頃になって
ようやく開けてみた。

覗き穴で見えていた血のような赤色は本物の血で
しかも大量にドア前に流れていた。

その血を辿ると右隣の職業不詳の男の部屋に続いていて
男の部屋の入り口に猫の死骸を引きずったような跡が残っていた。

なみなみに溢れたドア前の血を両隣の隣人たちは
血を踏まないと玄関から出られない状態なのに
誰もそれを掃除しようとはしなかった。

結局、犯人は分からず、猫の死骸も残っていなかった。
残っていたのは大量の血と猫の血で染まった足跡だけだった。

それから私たちは月に数回しかこない飛行機がやっときて
ようやく日本に帰国できた。

ロシアに少し残った日本人のメンバーは私たちよりあとに帰国した。
メンバーが帰国して2日目の出来事だった。
私はあとから帰国したメンバーから衝撃的な話しを聞いた。

「あの時、住んでいた あの部屋、日本人が全員帰国してから
 2日後に手榴弾が投げ込まれて爆破されたんだって。
 跡形もなく消えたって。俺たちが帰ったあとにロシア人が
 5〜6人、住み始めたらしく そいつら全員死んだんだってさ。
 日本人がいると勘違いして爆弾投げ込んだらしいよ。」

私も帰国があと1週間ほどズレていたら間違いなく死んでいた。
私はもう二度とロシアへは行きたくないと思った。

今は時代が変わり良くなったかもしれないが
本当に心底もう二度と行かなくてもいいと思った国の一つである。

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この話しはこれで終わりですがロシアの話しはまだまだあります。
ロシアのカジノでの出来事、書くと長文になるので
時間があって後遺症が弱い日に書きたいと思います。

私はこの他に交通事故も何度も遭っていますが、
私は昔、走り屋だったので(暴走族ではありません)
車が大好きでプチ改造したりしていました。

大きな事故の他に小さな事故の色々な話しや
交通違反に纏わるネタ的な話しもあります( ̄▼ ̄;)
もちろん全部実話です。

新潟中越震災の時、新潟に住んでいましたし
ロサンゼルス大地震の時に現地にいました。

  

本来、私はもう死んでいても おかしくない人間ですが
まだ生かされています。

神様や仏様は信じていませんが神様がもしいるのなら
「お前にはまだ やり残してる事があるから殺さない」
と言われてるような気がします。

自分では強運だと 勝手に思っています( ̄▼ ̄;)
ちょっと変わった経験をしてますので時間がある時に
体験談を少しずつ書いていこうと思います。

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第3章




昨日の続きを書きます。当時、話していた内容を登場人物を出して
分かりやすく書くつもりですが、文章が下手なので
うまく伝わらないかもしれません(^^; 当時の私はまだ若かったので
当時の話し方をそのまま書いてみようと思います。

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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第3章

ロシア人のワロージャが言った。
「最近この辺で犬や猫が消えるっていう噂があるんだ。
 変質者でもいるのか(苦笑)笑っちまうな」

友達のウォーリャ
「もし、そんな変なのがいたら俺がブッ飛ばしてやる。
 どうせ頭のおかしいアル中だろ。へへ〜、弱いもんさっ!」

私は思った。お前らもアル中みたいなもんだろっ!
でも私も人の事は言えないな( ̄▼ ̄;)

私もこのまま毎日飲み続けたらアル中になるのかなぁ・・・
寒すぎるし飲まないとやってらんないし。
結局、私も酒を飲む口実が欲しいだけだった。┫ ̄旦 ̄┣ 

多分こうやってロシア人たちはアル中が自然と多くなるんだろうなぁ。
私はお酒が飲めないロシア人を当時見た事がなかった。( ̄w ̄)

日本人のエイちゃん
「この前、酒が買えなくてアルコールランプのアルコール
 飲んでいたオヤジがいたけど、なんか失明したんだって」

私「えぇぇー!それはマズイだろー。いくら酒が飲みたくても
  やっちゃーいけないよなー。っていうか、どこのオヤジ?」

アルコールランプの燃料としてメチルアルコールは
ロシアの一般家庭ではわりと使う人が多かった。

日本人エイちゃん
「大学で中国人から聞いた話しだから誰か分からないけど。
 ナターシャは絶対飲んじゃダメだよ。」

私「私はアル中でもなんでもない!そこまで酒は好きじゃねーよっ(笑)」

私はロシアではなぜかナターシャと呼ばれていた。
日本語名が言い難いとの事で勝手に大学の教授が決めた名前だった。

私は思った。ナターシャって名前いっぱい いるんだけど(; ̄ー ̄A
こんな適当な名前の付け方でいいのかねぇ〜?!

