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2024年08月15日

 1057 男泣き




入社5年目、放送局では心臓部門の「テレシネ」職場へ配属されました。
放送開始から終了まで、交代制宿泊勤務がある、映画やアニメ、大量のコマーシャルなどを送出する職場。
数10台もの映写機がずらりと立ち並び、指定された映写機へ素材を装填。
魔法の箱の心臓部は、ミスが即全国へ流れ、緊張感がピリピリ伝わる職場です。
遂に自分自身の手で、フイルムをかけ、全国へ映画を流す時が来たのです。
興奮のあまり胸は高鳴り、震える手。
映写機の爪の噛み具合をニ、三度確認。
3秒前!
2秒前!
1秒前!
スタート、オン!
・・大成功!!
遂に魔法の箱へ辿り着いた。
見果てぬ夢だと思っていたのに・・
熱く込み上げるものがあり、私と同じ映画館に行けない子供達が、テレビで映画を観る事でしょう。
体が不自由な人で、映画館に行かなくても、家で映画が観られる。
病院で療養中の人も・・
お年寄りで映画館に足を運べない人も・・
山間部の人も・・
島の人も・・
この映画を、何百万人もの人が観ているのだろうか。
少しは世の役に立っているのでは・・
夢を追い続けて来た事は、間違いではなかった。
遥か南の島、南十字星を眺め、ランプの灯りで過ごした子供の頃が思い出され、映画が観れなくて悔しかった事。
数々の失敗をし、パスポートを握り締め、親と別れた事。
貧しくて辛かった東京での生活等が、走馬灯の如く通り過ぎ、日本の南端で動き出したこの鼓動、無意味ではなかった。
父よ! 母よ! この世に誕生させてくれて、有難う。
生まれて初めて、芯底湧き出る喜びを体験し、涙が出ました。
男泣きです。
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 1056 正義の目




また、テレビマンの世界は、視聴者には考えられない、過酷な職場でもあるのです。
ジェットコースターの後ろ向き乗り、後ろ向き走りや、高所恐怖症の解消は勿論。
野球中継などでは、どこへ飛ぶかも知れないホームランボールを、一瞬たりとも画面から外す、見逃す事は許されません。
小さなファインダーに望遠レンズ、当たった瞬間の初速度は想像出来るかと思いますが、球を捉え続けるのは至難の技で、かなりの熟練を必要とします。
また、一、三塁にランナーが出、一打同点の時等は、盗塁をするのか、先にホームを突かせるのか、両監督の腹の内を読み、全スタッフが瞬時に連係プレー。臨場感溢れる内容を放送。
他のスポーツのルールやマナーは勿論、政治経済、芸能界や水中撮影など、あらゆる分野の勉強と訓練。
そして、張り込み取材にいたっては、忍耐あるのみ。
ジェットコースター後ろ向き乗りで、フォーカス、ズーマーを自由に操作出来るカメラマンは、70人のカメラマン中、たった一人しかいませんでした。
また、ジェットコースターへ乗る時は、落下物、小物等は持ち込めません。
我々が取材する場合は、施設責任者と十分にチェック、間違っても素人が、真似をしない事です。
ねつ造テレビや、やらせテレビ事件などが、後を絶ちません。
テレビはわずか50年で、街頭テレビの時代から家庭へ入り込み、大きな影響力を持つ情報機関に育ちました。
子供達はテレビで育ち、教育にまで影響しかねません。
往年のテレビマンが退き、安直に考えるようになったのだろうか?
競争原理、視聴率主義が強過ぎる為なのだろうか?
情報量が多くなり、不良品が出たのかは分かりませんが、気になる事件。
何があったとしても、人々の興味を無理に引く事のないよう、自然に共感され、興味を持たれ、納得してもらえる番組作りをしてほしいと、つくづく思うこの頃。
テレビカメラの目は一つです。
真実以外は写さない!
偽りや、まやかしは決して写さない!
テレビマンとしての心構えが求められています。
そしてテレビは、自らの巨大な影響力を考え、巨象が踏みはずす事のないよう、勇み足の無いよう、見つめ直す時期に来ているのではないだろうか。
その昔、「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言われました。
現在、「テレビは、世に連れ、世を写す鏡」となっています。
慎重なる番組作りをして欲しい・・・
・・目は一つ、狙う真実、正義の目!・・

