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久しぶりに

ここ一月は関東を離れることも多くて、久しぶりに投稿です。
会社に戻れば、書類・郵便物の山・・・・・・。

なかなか忙しく、悪ガキ達も野放し状態。

ファンブログも久しぶりです。

さて、ここ一月の隆司と言えば
期末テストはいつもの通り・・・・・・。
それでも「赤点は1つだった!」と得意げに報告。

修学旅行にハワイやらに行っていた。

近頃は海外に行くんだな〜と思いながらも
あの巨体!飛行機に乗られるのだろうか・・・・など心配だった。(現在140kg)

さぞ、遊びまっくて先生方の手を煩わせるのだろうと想像していたが

なんと、本人曰く
「日本の食べ物はおいしい!ハワイではマンゴージュースとコーラーで過ごした!」

あの巨体は和食で構築されていたのか!

とはいえ、痩せて帰ってきたわけではない!

家に戻る途中、吉野家の牛丼を食べて帰ってきたらしい!

「吉野家最高!!!」が第一声!

なんとも・・・・・・・・。

隆司:「ハワイは2度と行かない!!!!」

母:「私もハワイは行ったことがないから分からないけど・・・・楽しかったんでしょ?」

隆司:「楽しくなんて全くない!ジュースで生きていたせいか、おなかゴロゴロ!」

母:「まあ〜そうだろうね」

隆司:「毎日夜は8時に寝てた」

母:「あら!隆司はコテコテの和食口なんだね〜」

隆司:「そのとおり!」


食事は大事ですからね。

隆司くん、日本1番もいいけど、ほかの国も見てみようね!



卒業式の被害妄想

隆司は中学受験には失敗したが、隆司も私も全く気にせず、公立中学に入学した。

小学校からの友達もたくさんいたし、毎日元気に通っていた。
すでに私は背も体重も追い越され、反抗期になったら、戦えるだろうかと不安もあった。

1年生の時の担任の先生は学年主任のとてもよい先生で
悪ガキの隆司を理解しながらもあきらめずにご指導くださっていた。
とても感謝している。

2・3年生の時は若いエリート的な先生で
隆司を理解するのに大変だったと思う。
でも、ちょっとした変化をほめてくれる先生だった。

そして卒業!

卒業式のとき、あまりお会いしていなかったお母さまがたともお会いする。
隆司が悪ガキでご迷惑かけたお母さまもたくさん・・・・・

隆司母:「Aママ、その節はご迷惑をおかけしました」
Aママ:「隆司くんはどこの高校?」
隆司母:「△△高校よ。A君は?」
Aママ:「へぇ〜。あ!佐藤さ〜ん!」(私から離れていく・・・・・・)

隆司母:「Bママ、いろいろ隆司がご迷惑をおかけしました」
Bママ:「隆司くんはどこへ行くの?」
隆司母:「△△高校よ。B君は?」
Bママ:「そうなんだ〜うちは・・・まあね〜」(離れていく・・・・・・・)

なんで?なんで?
隠すこともないから答えても、私の問いには答えず、去っていく・・・・。

とても悲しかった・・・・・・。

夜に行われた謝恩会も行きたくなかった・・・。
でも、お世話になった先生方にもごあいさつをしなくてはいけないし!

謝恩会は名前順であらかじめ席も決められていた。
私の隣はクラスで1・2の成績だったCママ。

Cママ:「うちの子がね。隆司くんが羨ましいって言ってたんですよ」
隆司母:「え?どこが?先生に怒られっぱなしで成績も・・・・・」
Cママ:「元気があって、先生に怒られてもへっちゃらだからって」
隆司母:「はぁ・・・・・怒られるのは慣れているから・・・・」(あまりほめられているようではないが)

そんなこんなで先生方にもごあいさつも済ませ、そして隆司は卒業した。

でも私の中には・・・・・・。

確かに隆司も悪ガキだった。謝罪行脚も数知れず。
卒業式の日のお母さまがたのけんもほろろの態度・・・。
忘れようとしていた。気にしなければいい。

隆司も後ろ指を指されるほどひどい学校に入ったわけではない!
笑いたければ笑えばいいさ!と。

1年近く過ぎたとき、仲良しだったDママと飲んだ!

