2018年04月10日
書評『愛その他の悪霊について』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、G・ガルシア=マルケス様の「愛その他の悪霊について」です
このような方にお勧めです
「愛する人が世間から冷たい目で見られているが自分はそれでも愛している人 愛し方を知らない人」
著者の方のプロフィール
「1928年コロンビア生れ 67年空前のベストセラー「百年の孤独」の著者 多数あり(迷宮の将軍 落葉 コレラの時代の愛など)」
まとめ
デラウラに親近感を抱かずにはいられなくなった
人は一時の癒しや安らぎを求めて一人出かけるときがある
目的地は人それぞれで、海、山、田舎、森林といった具合に自然の中に自分の置くことで不安や恐怖やストレスから一瞬でも解放されるべく行く
私も以前まではそうであった
しかし、海に行っても山に行っても、森林や小川に行ってみても自分の求めていた一瞬の安らぎは得られなかった
ではどこにそれを見つけたのか?
その場所こそがデラウラと同じような場所である
正確には違うが景色は一緒
デラウラは、その場所が図書館であり
私は、本屋さんなのだ
本屋さんが自分にとっての今現在の癒しスポットであることを知ってから、デラウラと出会った
そのためデラウラが図書館を選んでいることに大きく感銘を受けてしまった
しかしそれ以外は共感できるような行動はなかったが…
デラウラは少女に対する愛し方の表現方法と行動が今の現代の考え方から見れば曲がりまくっている
もっとストレートに奪うようにしてしまえばいいのにと思いまくる
しかしどこで少女を愛することに至ったのか、それは謎だ
思うにそれこそが悪霊の仕業であったとさえ思う
人の恋心をもて遊び、そして引き裂いていく悪霊に憑りつかれてしまったデラウラ
なぜたくさんの書物を読んできたデラウラは客観的に自分を見る、という考えが出てこなかったのか
自分を見れるのは他人だけと思い込んでいたとしても、多くの書物の中でそれを指摘する一文は多くであったとことと思うが
そこには引っかからなかったのだろうか
いや、もしかしたら引っかかっていたかもしれない
忘れないようにどこかの紙に一文を書いていたかもしれない
そうだとしたら、そんな自分に影響を与えていたであろう一文すらも消え失せさせてしまうほど愛の魔力はデラウラを悪い意味でむしばんでいったのだろう
この時代の小説には黒人奴隷という言葉が必ずと言っていいほど登場してくるのは、やはり時代背景からくる影響なのだろう
さて今日は葡萄でも買って室内から窓の外を眺めながら一粒ずつ食べることにしよう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
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