2019年05月10日
俺の名前だけ…
どこにこの体験を書けばいいのかわからないので失礼します。
俺にとっては人生を左右されすぎるほど怖かったですが…俺の両親は小学3年生の頃に離婚。
母はあの南国の島の県出身。
離婚を期に祖父母のいるそちらに身をよせることになった。
友達と離れるのも、親父がたまに連れてってくれる巨人戦に行けなくなることもつらかったが、親父の浮気が原因だったので母に引き取られることに。
祖父母は
「こっちは一年中あったかいし、人も優しいからすぐになれるさー」
と言ってくれた。
離島でなく、ぼちぼち街の中なので、古い風習なんかもないし、安心しろと言ってくれたこともひとつの材料だった。
転校初日、不安だったがみんな人懐っこく話しかけてくれて、本当に安心した。
これはすぐに打ち解けられると思った。
もちろん東京とはかなり雰囲気が違うが、いい意味での田舎なんだなと胸を撫で下ろしたのを覚えている。
祖父母と母にも
「こっちに来てよかった」
と話し、3人とも安心してた。
だが、それは、転校翌日からだった。
登校したら、生徒の様子がおかしい。
昨日あんなに親しく話してくれたのに、誰一人あいさつもしてくれない。
「また明日遊ぼう」
と言ってくれた子達も無視。
転校ってそんなもんか?まぁほとぼり覚めるだろうってそのときは思ってた。
出席をとるときに俺の名前だけ呼ばれなかったのもまだ出席簿に名前がないんだなって考えてた。
ある日。
俺の机の上に
「ご臨終」
と彫られていた。
「けーまーちょーんんじゃねーらんたんぬみ?(死んだんじゃないのか?)」
という小さいクスクス声が聞こえてきた。
今日も名前は呼ばれない。
しばらく、帰ろうとしたら荷物がなかったり、教科書類には全ページに足跡がついていたりした。
そのときもまだ
「よくある転校生いじめだな」
ぐらいに思っていた。
しかし、それは起こった。
階段の最上部から誰かに突き落とされた。
大人に言うのはしゃくだったが、目の上を縫う大怪我をしたので、ついに先生に相談した。
先生(女)の口から出たのは意外な言葉だった。
「受け入れてもらえると思ったら大間違い。ナイチャーに地域に住んでもらうだけで虫唾が走る。理由はそれ以上でもそれ以下でもない」
そして、突き落とした犯人は、隣のクラスの教員だということも知っていた。
しかし、
「あの子は頭がおかしいから幻覚を見た」
と片付けられた。
親には先に連絡が行き
「自分で落ちた」
となっていた。
先回りされると本当のことを家族には言えなかった。
と、言うより、祖父母も母も
「ここに悪い人はいない」
という価値観なので、家族にまで俺が悪いといわれるのでは…と怖かった。
その次の日からは、教師も総動員だった。
もちろん毎日出席はとってもらえない。
家庭訪問も飛ばされた。
日曜日の校外学習のお知らせのプリントは俺がいないときに配られた。
方言ばかりでしゃべり、まったく俺だけにわからない(けど俺を指差してクスクス笑ってるから俺の悪口だってわかった)。
ちょっと方言を覚えて来た頃、
「死ね」
と全員に言われていることに気づいた。
ある日机もなくなっていた(廊下に出されていた)。
学校全員だ。
教師も生徒も。
教員に
「お前みたいな汚い血が廊下を歩くな」
と言われた。
誰かに原因を聞いてみようにも、近寄っただけでみんな逃げる。
一人知的に遅れている少年がいたので聞いてみたら、
「俺君が転校してきた日、俺君が帰った後残されて、「関わったら不幸になるから関わるな。
内地の人間はみんな悪魔だ」
って。
無視とかも先生がしろって言ってた」
と言い出した。
親に相談しようにも、離婚したてで新しい環境で一生懸命仕事をしている親に相談なんてできなかった。
服で見えないところにあざをつくられた。
コンパスや彫刻刀で刺された。
学校で使うもののみが壊された。
家に持って帰るものは無事だった。
家族にばれないためだ。
ある日に作られた傷があまりに深く、一人で病院に行った。
医者からはこう言われた。
「引っ越してきたナイチャーの子か。話は聞いてる。うちでは診れないからよそに行ってくれ」
これを5件繰り返して結局どこも診てくれなかった。
祖父母は食堂を始め忙しく、母は2つ仕事を掛け持ちしていたので気づかなかった。
そんなときに、子供SOSとか書いた電話番号を見つけた。
すがる思いでかけた。
出た職員にすべてを話した。
これで助かる…そう思った。
でも違っていた。
「ナイチャーは気を使わないところがあるから、そうされて当たり前だ。君に非がある」
もうダメだと思った。
父親に連絡を取りたくても転居していて連絡先もわからない。
その段階では、もう学校を通りこえて、地域にまで発展していた。
近所の人も、祖父母や母には当たり前に挨拶をするが、俺一人だと目も合わせない。
近所を通るだけで水をかけられた。
しかし、回覧板も回ってくるし、うちの家が村八分的になっているのではなく、俺一人だということもわかった。
だからなおさら親や祖父母は気付かなかったのだろう。
運動会も親・祖父母が来れないとのことで不安は的中。
俺は参加すらさせてもらえなかった。
当たり前のように整列してたら、
「俺君は入らなくていいんだよ」
と言われた。
ある日、一人で帰っていたら、近所の人に取り囲まれた。
どうやら、子供の一人が帰ってこないらしい。
「お前が隠した」
とまくしたてられた。
そんなわけがない。
大人も子供も入り混じってボコボコにされた。
その姿で帰ったらさすがに忙しい祖父母も親も
「どうした?」
と聞いてきた。
すべてを話した。
怖かったが話した。
返ってきた言葉は
「あのね、この県の人はみんな優しいの。そんなこと絶対しないわ」
絶望だった。
これを小学3年から中学3年の7年間一人で耐えた。
高校生になってなんとか親父の連絡先を調べて逃げたが、TVでその県の話題が出たり、芸人があの方言で面白おかしくしゃべっているのを聞いただけで吐いた。
もう日本にもいられないと、海外に出た。
それからまた5年。
親父の危篤の知らせを今の奥さんから聞いて久しぶりに日本に帰ってきたが、母や祖父母の元に行くつもりはない。
本当は胸のうちにしまっておくのが一番なのでしょうが、もし皆さんの周りにSOSを出してる子供がいたら気づいて欲しいなと。
子供は自分で児童相談所に相談なんてできませんし、そこも地域ぐるみでグルだったら誰も助けられません…閉鎖的な地区で起こっていることではありません。
観光客もぼちぼち来るようなところです。
誰か一人の大人が味方になってくれるだけで違います。
どうか、周りの子供の小さなSOSに気付いてあげてください。
脚色は一切ありません。
戦後すぐでもなんでもなく、平成になってからの話です。
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posted by 暇つぶしに読める話のまとめ at 07:00
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