卒業式の日のことを思い切って話した。

Dママ:「あんた何すねてるの?バカだね〜」
隆司母:「迷惑はかけっぱなしだったけど、最後ぐらい・・・・」
Dママ:「Aくんどこの高校いったかしらなの?」
隆司母:「隆司も仲良しの子しか知らないみたいだし・・・・」
Dママ:「▲▲高校だよ!」
隆司母:「へぇ〜」
Dママ:「へぇ〜じゃないよ!知らないの?」
隆司母:「あまり聞いたことないよね?」
Dママ:「まあ隆司ぐらいの偏差値だったら知らないだろうね!」
隆司母:「すいません・・・・。でもそんなに悪いかな〜?べつにいいけど」
Dママ:「あんたは馬鹿か!隆司のほうが上だ!あっちは偏差値20以上は下だね!」
隆司母:「え?・・・・・・・・・・・・・」
Dママ:「こういうのは何なんだけど、隆司は悪ガキじゃん!」
隆司母:「すいません・・・・」
Dママ:「みんなそう思っているのよ!いい子だけどね」
隆司母:「何で?教育熱心で隆司の存在が邪魔だと言っていた・・・・さぞ」
Dママ:「だから悔しいのよ!だから教えられなかったのよ!」
隆司母:「そんな・・・・・・・・・・」

卒業式の日、やっぱりね〜的に笑われていると思っていた。

この話を隆司にした。1年たってからだが、私の心にいた被害妄想を。

母:「さびしかった。推薦もなく隆司だって頑張っていたのに、笑われていると思ってた」
隆司:「お母さん、おれそんなにかっこわるくないぜ!」
母:「わかってる。だから悲しかった。だから話さなかったし・・・・・」
隆司:「1年もそんな気持ちでお母さんがいたことのほうがショックだな〜」
母:「ごめん。そうだね・・・・恥ずかしいとは思ったことないよ!今だって!案外自慢の息子だし」

隆司:「そんな思いをさせてるのは、まあ俺ですけど!」
母:「そうだ!そうだ!」(殴る!蹴る!)
隆司:「偏差値で友達を見てないでしょ?お母さんは。ある意味、無神経なんだよ」
母:「・・・・・・・。そうかな・・・・・・」
隆司:「俺には勉強勉強うるさい割には気にしてない!」
母:「自分がしたいことが見つかったときに、勉強してけば良かった〜って思ったら悲しいでしょ」
隆司:「はいはい!分かってます!」
母:「所詮、隆司の敵は隆司自身。今日より明日!明日より明後日。人は関係ない」
隆司:「じゃ〜いいじゃん!本当にそう思われてても!」
母:「そのとおりです。今後は気をつけます・・・・」

お母さんの被害妄想は終わった。

自分が頑張ればいい!自分で信じていれば。
自分が死ぬ時
「まあ、がんばったよな〜」って死ねるようにと。

とにかく謙虚に。
反省します。






撃沈・・・・・

隆司が3年生だったこと、私は仕事のトラブルでだいぶへこんだことがあった。

さすがの私も今回はまずいな・・・・・・・と思っていた。


そんなある朝。

朝食を食べた後・・・・。

お母さん:「お母さん、お仕事で失敗したかも・・・・。今回はさすがに撃沈だ・・・・」

隆司:「お母さん、深海はきれいなんだよ〜!」

お母さん:「・・・・・・・・・・え?」

隆司:「プランクトンが雪みたいに降ってくるんだよ〜!」

お母さん:「・・・・・・・・・・」

隆司:「見てみたいな〜」

お母さん:「・・・・・・・・・・そうね」


沈んだら沈んだで、そこから頑張る。そこで頑張る。

実に前向きな発言をする隆司。


いいのか悪いのか、点数や成績が悪くても

「今度があるさ!」でなかなか勉強をしない隆司・・・・・。

たまには懲りてほしいな〜と思う母である。




推薦って何?

隆司は中学になって悪ガキぶりを強化させた!

学校の先生もいつも手を焼いていた。

個人面談ではいつも「すいません」・・・・だった。
というか、先生とお会いしても挨拶は「いつもすみません」だった

そんな隆司が高校受験のとき

当然、先生からは推薦などしてもらえるわけもなく

そんな隆司が

「あいつが推薦?、どうして俺がもらえないんだ?」


そう私も思いました。

口うるさい親御さんのところには先生も出すということは知っていた。

だからと言って私が自分の子供を推薦をもらいたいだために
あることないこと先生にいい、半分脅迫まがいなことをしているお母さまがたと
私が同じことをしてどうする?などと思ってもいた。


推薦なしで高校受験。推薦制度の見直しも聞こえてくる中

学校の成績はせいぜいAll「3」

模擬試験などは生活態度、素行などは一切加味されないので
これだけが救いでもあった。
偏差値は60前後。

とびきりよくもないが悪くもない。

推薦なしでの受験。親としては苦しかった。
でも妥協もしたくなかった。親が妥協してどうする?

わが子の未来を妥協してどうする?

