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2015年10月20日

読書感想文『遊生上手』  おすすめの文章と自分なりの感情

DSC_1276.JPGこんにちわ小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております

今回のご紹介する本は、斎藤茂太様の「遊び上手は生き上手」です

斎藤茂太様。1916年生まれ。医学博士。斎藤病院名誉院長。日本精神科病院協会名誉会長

気になる文章
●オランダの歴史学者ホイジンガは人間を定義して「ホモルーデンス(遊ぶ人)」と呼んだ
人間は何をするにせよ、遊びの要素を持っている
例えば、生きる本能に従えば、魚を捕まえて食べるためである。しかし、魚を釣ること自体が目的となって、遊びやスポーツとしての釣りをつくってしまう
面白いことでも、そればかりしていれば退屈してくる
退屈もまた人間に創造的な活動を促し、そうしてまた新たな面白さ、遊びを求めていく。それが限りなく続く。これこそ好奇心であり、人間の活動の言動である

○小谷中広之の感情・・・何をするにでも遊びの要素を取り入れていこう。今日の仕事も明日の仕事も嫌々やるのではなく、どうすれば面白く仕事ができるのか、楽しく仕事ができるのかを考えながら、そして考えついたらすぐに行動に移して生きよう

●世界で最初のロケットが飛んだのは、リンドバーグが大西洋を横断した一年前の1926年の3月16日、アメリカのクラーク大学教授、ロバートゴダードによって打ち上げられている
ロケットは三段式で、全長たったの3メートル、飛行時間たったの2.5秒、最高時速90キロ、飛行距離56メートルである。記録的には何とも情けないが、しかしロケットが宇宙に向かって飛んだという事実が大切なのだ
宇宙開発が本格化するのは何といっても、第二次世界大戦の終了を待たねばならない。1957年10月4日、ソ連が人類最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。その翌月3日には、ライカ犬を乗せたスプートニク2号の打ち上げにも成功した。地球の周りを回った生き物はライカ犬ということになる
アメリカも宇宙開発に負けるものかと、翌年の1月31日、敗戦国ドイツから連れてきたヴェルナーフォンブラウン博士が制作したエクスプローラー1号がケープカナヴェラルから打ち上げられ、軌道に乗ることに成功した
これ以後米ソの熾烈な宇宙開発競争が続く。人類最初に人工衛星に乗ったのは、ソ連のガガリーン少佐だった。1961年4月12日のことである。ガガリーン少佐は地球を一周して生還したが、「地球は青かった」という言葉は今でも印象に残っている。月に初めて降り立ったのは、アームストロング船長とオルドリン少佐を乗せたアメリカの宇宙船、アポロ11号だった。1969年のことである

○小谷中広之の感情・・・クラーク大学教授とロバートゴダードによって打ち上げられたロケットにはたくさんの後世の宇宙を夢見る人々にとっての先駆けとなったであろう。ロマンたっぷりのそのロケットの発射の瞬間は、人類ではだれも試みたことのない行動、行動力に胸がときめきまくっていた人々がたくさんいたに違いない

●19世紀末になると、この人類の夢も本格化する。1893年にドイツのリリエンタールはベルリン近郊のリヒターフェルデに築かれた人口の丘で自作の単葉グライダーの飛行に成功している。最初の飛行はわずか25メートルだったが、彼の滑空理論はライト兄弟に受け継がれることになる。リリエンタールは1896年にグライダーの実験で突風を受け、失速し墜落し、一命を落としている
1900年にはツェッペリン伯爵がつくった巨大飛行船が、南ドイツのボーデン湖上を飛行している。この世界最初の硬式飛行船は400メートル上空を17分飛行したが、その直後故障で船体は真っ二つに折れ、湖に墜落してしまう。彼は当時、狂人扱いされたという記録がある
100年前人類が夢見た「空の旅」は実現したじゃないか。夢見ることを忘れたくないものだ

○小谷中広之の感情・・・夢を見ることを忘れず、そしてそれに突き進んでいけば、必ず見えてくるものがある。夢が完全にすべて叶うかどうかも大切かもしれないが、なによりもそれに向かうことが最も大切ではAだろうか

●1903年にライト兄弟が政界ではじめてヒコーキで空を飛んで以来、ヒコーキでの空への挑戦と冒険が始まる。ライト兄弟が先人の意思を次いで、苦心惨憺(クシンサンタン)にして1分にも満たない飛行を成功させた、わずか24年後には、人類はひこーきで大西洋を横断してしまう
1927年5月21日1時24分、十万人の観衆が見守る中、パリのブールジェ空港に一機のヒコーキが着陸した。このヒコーキこそ、弱冠25歳のパイロット、リンドバーグの操縦するスピリットオブセントルイス号であった
長時間の飛行を可能にするためには、大量の燃料が必要になる。何しろ大西洋の上を飛ぶのだから給油などは思いもよらない。セントルイス号は期待を軽くするために、燃料計や無線機も取り外さなければならなかった。それでもヨタヨタとやっとのことで着陸に成功した
無線機がないのだから、他との交信はできない。全く孤独な一人旅である。単調なフライトで、頼れる友は愛機だけである。33時間半といえば、2昼夜である。当然眠くなる
後半は、ほとんど睡魔との闘いだった。人間の体力への挑戦でもある。眠ってしまったら、それこそ即墜落である。大西洋横断などという傲慢な挙に出た報いだなどといわれよう。何としてでもパリの街が見えるまで頑張らなければならない。必死に眠気をこらえて操縦する。しかし、なかなかパリは見えない。果たして自分は正しい方向に飛んでいるのだろうかという不安がよぎる
につかめの夜だ。真っ暗な中を飛行し続けて数時間、ようやくリンドバーグの目にパリの灯が見えてきた。彼はじっと目を凝らす。あまりの眠さのために、幻を見ているのではないか。いや、あれは確かにパリの灯だ。そう思った瞬間、彼は愛機に向かって叫んでいた
「翼よ、あれがパリの灯だ」

○小谷中広之の感情・・・いくつになっても冒険心は大切な友達である。一心不乱に飛行し、遂にパリの灯が見えた瞬間の「翼よ、あれがパリの灯だ」。この言葉を発したのは、心の奥底からの言葉だったに違いない。友は愛機だけ、ねぜ翼だったのかはきっと、操縦席から見渡すと愛機の中でもっとも翼をよく目にしていたからに違いない

●いつも「遊び心」を忘れない。そうすれば、苦労も楽しみに変えられる
○小谷中広之の感情・・・目の前のことをどうすれば楽しめるかを自問自答しながら、行動して生きていこう

●思い立ったら何としても旅に出てみよう。新たな世界が始まるはずだ
○小谷中広之の感情・・・休日の朝、目が覚めて、旅に出たくなったら、即出発だ。持ち物は「財布、携帯、本があればいい」

●親子代々ゆかりの地を旅する。そんな親子のきずなを強めるたびもある
○小谷中広之の感情・・・親子代々ゆかりの地、もっともな地は、先祖代々の墓地(お墓参り)である

●道楽は中途半端にせずに極めてみよう。必ず何かで役に立つ
○小谷中広之の感情・・・仕事は楽しく、遊びは真剣に



ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです

この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。






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