2009年09月28日
9/24(木)『第2回したまちコメディ映画祭in台東』
●実施日時:9月24日(木)
●場所:浅草公会堂
■阿甘(アーガン)監督:
こんにちは。西安で育ったのですが、映画にも西安の名所・旧跡がたくさん出てきます。西安のどこで撮影しているのか想像してみてください。というのも西安で一番見かけた外国人が日本人でした。楽しんでください。
〈ティーチイン〉
Q.原作とラストが違う点について
原作はコメディではないし、歌も踊りもありません。悲劇はたくさん映画になっています。辛い話はもっと上があると思い、コメディにしました。
Q.キャスティングは?
恋人選びと同じで、間違えると悲惨なことになります。完成するまで自信は持てなかったが、満足しています。
Q.歌と踊りのシーンを入れようと思ったきっかけは?中国の観客の反応は?
国内は音楽の部分を楽しんでくれました。ブロードウェイのような伝統はないので、中国人がなじみやすいようにミュージカル部分を抑えました。中国にはミュージカルはありません。5〜6つの歌、踊りが出てきますが、1曲の音楽を作るには、1本の映画を作るのと同じ労力を使うのでもっと入れるのは難しいです。
Q.製作費、製作期間は?
昨年2月に原作を読み、6〜7月にクランクインしました。
Q.主演のグオ・タオさんはどんな人?
この作品が2作品目で、次も一緒に撮ります。舞台俳優だが、最近はコメディスターになりつつあります。
Q.次回作は?
27日から撮影をします。「ドンキホーテ」をグオ・タオ主演で、唐時代に置き換えて作ります。
<トークショーの様子>
立川氏は伴淳三郎の魅力について、「出てくるだけで面白いのは伴淳三郎さんだけ」と語った。
山本氏は家庭での伴淳三郎さんの様子を語り、会場を沸かせた。伴淳三郎さんのお弟子さんから昔の写真を頂いたエピソードを紹介し、実際に会場にいらしていたそのお弟子さんを紹介すると、一番の盛り上がりをみせた。最後に、山本さんから、今回の企画の動機となった山形の伴淳三郎の会の方への感謝のメッセージでトークショーは終了した。
■立川志らく氏
Q.伴淳三郎の魅力は?
出てきただけで面白いところです。チャップリンは作っているし、森繁さんも演技しなくては魅力がないと思います。
Q.プロデューサーとしての伴淳三郎は?
映画で残した功績が素晴らしいが、喜劇人は私生活ではたくさんの人に迷惑をかけるものだから、少しでも地域に貢献したいを考えていたのではないかな。
Q.「飢餓海峡」について
伴さんの演技は素晴らしかったが、ストーリーはあまり好きではないです。あそこまでの演出をしなくても、伴さんは素晴らしい演技ができたはずだと思います。
伴さんはすごく役作りの研究をしていました。例えば、職人役のときは職人の仕事を学んでいました。しかし伴さんの場面、どの映画でも伴さんらしさを失わなかったところがすごいと思います。
■山本康一郎氏
Q.初めて伴淳三郎の息子として、出演して頂いた理由は?
山形米沢での伴淳三郎に関わるイベントを地元の方が一生懸命やっているのを見たこと。また、いとうせいこうさんとの編集者時代の縁などから、何かできることはないかということで、写真などの資料を集め出しました。
そして、編集者としての目線から伴淳三郎は面白いと感じたためです。
Q.家での伴淳三郎は?