なんて呼ばれようが私は関係ないんだけどさー
と言いつつも、正直あんまりナターシャと
呼ばれるのはなぜか気に入らなかった。

理由はナターシャと言う名前のロシア人女性が多すぎて
「ナターシャ、ちょっとこちらへ来て!」と言われても
どこのナターシャを呼んでるのかすぐに判断出来ないという理由で
ナターシャと呼ばれるのがホントーに嫌いだった。

日本人のケン
「そー言えば、ナターシャの隣の家のベランダにいつも毛皮が
 干してあるよな。あれってさ、あんなに多く何に使うのかねぇ?!」

日本人の一部の人間は私の事をアネさん、とかナターシャとか
色々な名前で呼んでいたけど ここではとりあえず呼ばれていた
名前で書きます。σ( ̄∇ ̄;)

ロシア人のワロージャ
「俺は見てないが帽子を作るんじゃないか?ナターシャ、
 いい毛皮が売ってる市場があるから皆で帽子とか見に行かないか?」

私は以前から気が付いていた。隣のベランダに小さなサイズの毛皮が
たくさん天日干ししてあるのを・・・・
あのサイズは間違いなくシカや熊などではない。
模様からしてトラ猫、三毛猫、あのての部類の猫の毛にしか見えなかった。

ロシア人のウォーリャ
「俺はこの前、ナターシャたちが来る前に部屋を掃除したりしたから
 隣のベランダは見たけど、あれはトラの毛だな。鋏で切ったんだな。」

私「トラなんて捕まえられるわけないし、だいたいどこにいるの?
   酒の飲みすぎで夢でも見てたんじゃないの?(爆笑)
   だいたいさ、トラなんてロシアにいるのかねぇ?!
   誰かが隣の中国から密猟する可能性はあるけどな(苦笑)
   国境を越えて切り刻んで持ってきたのか、ハハハハ(爆笑)」

私は思い出した。そう言えば熊と格闘した格闘家が大熊を素手で倒したって話し。
嘘だという噂もあったが、ニュースになるほど大々的に放送していた事を。。。。
トラかぁ・・・・もしトラがいたらありえるかもしれない。

日本人のマサ
「ロシア人はネタで嘘かもしれない程度の事件は新聞やニュースに出しちゃうから
 あんまり信用しない方がいいよ。大熊と格闘してるとこ それが事実なら
 本当に見てみたいもんだよ。アハハハ(爆笑)」

右隣の職業不詳の男は飲みすぎていて かなり体重もある大男だが
人を見た目で判断するのは失礼かと思いつつも、私は勝手に判断してしまった。

職業不詳の隣人は絶対に俊敏に動くような体はしていなかった。
トラと格闘?!ありえないな・・・・
トラを殺すとすれば猟銃じゃないとトラを確保する事は出来ないと思う。

間違いなく あの毛皮はトラじゃない!
最近、犬や猫がいなくなってる事件には
絶対この男が絡んでいる・・・と私は睨んだ。

そして まさか こんな体験をするとは夢にも思わなかった。

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日本ではありえない事です。こんな事をしたら警察に必ず逮捕されます。
ロシアの話しの続きは来週になります。ロシアの体験談の話しは長文になるため
時間がある時にUPしていきたいと思います。



旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第2章

昨夜の息子はミオクロヌス癲癇発作が少し出ていて苦しそうでした。
パニックは一昨日は凄かったけど昨夜はかなり軽めで終わりました。

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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第2章

昨日の続きを書きます。
ロシアでは当時かなり貧困な人々が多く お金がある人は仕事に成功してる一部の人間か
マフィアか国家権力がある人間など限られた人たちだけでした。

性病である梅毒も流行していて とても危険な国でした。
指の小さな傷口からバスなどの手摺り経由に梅毒感染者も多くロシアだけでなく
日本でも数年前から比べると色々な性病が増えてるそうです。

色々調べたら梅毒は性交渉をしなくても毛根から皮膚感染する場合があるそうです。
梅毒以外でも皮膚感染をする性病はいくつかありました。
私はロシア在住をキッカケに潔癖症に近い性格になってしまいました。

