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2018年12月07日

老人小説「冥途の土産」(6)





 部屋に入ると不思議な感じがした。新聞がたまってしまっていた。チャイムが鳴る。

「はぁい」

 禿げ頭の不動産屋だった。

「どうされました?旅行でも?」

「そんなところね」

「長期の外出されるときは言ってくださいね」

「はいはい、わかってます」

 ドアを閉めて、なんで同じ人間なのにあんなにも違うのかしらと考えていた。無意識に相葉くんと不動産屋を

比べていた。急に記憶が蘇ってくる。美味しい牡蠣やワインのこと、救急車の中の相葉くんの不安そうな表情。

病室で傷ついたこと。

 とりあえず落ち着くために洗濯をし、掃除をした。部屋をきれいにすると頭と心がスッキリする。みつの部屋には

写真というものがない。89歳にしては部屋をきれいに保っている方だ。昭和一桁の人間はものを捨てることが苦手だ。

なんでもとっておくと聞いたことがある。他人にとってはゴミでも本人にとっては大切な思い出なのだろう、と思う。

無理に捨てさせるとロスになって精神病を引き起こすと聞いたこともある。

 ベランダの植木に水をやっていると雨が降ってきた。遠くで雷が鳴っている。光った。もう相葉くんには会えない

のかな。パチンコ屋へ行けば会えるかな。そうだお礼を持っていこう。お礼はお金がいいかな。それとも。

楽しい。こんな時間今までなかった。好きな人を想って、何をしてあげようか考えている時間。幸せなひととき。

ふと下を見ると、傘をさしてウロウロしている人がいる。じっと見ているとその人が上を見上げた。

「相葉くん!」

「みつさーん」

相葉くんが手を振っている。なぜ?どうして?玄関を開けると、相葉くんが立っていた。花束を抱えて。

「病院へ行ったら、もう退院したって」

「病院へ?ごめんなさい!でもどうして?」

「昨日はなんか失礼なこと言っちゃったかなと思って」

 昨日の傷つく言葉を思い出したが、ぐっとこらえた。

「そんなこと」

 相葉くんの髪が少し濡れている。

「よかったら入って」

 男性を部屋に入れるのは、初めてである。

「思った通りだ」

「え」

「うちのばあちゃんとは違う」

 みつはめまいがした。これは夢ではないだろうか。いや、もしや、自分は既に死んでいて死後の世界にいるのでは?

ふらつくみつの腕を相葉くんがつかんだ。

「あっ」

 勢いがついて相葉くんの胸に顔がくっついてしまった。

「ごめんなさい」

「いいんですよ」

「なんでそんなに優しいの?おばあさんだから?」

 みつの目には涙が滲んでいる。

「なんでかなぁ。たぶん好きだから」

「からかってるの?」

「ラブというより、ライクの方の好きかな」

「わかんない」

みつは、プイと部屋の中へ入る。胸のドキドキが止まらない。十歳くらい若返っているのがわかる。

十歳若返っても79歳だが。




hanaaziblue.jpeg




 お茶を淹れてテーブルを挟んで座った。

「そうだ、音楽でもかけましょう」

 みつはクラッシックが好きだ。相葉くんも好きだと言う。

「趣味が合いますね」

「あなた不思議な子ね」

 と言いながらタオルを渡す。

「このお茶おいしい」

「レディグレイっていうの」

「へー、みつさんみたいな名前」

 確かに、みつの髪はグレイだ。染めるのは好きではない。レディグレイか。悪くない。

「それで、彼女はいるの?」

「いるよ」

「やっぱり。セックスはしているの?」

「もちろん」

 がっかりした。すっかり性欲がなくなっていると思っていた自分がまさかこんな気持ちになるなんて。

 相葉くんはまだ二十一歳。子どもから大人になったばかり。そもそも二十歳が大人なんて法律上の決まりなだけ。

男の心は何歳になっても子どものまま。相葉くんは孫なんだとみつは自分に言い聞かせてみる。でもやっぱり違う。

男性として意識してしまう。相葉くんがパチンコ屋でアルバイトをしているのは作家として食えないから。

彼は売れない作家だ。みつは運命を感じた。本が好きだし作家に憧れている。

「最近はどんな本を書いているの?」

「かわいいおばあさんの恋の話」

 みつは黙る。自分のことであってほしいような、ほしくないような。複雑な気持ちになった。なんでこんな人生の

終わりの時期に、人生で一番ときめく出来事が起きるのか。ないよりはあった方がいいような気はするが。

「こないだのお礼をしたいんだけど」

「みつさんのヌードが見たい」

「冗談でしょう?」

 相葉くんはじっとみつを見つめている。みつは体が熱くなっていくのを感じていた。体が火照る。

夫に抱かれた時にもなかった快感。相葉くんは立ち上がって音楽をクラッシックからロックにかえた。

そして、踊り出す。若い男の体が躍動するのを間近で見るのは久しぶりだ。みつの体も自然にリズムをとる。

外は雨が降っていて二人の叫び声も笑い声も消してしまう。辺りは暗くなり、照明が必要なほどだ。

 みつは恍惚とした表情で体を揺らしている。

「エンドルフィンって知ってる?スポーツをすると出る幸せホルモン」

 みつはいいえと首を横に振る。

「オキシトシンは?」

 みつはさぁと首を横に振る。

「スキンシップをすると出る幸せホルモン。愛しい存在を見るだけでも出る」

「いま、でてる」

「悪くないでしょ?」

 みつはウンウンと首を縦に振る。そうか。スポーツをすると幸せを感じることができるのか。知らなかった。

スキンシップなんてもう何十年としていない。自分が幸せではない理由がはっきりした。そして、もしかしたら

今日が分岐点となって幸せになれるのかもしれない。この若い青年によってもたらされたチャンス。





つづく

※この物語はフィクションです。

コピーライトマーク齋藤なつ








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