別々に暮らしていましたが、お小遣い狙いで父のところに行っていました。会話も少なく、奇怪な父親でした。
でも、亡くなった後、ベッドの下に自分の写真をしきつめていたことを知り、驚きました。それを見てから、両親が離婚したことによる苦労や、有名人の子としての苦労が帳消しになった気がしました。
父は高齢になってからの子供だったために、森繁さんに冗談で、「おじいちゃんだろ」とよく聞かれていました。その冗談によく怒っていました。
<トークショーの様子>
ゲストは、松尾貴史さん、宮沢章夫さん。冒頭、松尾さんが本日引っ越しということで、お二人の引っ越しトークで会場が盛り上がった。モンティパイソンの短い作品を観て、その都度トークするという形で進行した。
初めの作品は、「自転車修理マン」。内容には、政治風刺も描かれていて、その点についてのトークで盛り上がった。松尾さんは、「モンティパイソンのタブーを笑いに変える力が素晴らしい。その背景には、英国の視聴者にそのようなコメディを受け入れる土壌があるためではないか」と語った。
他4本の作品が流され、最終的に二人が考えるモンティパイソンの魅力は、パロディの対象である人や国を徹底的に研究し、忠実に再現することであり、その作品たちは「永遠の古典である」とした。
■松尾貴史
モンティパイソンとの出会いは、中学1年生のテレビ番組でした。
日本のクリエーターでも明らかにモンティパイソンから影響を受けている人は見れば分かります。使われる映像やセリフの言葉の違いも、おそらく皮肉る相手を忠実に再現しています。今の日本では、NHKアナウンサーでも「超」とかいう言葉を使うから、このようなパロディがやりづらくなっています。全部同じになっているからミスマッチやパロディという笑いが作れません。
モンティパイソンは一人も知っている俳優がいないのに夢中になりました。理屈抜きの面白さを感じます。
■宮沢章夫
モンティパイソンはテレビ放送されていた頃からのファンで、お笑いに携わるようになってからは、よく参考にしていました。
モンティパイソンは時間をかけてコントを作っています。例えば、チーズのコントなどでも細かく、大量のチーズの名前が出てきます。そのこだわりを見て、稽古の必要性に気付きました。
日本の笑いは楽屋オチ、スタッフの笑いに囲まれています。モンティパイソンの笑いは知識のない人が見ると面白くないかもしれません。モンティパイソンは放送作家が俳優をやっているというより、俳優が放送作家をやっているという感じがします。つまり、演者の演技もしっかりしているのです。
40年経っても色あせないし、改めて見ても面白い。永遠の古典です。PR
●場所:浅草公会堂
■阿甘(アーガン)監督:
こんにちは。西安で育ったのですが、映画にも西安の名所・旧跡がたくさん出てきます。西安のどこで撮影しているのか想像してみてください。というのも西安で一番見かけた外国人が日本人でした。楽しんでください。
〈ティーチイン〉
Q.原作とラストが違う点について
原作はコメディではないし、歌も踊りもありません。悲劇はたくさん映画になっています。辛い話はもっと上があると思い、コメディにしました。
Q.キャスティングは?
恋人選びと同じで、間違えると悲惨なことになります。完成するまで自信は持てなかったが、満足しています。
Q.歌と踊りのシーンを入れようと思ったきっかけは?中国の観客の反応は?
国内は音楽の部分を楽しんでくれました。ブロードウェイのような伝統はないので、中国人がなじみやすいようにミュージカル部分を抑えました。中国にはミュージカルはありません。5〜6つの歌、踊りが出てきますが、1曲の音楽を作るには、1本の映画を作るのと同じ労力を使うのでもっと入れるのは難しいです。
Q.製作費、製作期間は?
昨年2月に原作を読み、6〜7月にクランクインしました。
Q.主演のグオ・タオさんはどんな人?
この作品が2作品目で、次も一緒に撮ります。舞台俳優だが、最近はコメディスターになりつつあります。
Q.次回作は?
27日から撮影をします。「ドンキホーテ」をグオ・タオ主演で、唐時代に置き換えて作ります。
<トークショーの様子>
立川氏は伴淳三郎の魅力について、「出てくるだけで面白いのは伴淳三郎さんだけ」と語った。
山本氏は家庭での伴淳三郎さんの様子を語り、会場を沸かせた。伴淳三郎さんのお弟子さんから昔の写真を頂いたエピソードを紹介し、実際に会場にいらしていたそのお弟子さんを紹介すると、一番の盛り上がりをみせた。最後に、山本さんから、今回の企画の動機となった山形の伴淳三郎の会の方への感謝のメッセージでトークショーは終了した。
■立川志らく氏
Q.伴淳三郎の魅力は?
