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2019年07月30日

想い還りし夜


お狐様の突然の発現に息を呑む俺達。

優子さんがお狐様に憑かれたのは何年振りだろうか。

もう、十年以上前になるのだな、等と脈打つ心臓とは裏腹に思考は妙に冷静に過去を想い出していた。

「お久しぶり、ね。○○さん...そして、あなた(晃)も...」

口の端を上げ、微笑う彼女。

ぞくりとするほど妖艶なのだが、同時に冷たい戦慄を覚える。

俺は、頭を振りながら精神を統一し、大きく息を吐いた。

「なぜ、出てこられたのですか?」

俺が尋ねると同時に、晃がビクッと震える。

「ご挨拶ね。久しぶりに逢えたのに。あの方に対しては弱気なのに、私には随分とキツく当たるのね」

甦る、苦く切なく、そして少しだけ甘い記憶。

お狐様に憑かれた優子さんを晃が抱きしめて鎮めた夜。

あれ以来、彼女が現れる事は無かったのだが...

「なぜ出てきたのかは解っているでしょう?あの時の私の言葉、忘れていない筈よね。貴方達なら」

・・・確かに、覚えている。

彼女は言った。

俺の心が変わった時、また逢いに来ると。

「覚えています。だけど俺の心は変わっちゃいない。俺はオオカミ様だけを愛し続けている」

彼女の微笑が、嘲笑う様に変わった。

「そう。その答えがあの方を見守っていくって事なの?自分の気持ちを伝える事無く」

ふん、とせせら笑う。

「触れてはいけない時には抱きしめたくせに触れられるようになったら諦めるなんて、貴方と結ばれるために御身をヒトにまで落としたあの方が報われないわね」

その言葉に俺は驚愕した。

俺と、結ばれる為に...。

その時、がた、と物音が聞こえた。

俺と晃はビクッと驚き、物音のした方を見る。

そこには、沙織が見覚えのある少女と手を繋いで立っていた。

記憶の中から愛らしい姿が甦り、その少女と重なった。

あれは、詩織...

「詩織ちゃん...」

俺が呟く。

詩織は俺の記憶の中に有るままの天使の様な微笑を見せ、すっと消えてしまった。

「優子!」

晃が叫んだ。

驚いて振り返ると、倒れこんだ優子さんを晃が抱きとめた所だった。

その顔はお狐様のものではなく、既に優しげな優子さんのものに戻っている。

呆然と立ちすくむ沙織。

消えてしまった詩織。

倒れこんだまま意識の無い優子さん。

あまりの急な展開に俺と晃は混乱した。

俺は深呼吸をして、優先順位を確認する。

まずは優子さんの状態だ。

「晃、優子さんはどうなっている!?」

とりあえず正常に息をし、脈も大丈夫。

心臓も動いている。

ほっと胸を撫で下ろしたが、万が一という事もある。

「沙織さん、救急車をお願いします」

俺が沙織に向かって声を掛けると、晃が答えた。

「いえ、大丈夫です。折角の宴の初日にそんな縁起の悪い事は出来ません。俺が自分で病院に運びます」

「馬鹿野郎!お前も酒飲んでるだろうが!そんな事言ってる場合か!」

晃を睨み付ける俺の横を沙織が通り過ぎ、優子さんを抱く晃の前に座り込んだ。

沙織は晃から優子さんを抱き受けると、自分の白い額を優子さんの額に当てた。

数分の後、沙織が顔を上げる。

「大丈夫です。彼女はもう奥様の中には居りません。」

呆気にとられる俺と晃。

「お部屋で横にさせて上げたほうが宜しいでしょう。○○様、お手伝いしてあげて下さい」

しかし晃は一人で優子さんを抱き上げ部屋に帰って行き、広間には俺と沙織が残された。

「○○様、少し散歩しませんか?」

沙織が俺を見つめながら聞いてくる。

そして数分後、俺と沙織は旅館の庭に有る池の辺をゆっくりと歩いていた。

空を見上げると見事な月が光っている。

沙織の歩みが止まる気配を感じ、俺は月明かりに照らされて白く浮かぶ沙織に目を向けた。

「・・・宴会から部屋に戻ってうとうとしていたら久しぶりに姉様の夢を見たんです」

そして、夢から覚めると詩織がそのまま存在していたのだという。

詩織は微笑みながら沙織の手を取って俺達の居た宴会場へと導いた。

そして、お狐様が優子さんに憑いている所に出くわしたと。

「彼女の言葉を驚きながら聞いていたら、姉様が私をとん、と押したんです。そうしたら、私の中に、爆発したように、全てが、戻って...」

沙織は漆黒の瞳から、宝石の様に輝く涙を溢れさせた。

「貴方と、初めて、逢った時の事、貴方に、抱き締められた時の事...」

もう言葉になっていない。

俺の両目からも、驚くほどの涙が溢れてきていた。

両手を顔に当て、泣き笑いのような表情をしている沙織。

俺は両手を広げ、辛うじて声を絞り出した。

「お還りなさい。」

沙織は俺の腕の中に飛び込んで来た。

そして、はっきりと応えた。

「ただいま、還りました」

抱き締めたその華奢な肉体は、あの時と同じ様に熱かった。

どこからか微かに流れてくる笛の音を感じながら、月明かりに照らされた二人の影は重なったままだった。

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