私はロシア人から見たら ただの外国人でしかないので当時は狙われる危険な対象でした。
必ずロシア人は当時、外国人を見ると「どこの国の人間だ?」と聞いてきます。
私は必ず「中国の北京出身だ」と嘘をついていました。

当時、ロシアには多くの中国人留学生が仕事をしに来ていました。
私は自分が日本人だと周囲に知られすぎると 身の危険があると感じたので
中国人留学生に混じって うまく誤魔化して生活していました。

町は小さいので大学に日本人が通学しているという噂は一部に知れ渡りました。
私が住んでいた部屋だけは他の家にはない防弾扉で鍵が何個も付いている部屋でした。
アパートのような集合住宅で最上階にあって防弾扉というのは ここしかありません。

夜はどこのアパートも電気は付いていません。なぜなら電球は高価な物だったからです。
100円ライターを持ってるだけで「こいつはスゴイ!金持ちだな!」と言われる時代でした。
コカ・コーラを飲めば「その瓶をくれないか?」と大人も子供も言い寄って来ます。

アパートに住んでいた時、私の部屋は真ん中で数人の日本人が出入りしていました。
左隣は軍人の夫と妻と娘、右隣は職業不詳の男でベランダに間違いなく猫を何匹も
殺して剥がした猫の毛皮が干してある家で ここから事件が起こりました。
続きはまた明日に書きます。

旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第1章

夕べのタカチャンは大パニック障害炸裂で大変でした(><)
薬がなかなか効かず、薬を飲んだあとに更に市販の
【第2類医薬品】 お得な2個セット!宇津救命丸<銀粒>×2 【あす楽対応_東北】【あす楽対応_...
を飲ませました。寝たのが0時過ぎていたので朝心配でしたが大丈夫でした。

いつも自分の書いたブログを読み返して「なんて、つまらないんだろう」って毎回思います。
とりあえず、息子の話題も書きながら本当に体験した実話を書いていこうと思います。
だからといって、面白いわけではありませんが・・・・(; ̄▼ ̄)
 
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旧ソビエト連崩壊後のロシア在住のころ 第1章

私は十数年前、ソビエト連邦が崩壊後、期間は短いですがロシアに住んでいた事があります。
当時は一般の外国人の入国が難しい時代でした。
私と数人の日本人はinvitationをもらい個人的に渡航できました。
一応、向こうではロシアの大学に通いながら在住という形をとっていました。


名前などは伏せていますが↑当時の学生証です。

あの時代のロシアは何でもあり!みたいな考えられない貧困な時代でした。
今はロシア人もお金持ちの人が多いですよね。

私がお酒が強くなったのもロシア人たちと飲み比べをしたせいかな?! ってたまに思います。
今はあまり飲まないし弱いです。酒はロシア人に勝った事もあります(笑)

ロシアでは当時、飲酒運転は当たり前、お金で警察買収、軍人買収、色々ありました。
飲酒運転しないと-15度とか-20度の寒い中、車の中に入れないくらい寒いんです。

崩壊して一番貧乏で苦しい時代だったので誰も暖機運転などしないし
私はマグロの冷凍庫の中にいるみたいだなーっていつも思ってました。

住んでいると日本から見えないものが たくさん見えてきます。
今ニュースでもロシアの大統領が北方領土を色々言っていますよね。

私は大金を騙されて事業に失敗した日本人を何人も見てきました。
誠実にこちらが対応しても当時のロシア人は難しかったです。
これは現地に駐在していた商社の人間もみんな口を揃えて言っていました。

あれから十数年経った今、ロシア人の根本的な性格はまだ当時のままなのでしょうか?
私は変わってほしいと思っています。

恐い思いもしました。いくつかお話ししたいと思いますが長くなるので
この続きはまた明日にします。


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Natari
★ブログをいくつか分けて更新していましたが、こちらのブログはヤプログへ半分移転しました→ http://yaplog.jiheisyo.com/ 過去記事はここへ、このまま残しておき更新は不定期です。◆自閉症・パニック障害・多動症・自傷行為・睡眠障害・ミオクロヌス癲癇(てんかん)・両膝離断性骨軟骨炎・など複数の病気をもつ息子と私の生活日記です。日々の変化はあまり見られませんが少しでも世間の皆様にこういった病気があるという事を知って頂きたいです。◆息子の話題がない時は、『 独り言ブログ&私の体験談 』 に変更し書き綴らせて頂きます。※ブログ内容には著作権がありますが、リンクフリー(アダルトサイト不可)です。
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