2018年07月19日
書評『桜桃』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、太宰治様の「桜桃」です
このような方にお勧めです
「夫婦 親 酒飲み」
著者の方のプロフィール
「1909年青森生れ 小説家」
まとめ
「ヴィヨンの妻」「秋風記」「皮膚と心」「桜桃」と、4つの作品が書かれている
表題となっている「桜桃」に関して書こうと思ったが読んでみて「ヴィヨンの妻」が今の
私にとって印象深い作品のためこれに決めた
太宰の作品に登場する作家はどれも今の時代には存在できそうにもない、いかれた人格の持ち主だ
妻や子供、自分の周囲にいるおのたちに多大な迷惑をかけ、シラッと乗り切る
乗り切っている本人はもしかしたら少しは反省をしているのかもしれないが、その反省は未来へとは活かせれていないように思う
そんな旦那を見捨てもせずに妻として今できることをすることで旦那のケツを拭いていく
なぜ見捨てることをしないのか?そもそも出会いはどのようなものだったのか?付き合い当初からこのような男だったのか?出産には立ち会ったのか?子供の名前はどちらがつけたのか?そんな疑問がドンドン湧き出てくる、その度に開いていた本を閉じては想像をして、「ヴィヨンの妻」を読んでしまう
生きていさえすればいい…確かにこの時代ではそれで済んだのかもしれないが、今の我々が生きる現代は「生きてさえすればいい」という言葉だけを信じて日々を暮らしていたのでは精神が病むか、体が病んでいく(私としては精神が病んでいく方が先だと思うが)
どのように生きるかに多くの人たちは囚われている現代社会に、その日暮らしで乗り切れるほど世間は寛大ではない。それを行う目的は?意味は?まだ実家暮らしなの?何がしたいの?将来の目標は?明確なビジョンはあるのか?時間管理が大切!人生は逆算で考えろ!売上を上げることだけ考えろ!そして終いには、生きる目的は?
そんな言葉が世間から浴びせられ、さらに自分で自分に対して問いだしてしまう、この時代に生きるだけでは生きてはいけない
生きてさえすればいい…いつの時代でもそれは親が子に思う気持ちである
太宰の作品では子供を思う親心を描いた小説がないように思う(すべてを読んだわけではないが)、もちろんこの作品にも子供は登場するが父親と子供の触れ合いは描かれていない。もしかしたら太宰は「生きてさえすればいい」という言葉を作品の中に使用したのは親心を太宰なりに表現したのではないかと私は感じた
さて次なる太宰の作品は「斜陽」、いつ頃読めるだろうか…
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
桜桃 (ハルキ文庫) [ 太宰治 ] |
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