2011年02月10日
防災工学の第一人者が語る! 『唐山大地震 -想い続けた32年-』
パシフィコ横浜にて第15回「震災対策技術展」が開催(2月4日まで)され、その中で、「第10回国土セイフティネットシンポジウム〜どうする地震災害 今わかること 今できること 今すべきこと」と題したシンポジウムが行われ、東京電機大学の片山恒雄教授がご登壇されました。
片山教授は、耐震防災工学における日本の第一人者で、映画『唐山大地震―想い続けた32年』の宣伝の監修を勤められました。専門家の視点から見る【20世紀最大の震災】唐山大地震はどのようなものだったのか?21世紀の我々はそこに何を学ぶべきなのか?お話をお伺いしました。
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★シンポジウム冒頭での片山恒雄氏のご挨拶の一部
「唐山大地震は当時、私が現地にまで赴き、心血を注ぎ、調べた大地震です。
私が唐山にいったのは震災から5年経った1981年で、当時唐山市は外国人の立ち入りが制限されていて、瓦礫の生々しい姿が所々に残っていたんです。特別待遇で許可されて、幸運でした。
唐山大地震は死者24万人。さまざまな理由があったのですが(※)、最近の地震とは比べ物にならないくらいの被害でした。実に、20世紀最大の震災です。
阪神大震災は1995年、関東大震災は1923年にありました。大阪も東京も、そして唐山もりっぱに復興し、今では忘れつつある震災ですが、これは決して忘れてはいけません。多くの人が心に傷をおって生きています。家族を失った人の心の復興には時間がかかるのです。そういう意味でも、唐山大地震は私にとって大きな意味を持つ地震です。」
※片山教授によると、映画『唐山大地震―想い続けた32年』でも描かれているとおり、建物の倒壊で圧死した方が多かったそうである。また、救助は解放軍がくるまで、そこの住民が素手で瓦礫を掘っていたという。当時の中国政府は唐山地区の震災の可能性を低く見ており、建物の耐震構造もいい加減なものだったそうだ。だが、この甚大な被害を出した地震を契機に、中国の震災対策は向上し、現代では世界の中でも震災対策の先進国になったという。
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今回のシンポジウムは震災から、いかに家族を守るということをテーマにしており、会場に集まった約200人の学者や企業人は熱心に話を聞き、会場内に設置された『唐山大地震―想い続けた32年―』のブースも賑わいをみせました。
★片山恒雄氏
1939年東京生まれ。専門は耐震防災工学。東京大学工学部卒。同大学院修士課程修了。ニューサウスウェールズ大学大学院土木工学科博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、独立行政法人・防災科学技術研究所理事長を経て、現在は東京電機大学教授。「唐山大地震―今世紀最大の震災」(1988/朝日新聞社)の監修に携わる。主な著書に「防災」(共著/1996/東京大学出版会)、「東京大地震は必ず起きる」(著/2002/文春新書)など。
★「第10回国土セイフティネットシンポジウム
片山恒雄氏(東京電機大学教授)が会長を務めるNPO法人リアルタイム地震情報利用協議会と(独)防災科学技術研究所、一般社団法人 日本地震工学会が主催し、いつ襲ってくるかわからない地震への恐怖と不安から、多くの家族を守るためにはどのようにしたらいいのか、考えるシンポジウムで、200名以上の学者、専門家、企業人が集まった。
<「震災対策技術展」とは>
2月3日(木)・4日(金)にパシフィコ横浜で開催され、震災・災害への備え、緊急対応力、救援・復旧活動など、災害におけるすべての最新技術を網羅し、首都直下地震や東海地震といった大地震はもちろん、ゲリラ豪雨等の自然災害から首都圏の安全を守るため、最新の対策製品・技術・サービスなどを展示する日本最大級の専門見本市で、107社がブースを出している。 震度7以上を体験できる地震体験車や最新簡易トイレ、水入らずで温かいカレーや牛丼ができるという非常食など500点以上が展示されている。
4日(金)まで開催中。
日時:2月3日(木)〜2月4日(金) 10:00〜17:00
場所:パシフィコ横浜/アネックスホール(横浜市西区みなとみらい1-1-1)
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映画『唐山大地震―想い続けた32年―』 作品情報
