2月20日発売、女性セブン146ページ
2020年02月22日
みなさま、こんにちはー(*´ω`*)ノ
花です(*´ω`*)
つい先日、すごく寒くてとうとう雪が降った福岡ですが、そんなことなかったかのように、一気に暖かくなりました。
今日も、雨が降っているのにすごく暖かいし、もう本当に春は目の前という感じです(*´ω`*)
さて、先日の記事でも書きましたが、やっと女性セブンを読むことが出来ました。
地方はやっぱり、本の発売も少し遅くて嫌ですね(笑)
普段雑誌なんて一切買わない私ですが、今回だけは一生死ぬまでこの雑誌を残して、こんなすごい友人とその旦那さんがいたことを胸に残していこうと思います。
そんな今回の記事は、その感想を少し書こうと思います。
昔から感想文なんてすごく苦手だったので、稚拙な感想になると思いますがごめんなさい。
とりあえず、これを仕事先で読んだことをすごく後悔しました。
たぶん、マスクでバレてないと思いますが、泣いてしまいました。
一番胸に来たのは、そのタイトルでした。
「私の臓器を誰かにあげたかったのに」
私の友人は、自身が臓器移植を受けたことによりほんのひと時だけ、いつもよりちょっとだけ多く幸せになりました。
きっと、臓器移植を受けたことにより幸せになったと言ったら、ものすごく怒られると思うので、この表現です(笑)
そんな友人にとって、自分が死ぬときは、自分の臓器を提供したいと本気で思っていたはずです。
あの人はそういう人なんです。
そうやって、人の幸せを本気で考えられる人なんです。
そんな友人にとって、自分の臓器を提供できなかったことは、ものすごく悔しかったでしょう。
そんな友人と結婚した旦那さんも同じように悔しくて仕方がなかったと思います。
私と話す友人の旦那さんは、誠実でいい人というのがものすごくわかります。
生前、どうして旦那さんを選んだのか聞いたことがあるんです。
私は、当時は納得できなかった理由だったんですが、
「私は子どもが欲しいと思ってる。ただ、この病気のせいで、私と結婚する人は大抵、私の事を心配して『子供はいらない』と言うと思う。でも、あの人は、私が子どもが欲しいと願ったなら、私の事も当然心配するだろうけど、私と子どもどちらかを取るなら、私の願い通り子どもをとってくれる。」
そう言った友人は、そのあと照れ臭そうに、「冷たい人って意味じゃなくてね」と言っていました。
いまだに、やっぱり、納得できないけど、それでも、友人が一番つらかった時を支えた旦那さんだからこそ、お互いにしかわからないものがあるのでしょうね。
最終的に、子供を授かることもできなかったけど、彼女は幸せそうでした。
私が友人と最後に話したのは、亡くなる4、5ヶ月前でした。
いつも通り元気でパワフルで福岡に遊びに戻ったらまたご飯食べに行こうなんて話していたけど、そのときのことを旦那さんと話していたら、ちょうど友人はその頃より、体調が悪くなり始めていたらしいんです。
もしかしたら、自分の死期を薄々感じていて、私に連絡してくれたんじゃないかなと思っています。
色々話は逸れましたが、彼女が最後に臓器提供できなかったのは、日本の脳死判定の方法による弊害でした。
女性セブンの記事の中にもありましたが、簡単にこの脳死判定の方法を変えることもまたできないようです。
脳死判定の方法(基準)を変えるということは、人の死の基準が変わることになるからということだそうです。
だから、今現在具体的に脳死判定の方法を変えるという話は具体的に上がっていないそうなのですが、目の不自由な人でも臓器提供を行えるように変わるべきだと私も思います。
現実問題として、日本の臓器提供の割合は、諸外国に比べかなり低いそうです。
もちろん、理由はいろいろとあるのはわかります。
ただ、脳死判定の方法は諸外国にもあるように色々あります。
もちろん、それが全ていいというわけではないとは思いますが、私の友人と友人の旦那さんを考えるとどうしても無念さを考えると、私も残念で仕方ないです。
女性セブンの記事はたった3ページの記事でしたが、いつかこの問題が大きく取り上げられることを切に願います。
亡くなった私の友達、悠子さんへ
次に生まれてくる時も私の友達になってね
