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2016年11月04日

世界制覇を約束するシャルルマーニュの護符“サファイア”(青玉)

9世紀の初め頃、ヨーロッパのほとんどを支配下に置いたフランク王国国王シャルルマーニュ(カール大帝)は、敬虔なキリスト教徒であり、聖なるジュエリーを愛好したことで知られている。
数多いジュエリーの中で彼が最も愛したのが、今日、寺院の護符として最も有名な“シャルルマーニュの護符”と呼ばれるサファイアである。

Charlemagne's talisman.jpg

“シャルルマーニュの護符”は一種のペンダントで、金縁のサファイアにイエス・キリストが磔にされた十字架の木片が挟まれ、縁飾りにエメラルド・ガーネット・真珠などが嵌め込まれている。

シャルルマーニュがこのペンダントを大事にしたのはキリストへの信仰心の表れだったに違いないが、妻への愛の証しでもあったという説がある。
このペンダントは元々はシャルルマーニュの妻の持ち物だったが、妻に先立たれたシャルルマーニュが、形見として生涯身に付けたのだ。

Karl der Große.jpg

そして“シャルルマーニュの護符”は、シャルルマーニュの死後、彼の遺体と共に永遠に墓の中で眠るはずだったが、時の権力者達がそれを許さなかった。
起源1000年、「シャルルマーニュの護符を持つ者は世界を支配できる。」という伝説を信じた神聖ローマ帝国皇帝オットー3世が、シャルルマーニュの墓を暴いて護符を奪った。オットー3世は23歳の若さで夭逝し、世界制覇の夢を果たすことは出来なかったが…

それから数百年の間、“シャルルマーニュの護符”はアーヘン大聖堂の宝物庫に眠ることになったが、1804年、シャルルマーニュ大帝に心酔するナポレオンの妻ジョセフィーヌが護符を手に入れた。最終的にナポレオンが失脚したのは、護符の持ち主であるジョセフィーヌと離縁したからではないかという意見もある。

その後、“シャルルマーニュの護符”は、ジョセフィーヌと先夫との娘オルタンスの手を経て、その子供であるナポレオン3世に受け継がれ、1920年にナポレオン3世の夫人からランスの大司教へ寄贈されたと言われている。

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