2024年08月14日

 1055 人間セミ




他にもテレビの裏側には、色々なエピソードがあります。
鉄塔での高所取材時、スタッフが本番終了までは無事でしたが、いざ降りる段になり、下を見た瞬間、高所恐怖症が走り、降りるに降りられなくなりました。
下から声をかけるにも、見向きもせずボンドで貼り付けたのではないか、と思われるくらいベッタリしがみ付き、ワナワナと震える姿は人間セミその物、お笑い番組のシーンのようで、笑ってしまいそうですが命にかかわる一大事。
救出作戦は大騒ぎになりました。
思い出したくない事件もあります。
雄巣鷹山日航機墜落事故。取材活動の帰社後、スタッフの食欲が進まず、落ち込みが激しかった事には参りました。
真夏の出来事、犠牲者と泣き崩れる遺族の姿が、あまりにも多過ぎ、山全体を覆う臭気と霊気中での取材。
規制線は無く、生々しい現場を見、精神的に受けたショックが大き過ぎたのです。
食べ物を見ても、衣服を焼き捨てても、風呂に何度入っても、あの臭気が鼻にこびり付き、色々なシーンが蘇って来るのです。
遺族の事を考えると生々しい事を書くと不謹慎ですが、何気なく見ると木の枝に肉片がぶら下がっていたり・・
本当にスタッフの脳の構造が破壊されかねないのです。
極力対話をし、冥福を祈り、元気をとり戻させる迄には、1カ月必要でした。
世の悲惨な出来事でも、いち早く正確に伝えるのがテレビマンの務め。
二度とあのような事故の起きない事を願うしかありません。
世の縮図を背負い、テレビマンは、今日も行く・・

 1054 冷凍人間?




テレビ界就職直後の昭和40年、晴海に新設された、零下30度という、冷凍倉庫取材に遭遇。
当時は冷蔵庫自体の普及率は低く、冷凍室付の冷蔵庫は未発売。
冷凍という言葉すらほとんど使われていませんでした。
冷凍倉庫自体も初めての開業で、大きな話題として取り上げられたのだ。
常夏の地で育ったひかるには、零下30度という世界は、かつて今まで生きて来た中では、とても考えられず、即座にコチコチの冷凍人間にされてしまう事しか頭に浮かんで来ません。
いよいよ本番になり、意地悪にも女性レポーターは奥の方へと入って行きます。
仕事なので、やらなければ、という意識はあるのですが、冷凍人間への拒否反応で足が竦み、何時でも逃げ出せるよう、入り口のノブに、しがみ付いているだけ。
本番が終ると、表へ飛び出すと同時に座り込み、二度とこのような仕事はやりたくない、と思いました。
周りからは、「テレビより、お前の恐怖に慄く顔が、一番面白かった」とからかわれ、今だに語り種。
氷や雪など、無縁の世界で育った人間が、冷凍倉庫へ入れ、と言われると冗談抜きに、どうしても浮かんで来るのは冷凍人間。
恐怖を感じ、拒否反応は間違いなく出て来ます。
もし皆さんが、これから乗る飛行機が間違いなく墜落する、と分かっていても乗らざるを得ない場合の事を想像すると、タラップを登る靴は、30キロにも感じるのではないだろうか。
ドアにしがみ付き、墜落寸前に飛び降りたい心境になるかと思います。
ひかるにとって、冷凍倉庫は、このような間違いなく死ぬのではないかと、恐怖を感じるところで、今だに零下30どという言葉は、身震いがするセリフ。
嫌な番組に冬の天気予報があります。
予報官が、「シベリアから零下30度の寒気団が南下し・・・・・・」
聞いただけで、金切り音が奥歯から後頭部へ引っ吊る感じがし、一晩中凍て付き、お願いだから、このセリフだけは絶対にやめてもらいたい.と思いますが、これは自分だけの問題ですので仕方がありません。
せめて、我が家のテレビだけは、このセリフを禁止用語とし、スピーカーから出ないよう、改造出来ないものかと考える、寒がりやの小心者。

1052 美顔人「ビガント」




そして、しかるべき国語として定め、教育にも取り入れ、外国にもアピール。
小中学生の女の子達が、大人に成った時、あの総称で呼ばれるような、素敵な女性に成りたいと、自分を磨き、実現出来た時、本当に、幸せを感じるのではないだろうか。
個人的な提案ですが、清らかで、品位のある、美しい心の素敵な女性、美顔人(ビガント)、と称したらいかがでしょうか。
発音は外国人にも、受けるかと思います。
思わず拍手喝采、乾杯! 乾杯! と言いたくなる、素敵な女性には、「ビガント!、ビガント!」 と賞賛しようではありませんか。
現実は、オバタリアンなる言葉が流行っており、残念至極。
もし、オバタリアンと呼ばれる行動があったとしたら、即、反省すべきではないだろうか。
日本女性として、ビガント姿。
子供達に、見せつけよう。
世界へ、見せつけよう。
オバタリアンと、呼ばれるな!
オバタリアンと、呼ばせるな!
オバタリアンと、さようなら!