花です(*´ω`*)
つい先日、すごく寒くてとうとう雪が降った福岡ですが、そんなことなかったかのように、一気に暖かくなりました。
今日も、雨が降っているのにすごく暖かいし、もう本当に春は目の前という感じです(*´ω`*)
さて、先日の記事でも書きましたが、やっと女性セブンを読むことが出来ました。
地方はやっぱり、本の発売も少し遅くて嫌ですね(笑)
普段雑誌なんて一切買わない私ですが、今回だけは一生死ぬまでこの雑誌を残して、こんなすごい友人とその旦那さんがいたことを胸に残していこうと思います。
そんな今回の記事は、その感想を少し書こうと思います。
昔から感想文なんてすごく苦手だったので、稚拙な感想になると思いますがごめんなさい。
とりあえず、これを仕事先で読んだことをすごく後悔しました。
たぶん、マスクでバレてないと思いますが、泣いてしまいました。
一番胸に来たのは、そのタイトルでした。
「私の臓器を誰かにあげたかったのに」
私の友人は、自身が臓器移植を受けたことによりほんのひと時だけ、いつもよりちょっとだけ多く幸せになりました。
きっと、臓器移植を受けたことにより幸せになったと言ったら、ものすごく怒られると思うので、この表現です(笑)
そんな友人にとって、自分が死ぬときは、自分の臓器を提供したいと本気で思っていたはずです。
あの人はそういう人なんです。
そうやって、人の幸せを本気で考えられる人なんです。
そんな友人にとって、自分の臓器を提供できなかったことは、ものすごく悔しかったでしょう。
そんな友人と結婚した旦那さんも同じように悔しくて仕方がなかったと思います。
私と話す友人の旦那さんは、誠実でいい人というのがものすごくわかります。
生前、どうして旦那さんを選んだのか聞いたことがあるんです。
私は、当時は納得できなかった理由だったんですが、
「私は子どもが欲しいと思ってる。ただ、この病気のせいで、私と結婚する人は大抵、私の事を心配して『子供はいらない』と言うと思う。でも、あの人は、私が子どもが欲しいと願ったなら、私の事も当然心配するだろうけど、私と子どもどちらかを取るなら、私の願い通り子どもをとってくれる。」
そう言った友人は、そのあと照れ臭そうに、「冷たい人って意味じゃなくてね」と言っていました。
いまだに、やっぱり、納得できないけど、それでも、友人が一番つらかった時を支えた旦那さんだからこそ、お互いにしかわからないものがあるのでしょうね。
最終的に、子供を授かることもできなかったけど、彼女は幸せそうでした。
私が友人と最後に話したのは、亡くなる4、5ヶ月前でした。
いつも通り元気でパワフルで福岡に遊びに戻ったらまたご飯食べに行こうなんて話していたけど、そのときのことを旦那さんと話していたら、ちょうど友人はその頃より、体調が悪くなり始めていたらしいんです。
もしかしたら、自分の死期を薄々感じていて、私に連絡してくれたんじゃないかなと思っています。
色々話は逸れましたが、彼女が最後に臓器提供できなかったのは、日本の脳死判定の方法による弊害でした。
女性セブンの記事の中にもありましたが、簡単にこの脳死判定の方法を変えることもまたできないようです。
脳死判定の方法(基準)を変えるということは、人の死の基準が変わることになるからということだそうです。
だから、今現在具体的に脳死判定の方法を変えるという話は具体的に上がっていないそうなのですが、目の不自由な人でも臓器提供を行えるように変わるべきだと私も思います。
現実問題として、日本の臓器提供の割合は、諸外国に比べかなり低いそうです。
もちろん、理由はいろいろとあるのはわかります。
ただ、脳死判定の方法は諸外国にもあるように色々あります。
もちろん、それが全ていいというわけではないとは思いますが、私の友人と友人の旦那さんを考えるとどうしても無念さを考えると、私も残念で仕方ないです。
女性セブンの記事はたった3ページの記事でしたが、いつかこの問題が大きく取り上げられることを切に願います。
亡くなった私の友達、悠子さんへ
次に生まれてくる時も私の友達になってね
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