2016年01月25日
卒乳の練習
1歳8か月の次男くんです。
一昨日の晩、薬を飲んだこともあり、初めておっぱい無しで夜を乗り切ることを試みました。
ぎゃん泣きでした。
長い時間、泣いて暴れて、それはもう凄かったです。
ひとしきり泣かせた後、夫の低い怒った声で言い放った
「もう寝ろ!」
で、やっと寝てくれました。
夫の声で言うと効果があるので、助け舟を出してくれたのです。
必死におっぱいに縋りつく姿はとても可哀想で、胸が痛みました。
次の日の午後から、またおっぱいを再開しました。
その日の夜は、おっぱいを欲しがりませんでした。
起きてむにゃむにゃしても、「寝ようねー」と言うと寝てくれました。
最近は、一緒にお布団に入ってくれるようにもなりました。
朝方は、ふと目を開けた次男くんと布団の中で目が合いました。
次男くんは、ふっと少し笑ってまた目を閉じました。
お母さんがいるのを確認して、安心したようでした。
ああ、成長したんだな。
と思いました。
心の奥が、すうっとした感覚になりました。
寂しいのです。
子どもの成長の中で「親離れ」の部分は、やっぱり寂しいです。
私に向かって沢山泣いても縋ってきても、その時が来ると、ふっと前だけ見て歩き出してしまう子ども達。
一瞬、置いて行かれた気持ちになります。
少し話が逸れますが、子育てで何が素晴らしいかというと、子どもの成長に応じて生活がどんどん変化していくことだと思います。
もともと保守的で変化を嫌う私ですが、子どもの成長に合わせて、否が応でも自分も変わっていかなくてはなりません。
でも、最初はしんどかった色んな変化も、慣れてくるととてもいいなと思いました。
変わらない毎日を守る生活よりも疲れますが、楽しいからです。
変化のある日常は楽しいです。
子ども達が居なかったら、この自分になることはできなかったと思います。
育児という荒療治で、自分が変わる事ができてとても嬉しいです。
今は、卒乳の足音が聞こえています。
最後の「おっぱい」が、終わりを迎えようとしています。
時には寂しさを伴う「変わっていく日常」ですがその寂しさごと飲み込んで、私も子ども達のように前に向かって「変化」して行けたらいいなと思いました。
一昨日の晩、薬を飲んだこともあり、初めておっぱい無しで夜を乗り切ることを試みました。
ぎゃん泣きでした。
長い時間、泣いて暴れて、それはもう凄かったです。
ひとしきり泣かせた後、夫の低い怒った声で言い放った
「もう寝ろ!」
で、やっと寝てくれました。
夫の声で言うと効果があるので、助け舟を出してくれたのです。
必死におっぱいに縋りつく姿はとても可哀想で、胸が痛みました。
次の日の午後から、またおっぱいを再開しました。
その日の夜は、おっぱいを欲しがりませんでした。
起きてむにゃむにゃしても、「寝ようねー」と言うと寝てくれました。
最近は、一緒にお布団に入ってくれるようにもなりました。
朝方は、ふと目を開けた次男くんと布団の中で目が合いました。
次男くんは、ふっと少し笑ってまた目を閉じました。
お母さんがいるのを確認して、安心したようでした。
ああ、成長したんだな。
と思いました。
心の奥が、すうっとした感覚になりました。
寂しいのです。
子どもの成長の中で「親離れ」の部分は、やっぱり寂しいです。
私に向かって沢山泣いても縋ってきても、その時が来ると、ふっと前だけ見て歩き出してしまう子ども達。
一瞬、置いて行かれた気持ちになります。
少し話が逸れますが、子育てで何が素晴らしいかというと、子どもの成長に応じて生活がどんどん変化していくことだと思います。
もともと保守的で変化を嫌う私ですが、子どもの成長に合わせて、否が応でも自分も変わっていかなくてはなりません。
でも、最初はしんどかった色んな変化も、慣れてくるととてもいいなと思いました。
変わらない毎日を守る生活よりも疲れますが、楽しいからです。
変化のある日常は楽しいです。
子ども達が居なかったら、この自分になることはできなかったと思います。
育児という荒療治で、自分が変わる事ができてとても嬉しいです。
今は、卒乳の足音が聞こえています。
最後の「おっぱい」が、終わりを迎えようとしています。
時には寂しさを伴う「変わっていく日常」ですがその寂しさごと飲み込んで、私も子ども達のように前に向かって「変化」して行けたらいいなと思いました。
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