INTRODUCTION
1976年に実際に起こり、死者24万人、重傷者16万人という被害を出した【20世紀最大の震災】、唐山大地震を背景に、地震により運命づけられたある家族の姿を、中国NO.1のヒットメーカーであり、米・雑誌「NEWSWEEK」が「中国のスピルバーグ」と評するフォン・シャオガン監督(「女帝[エンペラー]」「狙った恋の落とし方。」)が描いた感動作。
あの『アバター』『レッドクリフ』をオープニング成績で超え、中国映画の歴代最高記録を塗り替え(2010/9/19時点)、2000万人を動員した話題作で、中国ではその感動のドラマに号泣する人が続出し、【催涙弾映画】の異名で呼ばれている。
STORY
わずか23秒の地震が、32年にも及ぶ運命の物語のはじまりだった─。
1976年7月28日中国・唐山市を未曾有の大地震が襲った。倒壊する建物の中で父を失った母は、残された二人の子供の行方を捜す。翌朝、瓦礫の下で姉弟が奇跡的に息をしていることが母親に伝えらえるが、同時に「どちらか一人しか助けられない。」というあまりに残酷な状況が伝えられる。「息子を・・・」泣き崩れる母親。だが、その消え入るような声は瓦礫の下の姉の耳にも届いていた。
時は流れ、娘の死を思い続けながら母親は生きていた。そして奇跡的に生き延びた娘も養父母の元、成長していた、―今、32年の時を経て、親子の運命が大きく動き出す。
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監督:フォン・シャオガン(『女帝[エンペラー]』『狙った恋の落とし方。』『戦場のレクイエム』)
出演:シュイ・ファン、チャン・チンチュー、リー・チャン、チェン・ダオミン
提供・配給:松竹 特別協賛:ニトリ
原作:「唐山大地震」チャン・リン(角川書店刊)
上映時間:2時間15分 公式サイト:tozan-movie.jp
(C)2010 Tangshan Broadcast and Television Media Co., Ltd. Huayi Brothers Media Corporation Media Asia Films (BVI) Limited All Rights Reserved.
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3月26日(土)全国ロードショー
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片山教授は、耐震防災工学における日本の第一人者で、映画『唐山大地震―想い続けた32年』の宣伝の監修を勤められました。専門家の視点から見る【20世紀最大の震災】唐山大地震はどのようなものだったのか?21世紀の我々はそこに何を学ぶべきなのか?お話をお伺いしました。
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★シンポジウム冒頭での片山恒雄氏のご挨拶の一部
「唐山大地震は当時、私が現地にまで赴き、心血を注ぎ、調べた大地震です。
私が唐山にいったのは震災から5年経った1981年で、当時唐山市は外国人の立ち入りが制限されていて、瓦礫の生々しい姿が所々に残っていたんです。特別待遇で許可されて、幸運でした。
唐山大地震は死者24万人。さまざまな理由があったのですが(※)、最近の地震とは比べ物にならないくらいの被害でした。実に、20世紀最大の震災です。
阪神大震災は1995年、関東大震災は1923年にありました。大阪も東京も、そして唐山もりっぱに復興し、今では忘れつつある震災ですが、これは決して忘れてはいけません。多くの人が心に傷をおって生きています。家族を失った人の心の復興には時間がかかるのです。そういう意味でも、唐山大地震は私にとって大きな意味を持つ地震です。」
※片山教授によると、映画『唐山大地震―想い続けた32年』でも描かれているとおり、建物の倒壊で圧死した方が多かったそうである。また、救助は解放軍がくるまで、そこの住民が素手で瓦礫を掘っていたという。当時の中国政府は唐山地区の震災の可能性を低く見ており、建物の耐震構造もいい加減なものだったそうだ。だが、この甚大な被害を出した地震を契機に、中国の震災対策は向上し、現代では世界の中でも震災対策の先進国になったという。
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今回のシンポジウムは震災から、いかに家族を守るということをテーマにしており、会場に集まった約200人の学者や企業人は熱心に話を聞き、会場内に設置された『唐山大地震―想い続けた32年―』のブースも賑わいをみせました。
