2012年09月03日
鉄橋(2)
先日、鉄橋の話をご紹介させていただいたところ、ご興味を持ってくださった方々がいらっしゃいました。
今日はその事について詳しく書かせていただきます。
戦時中のこと、本土への空襲が激しくなっていた、昭和20年7月30日の夕方、
県都方面から県南へ向かう下り列車がこの鉄橋にさしかかったその時、
突然、艦載機グラマン2機が飛来してきて、列車に投爆しました。
動かなくなった列車になおも機銃掃射が浴びせられ、列車の天井、座席はみな吹き飛びました。
乗客たちもまた・・・
![](/inakanoko/file/145/RFNDXzAwNjIDyQ.JPG)
直ちに、警防団や婦人会、町内会の人たちが救助にあたりましたが
30余名の方々が亡くなり、多くの負傷者を出しました。
長閑な田舎にも戦禍が及んだことは、残された地元の人たちにとって、
痛烈な出来事として、心に刻まれ今に語り継がれています。
現在は何事も無かったかのように、長閑な風景の中を、
1両だけの車両が1時間に上下1本ずつぐらい、この鉄橋を通過していきます。
鉄橋の袂の堤防斜面には、ひっそりと平和の碑が立っていて、
今回、私はその碑の説明を元にこの記事を書かせていただきました。
晴れた長閑な空の下で、焼けたアスファルトの上に立って碑に書かれた説明を読む自分、
当時の人々の命の上に立たせていただいているような気持ちになりました。
今、自分が平和に生きられることに感謝の念を感じずにはいられませんでした。
![](/inakanoko/file/145/RFNDXzAwNTICxw.JPG)
今日はその事について詳しく書かせていただきます。
戦時中のこと、本土への空襲が激しくなっていた、昭和20年7月30日の夕方、
県都方面から県南へ向かう下り列車がこの鉄橋にさしかかったその時、
突然、艦載機グラマン2機が飛来してきて、列車に投爆しました。
動かなくなった列車になおも機銃掃射が浴びせられ、列車の天井、座席はみな吹き飛びました。
乗客たちもまた・・・
直ちに、警防団や婦人会、町内会の人たちが救助にあたりましたが
30余名の方々が亡くなり、多くの負傷者を出しました。
長閑な田舎にも戦禍が及んだことは、残された地元の人たちにとって、
痛烈な出来事として、心に刻まれ今に語り継がれています。
現在は何事も無かったかのように、長閑な風景の中を、
1両だけの車両が1時間に上下1本ずつぐらい、この鉄橋を通過していきます。
鉄橋の袂の堤防斜面には、ひっそりと平和の碑が立っていて、
今回、私はその碑の説明を元にこの記事を書かせていただきました。
晴れた長閑な空の下で、焼けたアスファルトの上に立って碑に書かれた説明を読む自分、
当時の人々の命の上に立たせていただいているような気持ちになりました。
今、自分が平和に生きられることに感謝の念を感じずにはいられませんでした。