あえて私は安全パイを選択しなかった。

3校受験の手続きをした。

偏差値60・57・55と今考えると私もかなり博打したと思う。


妹の通っていた中学は私立の付属だったため、当然、受験のため学校は休み。

真実と二人で合格発表を見に行った。


駅の構内ですれ違う親御さん。

封筒を持っている・・・・学校名が入った封筒を・・・・・。

「あ〜お子さん合格したんだな〜」
などと思いながら、校内へ

真実:「あるかな〜?」

お母さん:「ちょっと無理だよね・・・・・」

真実:「・・・・・・・・」


番号を確認する


お母さん:「真実・・・・・番号あるみたい・・・・・」

真実:「嘘!何番?」

お母さん:「これ・・・・・・ね?」

真実:「あるわ・・・・・・・」

お母さん:「間違いかもしれないから、一応行ってみる?」

そして合格通知を受け取る場所へ

学校の方:「おめでとうございます」

お母さん:「ありがとうございます」

第一希望の高校に合格した。


その日は別の学校を受験していた隆司

私と真実は池袋で本人不在でイタリアンをいただきながらお祝い!


家に帰り、隆司の帰宅待つ。

お母さん:「隆司には内緒にしとこ!」

真実:「どうして?」

お母さん:「受かったってわかったら、そのまま遊びに行っちゃうから」

真実:「まぁ〜そうだろうね〜」


隆司帰宅!

お母さん:「(わざと暗く)今日はどうだった?」

隆司:「テストはできた・・・・・・・でも・・・あの学校は受かっても行きたくない」

お母さん:「何で?」

隆司:「みんなお弁当が豪華で、おにぎりと卵焼きだけなのはおれだけだった・・・」

お母さん:「何で?隆司がおにぎりがいいって・・・・」

隆司:「そうだよ!別におにぎりが問題じゃなくて・・・・・・」

お母さん:「何よ?」

隆司:「大事に大事にされてきた、そんな人たちの中では僕はいやだ」

お母さん:「あぁ〜そういうことか」

次回、隆司に合格を伝える!へ



5年生で抱っこ?

隆司は5年生の時、大変荒れていた。

学年のお母さま方がたから「転校させろ!」署名をするなど言われるぐらい。
皆さんの前で土下座するしかない母。

先生が悪いと言ってくださるお母さま方がいらしてくださったおかげで
卒業できたようなものです。

帰ってから、怒らないで説明しなくてはいけない。

隆司一人の学校ではないことを。
あなたと先生がもめる姿を苦しい思いで見ているお友達がいることを。


そんなころ、真実がピアノに行っていたとき。

隆司:「お母さん・・・・・・抱っこ」

お母さん:「いいよ。でも座ってていい?」

隆司:「うん」

すでにその当時、150cm以上50kgあった隆司。
立ったままでは抱っこもできない・・・・・・。

この子なりに苦しんでもいることは分かっているが
反抗するだけでは何も問題は解決しないことを教えなくてはいけない。
おかしいと思うことはきちんと話をしなくてはいけない。

先生がいじわる言うから、僕もする。

それでは話が進まない・・・・・。

痛みが分かっているからこそ、できることがあるはず。

私は消して先生の悪口を言ってはいけないし、味方もしない。
自分で解決する力を身につけさせないといけない。

「あんたんちの子より、隆司はいい子だよ!
挨拶もきちんとできるし、小さい子も可愛がる」

といって下さったお母さま方のお名前を、隆司に教える。

そう言ってくださったお母さま方を裏切ってはいけないと。


そんな時代もあったな〜と思いだす。

いくつになっても子供の「抱っこ」は助けて信号なのだと思った。


武力行使 vs 経済制裁

隆司が中学に入ってすぐのころ

すでに165cm・60kg

ある日、怒ったことがあった。(すみません。たくさん怒りすぎて内容は忘れました)

お母さん:「貴様は何度言えばわかるんだ〜〜〜!そこに座れ!」

隆司:「・・・・・・」

さんざんお小言を言ったあと

お母さん:「今度やったら、ぶっ飛ばす!!!わかったか〜?」

隆司:「はい・・・・・・・・・。でも・・・・・・・・・」

お母さん:「なんだ!!!!!!」

隆司:「もうお母さん、僕には勝てないと思うよ。僕のほうが強いこと、そろそろ気がついたほうが・・・」

ここで負けないお母さん!