★片山恒雄氏
1939年東京生まれ。専門は耐震防災工学。東京大学工学部卒。同大学院修士課程修了。ニューサウスウェールズ大学大学院土木工学科博士課程修了。東京大学生産技術研究所教授、独立行政法人・防災科学技術研究所理事長を経て、現在は東京電機大学教授。「唐山大地震―今世紀最大の震災」(1988/朝日新聞社)の監修に携わる。主な著書に「防災」(共著/1996/東京大学出版会)、「東京大地震は必ず起きる」(著/2002/文春新書)など。
★「第10回国土セイフティネットシンポジウム
片山恒雄氏(東京電機大学教授)が会長を務めるNPO法人リアルタイム地震情報利用協議会と(独)防災科学技術研究所、一般社団法人 日本地震工学会が主催し、いつ襲ってくるかわからない地震への恐怖と不安から、多くの家族を守るためにはどのようにしたらいいのか、考えるシンポジウムで、200名以上の学者、専門家、企業人が集まった。
<「震災対策技術展」とは>
2月3日(木)・4日(金)にパシフィコ横浜で開催され、震災・災害への備え、緊急対応力、救援・復旧活動など、災害におけるすべての最新技術を網羅し、首都直下地震や東海地震といった大地震はもちろん、ゲリラ豪雨等の自然災害から首都圏の安全を守るため、最新の対策製品・技術・サービスなどを展示する日本最大級の専門見本市で、107社がブースを出している。 震度7以上を体験できる地震体験車や最新簡易トイレ、水入らずで温かいカレーや牛丼ができるという非常食など500点以上が展示されている。
4日(金)まで開催中。
日時:2月3日(木)〜2月4日(金) 10:00〜17:00
場所:パシフィコ横浜/アネックスホール(横浜市西区みなとみらい1-1-1)
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映画『唐山大地震―想い続けた32年―』 作品情報
INTRODUCTION
1976年に実際に起こり、死者24万人、重傷者16万人という被害を出した【20世紀最大の震災】、唐山大地震を背景に、地震により運命づけられたある家族の姿を、中国NO.1のヒットメーカーであり、米・雑誌「NEWSWEEK」が「中国のスピルバーグ」と評するフォン・シャオガン監督(「女帝[エンペラー]」「狙った恋の落とし方。」)が描いた感動作。
あの『アバター』『レッドクリフ』をオープニング成績で超え、中国映画の歴代最高記録を塗り替え(2010/9/19時点)、2000万人を動員した話題作で、中国ではその感動のドラマに号泣する人が続出し、【催涙弾映画】の異名で呼ばれている。
STORY
わずか23秒の地震が、32年にも及ぶ運命の物語のはじまりだった─。
1976年7月28日中国・唐山市を未曾有の大地震が襲った。倒壊する建物の中で父を失った母は、残された二人の子供の行方を捜す。翌朝、瓦礫の下で姉弟が奇跡的に息をしていることが母親に伝えらえるが、同時に「どちらか一人しか助けられない。」というあまりに残酷な状況が伝えられる。「息子を・・・」泣き崩れる母親。だが、その消え入るような声は瓦礫の下の姉の耳にも届いていた。
時は流れ、娘の死を思い続けながら母親は生きていた。そして奇跡的に生き延びた娘も養父母の元、成長していた、―今、32年の時を経て、親子の運命が大きく動き出す。
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監督:フォン・シャオガン(『女帝[エンペラー]』『狙った恋の落とし方。』『戦場のレクイエム』)
出演:シュイ・ファン、チャン・チンチュー、リー・チャン、チェン・ダオミン
提供・配給:松竹 特別協賛:ニトリ
原作:「唐山大地震」チャン・リン(角川書店刊)
上映時間:2時間15分 公式サイト:tozan-movie.jp
(C)2010 Tangshan Broadcast and Television Media Co., Ltd. Huayi Brothers Media Corporation Media Asia Films (BVI) Limited All Rights Reserved.
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3月26日(土)全国ロードショー
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