出てきただけで面白いところです。チャップリンは作っているし、森繁さんも演技しなくては魅力がないと思います。
Q.プロデューサーとしての伴淳三郎は?
映画で残した功績が素晴らしいが、喜劇人は私生活ではたくさんの人に迷惑をかけるものだから、少しでも地域に貢献したいを考えていたのではないかな。
Q.「飢餓海峡」について
伴さんの演技は素晴らしかったが、ストーリーはあまり好きではないです。あそこまでの演出をしなくても、伴さんは素晴らしい演技ができたはずだと思います。
伴さんはすごく役作りの研究をしていました。例えば、職人役のときは職人の仕事を学んでいました。しかし伴さんの場面、どの映画でも伴さんらしさを失わなかったところがすごいと思います。
■山本康一郎氏
Q.初めて伴淳三郎の息子として、出演して頂いた理由は?
山形米沢での伴淳三郎に関わるイベントを地元の方が一生懸命やっているのを見たこと。また、いとうせいこうさんとの編集者時代の縁などから、何かできることはないかということで、写真などの資料を集め出しました。
そして、編集者としての目線から伴淳三郎は面白いと感じたためです。
Q.家での伴淳三郎は?
別々に暮らしていましたが、お小遣い狙いで父のところに行っていました。会話も少なく、奇怪な父親でした。
でも、亡くなった後、ベッドの下に自分の写真をしきつめていたことを知り、驚きました。それを見てから、両親が離婚したことによる苦労や、有名人の子としての苦労が帳消しになった気がしました。
父は高齢になってからの子供だったために、森繁さんに冗談で、「おじいちゃんだろ」とよく聞かれていました。その冗談によく怒っていました。
<トークショーの様子>
ゲストは、松尾貴史さん、宮沢章夫さん。冒頭、松尾さんが本日引っ越しということで、お二人の引っ越しトークで会場が盛り上がった。モンティパイソンの短い作品を観て、その都度トークするという形で進行した。
初めの作品は、「自転車修理マン」。内容には、政治風刺も描かれていて、その点についてのトークで盛り上がった。松尾さんは、「モンティパイソンのタブーを笑いに変える力が素晴らしい。その背景には、英国の視聴者にそのようなコメディを受け入れる土壌があるためではないか」と語った。
他4本の作品が流され、最終的に二人が考えるモンティパイソンの魅力は、パロディの対象である人や国を徹底的に研究し、忠実に再現することであり、その作品たちは「永遠の古典である」とした。
■松尾貴史
モンティパイソンとの出会いは、中学1年生のテレビ番組でした。
日本のクリエーターでも明らかにモンティパイソンから影響を受けている人は見れば分かります。使われる映像やセリフの言葉の違いも、おそらく皮肉る相手を忠実に再現しています。今の日本では、NHKアナウンサーでも「超」とかいう言葉を使うから、このようなパロディがやりづらくなっています。全部同じになっているからミスマッチやパロディという笑いが作れません。
モンティパイソンは一人も知っている俳優がいないのに夢中になりました。理屈抜きの面白さを感じます。
■宮沢章夫
モンティパイソンはテレビ放送されていた頃からのファンで、お笑いに携わるようになってからは、よく参考にしていました。
モンティパイソンは時間をかけてコントを作っています。例えば、チーズのコントなどでも細かく、大量のチーズの名前が出てきます。そのこだわりを見て、稽古の必要性に気付きました。
日本の笑いは楽屋オチ、スタッフの笑いに囲まれています。モンティパイソンの笑いは知識のない人が見ると面白くないかもしれません。モンティパイソンは放送作家が俳優をやっているというより、俳優が放送作家をやっているという感じがします。つまり、演者の演技もしっかりしているのです。
40年経っても色あせないし、改めて見ても面白い。永遠の古典です。PR
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image