お母さん:「わかってますよ〜」

隆司:「わかってればいいけど!」(ニヤニヤ)

お母さん:「あなたが武力行使で来るなら、私は経済制裁で応戦するのみ」

隆司:「え!汚い!」

お母さん:「武力でかなわない相手に『力』をつらつかせるような相手に、言われたくないですけど?」

隆司:「冗談だよ〜。お母さんもおとなげないな〜」

お母さん:「宣戦布告を仕掛けたのはあなたでしょ?」

隆司:「すいません。忘れてください」

お母さん:「どうかな〜?」

隆司:「でも、今週のお小遣いは忘れないでください!!!」


とっくに力ではかなわないことなどわかっているお母さん。

自転車?

隆司がまだ3歳のころ
自転車のハンドルに付けた子どものシートに乗せ信号待ちをしていた時


同じく信号待ちをしている車いすの方

隆司がじっとその人のことを見ている。
そしてその方も隆司に気がつく。


隆司:「こんにちは。おじさんの自転車かっこいいね!」
お母さん:「(あ・・・・・・・なんてこと)」軽く会釈
車いすの方:「こんにちは。かっこいいかい?」
隆司:「うん!」
車いすの方:「そうか。ありがとう」
隆司:「僕ものりたいな〜!」
お母さん:「(あ・・・・・・・・)」
車いすの方:「今度乗ってみるといいよ!子供用のもあるから」
隆司:「本当!分かった!」
車いすの方:「可愛いお子さんですね。いい子だ。」
お母さん:「失礼ばかり言ってしまって」
車いすの方:「失礼なことなど、言われてませんよ!」

そうです。そのとおりです。
私が気にしているだけ。隆司は本当にそう思っているのだから。

隆司:「おじさんの自転車早い?」
車いすの方:「早いよ〜!競争するかい?」
隆司:「いいよ!お母さんがんばろ〜」
お母さん:「(え?)わかった!頑張る!」

信号が変わり・・・ドン!

たかが4・5mだがやはり負けた・・・・・・・・。

隆司:「すごいすごい!!!おじさん早い!!!」
車いすの方:「すごいか!でも頑張ったのはお母さんだろ?」
隆司:「うん・・・・・・」
車いすの方:「自分で乗れるようになったら、勝負しよう!」
隆司:「うん!分かった!」
車いすの方:「じゃまたね!」
隆司:「うん!バイバイ〜」

親が反省・・・・。勉強させられた。

「物理的に見える目」と「素直な心で見る目」

中学受験全滅

全滅だった隆司の受験は終わった。

私は気にしてはいない。

隆司はまだまだ遊ぶことが大好きな子だ。

お友達が遊びに来てもゲームなどは10分もすると飽きてボールをもって外に出る。

それはそれで私はいいと思っていた。


でも、時々思うことがあった。

「昭和初期に生れていれば」と


近所の公立中学の制服は人気があって、越境してくるお子さんもたくさんいた。

そして隆司「悪ガキ中学生生活」がはじまった!

受験当日の薬

受験前日

隆司は熱を出した。38.2度・・・・。

薬を飲ませて早々に休ませた。



試験当日

朝測る・・・・・・・37.2度。

他のお子さんに移してもいけないが本人も行くと言っている・・・・・。

マスクをさせ、薬を飲ませ、学校まで送った。


出てくるのを外で待つ。

お母さん:「どうだった?」

隆司:「寝ちゃった・・・・・・」

お母さん:「そうだよね。薬飲んだもんね・・・・・・眠くなっちゃうよね・・・・・」

隆司:「きっとだめだ・・・・・・・」

お母さん:「いいよいいよ。帰って寝よ〜」


3日連続、試験を受けた。

が、送っていったのは最初の1校だけ


隆司:「ぼくひとりで行けるから」と。

若干、ピクニック気分。


そして発表・・・・・・。番号はない。

勉強もしていないし、当然だ!

そして3校とも落ちた。


私立にいって欲しかったわけではない。私のやる気がなかった。

受験をするということを理解もさせていなかった。

受験直前にお願いした先生

時はすでにあと3か月と迫っていた。

井上先生に来ていただくようになってから、はじめての模擬試験。


結果、偏差値が39から48

すごい!

時はすでに11月。遅すぎたな〜と思ったりもした。


井上先生から指示があったことは2つ

「でる順を買ってください。それだけでいいです。」

「試験が終わるまで勉強しなさいとか、言わないでください」

だった。




それを試験前まで3回づつさせていた様子。

12月の模擬試験の偏差値は48から52

最後の1月の模擬試験の偏差値は52から56


井上先生には

「あと半年早く始めていたら、もっともっとよくなっていたと思いますが、隆司君は
ちょうどいいタイミングだったと思います」と


厳しいながらも、きちんと隆司の精神状態も気にかけていてくれるいい先生だった。


本当に感謝した。


次回、受験へ


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