1051 オバタリアン




現在、不愉快な言動ではあるが、オバタリアンが定着しています。
電車がホームに近づくと、周りをキョロキョロ、ソワソワ見、前の席が空くならともかく、所かまわず、空席を取らないと、人生が大損するかの如く、席を立つ人とぶつかり会いながらでも、席を確保する姿。
降りる流れに平気で逆らう姿。
娘時代は、そうでも無かったはずなのに、自分さえ良ければいいのか、と聞きたくなり、切符を買う時、乗り物に乗り込む時も品のない素行に度々会い、やはりオバタリアンだと認めざるを得ない場面に出会うのは事実である。
何も先んじたからとて、長生き出来る訳ではなし。
飛び抜けて幸せとも言えないだろう。
綺麗な衣装を纏い、化粧をしたとしても台無しで、悲しい限りだ。
おそらく、バーゲンやスーパーの限定品売り出し等で、早い者勝ちの行動が、何時の間にか身に染み付いているのであろう。
大売り出しは、直接財布に影響が出るのでやむを得ませんが、他での押しのけ、へし分け出る行動は今日限り止めて貰いたい。
娘が母親の行動を見て育ち、子孫末代まで引き継がれて行くのか、と思うと、空恐ろしくなります。
道徳や人生を教えるのは、親の努め。なまったれ親が事あるごとに学校を責めますが、学校は全ての子供を同一教科書で同じように教えます。
己の子の個性を一番知っている親が、その個性を後押しすることで、立派な人間に成るのです。
「子供は、親の背中を見て育つ!」
このままでは、どんな大人が出来上がるのだろうか。
因果応報は、巡り巡って来る。
苦労して育てあげた子供達に将来、オバタリアンと呼ばれ、平気でシルバーシートを占領する、大勢の娘さんが出来たのでは、皆さんが、結果的に辛い思いをするのでは無いだろうか。
娘よ! 貴方は、素敵な女性になれる!
決っして悪い点は、真似する事なかれ!
一歩引く、貴方の心美しい・・・
そして、女性は世の宝。
女性無しに世の中成り立たず、男女雇用機会均等法も出来、議員や管理職等、女性は、世の中を動かす大きな力となっています。
そして、所狭しと活躍する、素敵な女性が、大勢見られるようになって来たのも事実です。日本は、美を重んじる国柄。
昔の男尊女卑の悪習慣のせいなのか、素敵な女性に対する呼び方が見つかりません。
例えばアメリカでは、ナイスレディー、と呼ばれると、上品で素晴らしい女性、と言う事で、呼ばれた方も誇りに受け止めます。
辞書には、貴婦人、麗婦人という呼び方はありますが、普段、素直に呼ぶには、ゴロ合いが、あまり良くありません。
素敵な日本女性を表現する、大事な言葉が、近代化から、取り残されているように思われます。
これで良いのだろうか?
女性の社会進出が著しい昨今、公式な場所やパーティー等で、素敵な女性に乾杯、と言う気持ちを表現出来る、総称が必要ではないだろうか。
女性議員は、すぐにでも実現すべきで、実現の暁には、第1号の総称で呼ばれる事でしょう。

1050 障害者自立




しっかり自信をつけ、笑顔が戻った妹に、1番辛かったのは、何んだったんだと聞くと、体育の時間が1番辛かった。何度体育の時間がなくなればいい、と思ったことか、と小さな声での呟き。
島の広い運動場、友達が木登りをし、飛び回る姿、一人で見ているのは辛かった事だろう。
手術の傷跡が多く残る足を「よくも私の足、魚の腹わたを取るように、あっちこっち切り開いてくれたもんだ」と笑って言っていました。
東京での生活、銭湯へ行くしかありません。
傷跡の多く残る、麻痺した足を人前にさらす事は、辛かっただろうに・・・
耐えるしかなかったのです。
あれから何年か経った後、今度は、一級国家試験の更に上級、特級に挑戦するとの事で、ルートやパイ、微積分などの入り組んだ、ややこしい計算式を、どうしたら解けるのか教えて欲しい、と持ち込まれた。
特殊な電卓をプレゼントする。
問題は、どう考えても、大学卒業の学力を必要とした難問ばかりで、妹には不可能としか思えませんでした。
しかし、見事に合格、「電卓のおかげだった」と、お礼の連絡に、心から祝ってやりました。
あえて妹の事を記したのは、障害の有無に関係なく、平等に与えられた、この元気に打ち続ける鼓動がある限り、自身の置かれている立場や状況を正面から見つめ、
鼓動に負けない、強い心、唯一最良の道を選択して行けば、素晴らしい人生が送れるものと確信し、体の不自由な人達が、一人でも多く障害を乗り越え、社会の一員として胸を張り、堂々と生きて行って欲しい、と願うからである。
おそらく我が家は、福祉の光の届かない、日本南端の、最も貧しい家庭だったでしょう。
障害者と両親が、貧しさゆえ、2千キロという壁を乗り越えられず、会う事叶わぬ状況下、幸せを求め続けた、家族の絆、障害者の励みになれば、と・・・
最近、自分で決断し、実行する妹の姿を見る時、「この妹に幸多かれ・・」と祈る毎日。
妹は生涯、片足補装具で生きるしかありません。
補装具でも仕方ない、しっかり自分の人生を歩んで欲しい・・・
決っして忘れない、あの時の笑顔を。
「兄ちゃん! 私、給料袋、二つ貰えるように成ったのよ・・・」

1049 神さま・・・




片方の足でペダルをこぐ乗り方を必死に練習。
遊び盛りの姿を見、何んでこんな目に会うのか。
完全にマヒした足、妹は、いつも男の子のように、ズボンを履くしかありません。
他の女の子同様、スカートを履かせてやりたい・・
何んで、スカートが履けない体になったんだ!
何んで3歳の女の子が、杖をついて歩かなければならないんだ!
何んの罪も犯していないのに・・・
何んで幼い女の子に、過酷な試練を背負わせるんだ・・・
何んで、不公平な扱いをされなければならないのか・・・
神様がいるなら助けて欲しい・・・
妹のマヒした足を見るたび、動作を見るたび、涙が止まりませんでした。
ひかるより妹のほうが、悔しい思いを数千、数万倍した事でしょう。
不自由な体での行動範囲はわずが、車を自由に乗り回し、本当の足代わり、見聞きする喜びは、人生最大の喜びだった事でしょう。
免許取得から数年後、妹の友人から連絡があり、電話は通じるけど、部屋には来ないで欲しい。
来ても、絶対に、中に入れない、との事。
ひかるが電話をしても、同じ返事。
でも大事な時は、必ず相談をしてきたので、こんどのことは、たいした事はないだろう、とあまり心配はしませんでした。
数ヶ月経過後、妹が、縫製技能検定試験、国家試験に合格したので、祝ってやって欲しいと、友人からの連絡。
受験のため、部屋中問題を張り、教材などで、足の踏み場もなく、人を部屋に入れる状況でなかったとの事でした。
その内、母校の東京都身体障害者職業訓練校から、後輩達のため、週二日の実技指導と講義を引き受けて欲しい、と言われている、との相談。
10年以上もお世話になっている縫製制会社だけど、最悪の場合は、やめる事を覚悟し、講師の仕事を受けるべきだ、とアドバイス。
学校側からも縫製会社に口添えがあり、会社勤めと講師の仕事を両立。
一級縫製技能者、という事で、会社や得意先からも信頼され、サンプル品や高級品の縫製からサイズ直し、後輩達の指導、と忙しい日々を送っております。

1048 杖つく少女




やはり数年もの間、その一言が、忘れられなかったのでしょう。
「障害者が免許を取得する場合、東京都には奨励制度があるし、大丈夫だ」と説得すると、長期休暇が取れそうにもない、との事。
会社の方には、兄からお願いしよう。長年働き、休暇の目的もはっきりしている事だし、理解してもらえるはずだと。
妹は最後に、全ての段取りは、自分一人でやってみる、と言って納得しました。
数ヶ月後、「取れた! 免許が取れた!」と、弾んだ声で連絡があり、祝ってやりました。
よほど嬉しかったのでしょう。
無口で必要な事以外はしゃべらない、兄にすら一度も笑顔を見せなかった妹が、車庫入れで失敗した事や、S字カーブで踏み外した事など、笑顔でしゃべりまくっており、30年以上も背負って来た何かが吹っ切れた様子。
このきっかけが自信となり、妹の人生は大きく展開していきました。
車を購入、地方出身の同僚達と、お盆やお正月に友人の田舎へ同行。
色々な土地や人との出会いや、見聞あり。
車が本当の足代わりとなり、あっという間に、日本全国が行動範囲になったのです。
やっと走り回れる3歳時、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけていた姿が、思い出されます。
突然、引き付けを起こす程の高熱にうなされ発病。
妹は自分の2本の足で、元気に歩いた記憶は無いでしょう。
小さな島には松葉杖とてなく、竹すらありません。
まっすぐな木を与えると、船の櫂を漕ぐようについて、「兄ちゃん、遊んでくれ」と、追いかけて来るようになりました。
負けず嫌いで意地っ張りな性格、擦り傷やアザだらけになりながらも、右手で自転車のサドルにしがみ付き、左手でハンドルを操作。
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