2014年06月21日
富岡製糸場、世界遺産に決定、国内18件目
富岡製糸場、
世界遺産に決定
国内18件目
カタールのドーハで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)
の世界遺産委員会は21日、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を
世界文化遺産に登録することを決めた。
日本からの文化遺産への登録は昨年の
「富士山」(山梨、静岡両県)に続く14件目。
自然遺産と合わせた国内の世界遺産は18件となった。
国内で近代以降につくられた産業施設の登録は初めて。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、
1872年に殖産興業を担う官営工場として設立された
「富岡製糸場」(富岡市)のほか、
蚕の卵の品種改良や農家への養蚕指導の拠点となった
「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)と
「高山社跡」(藤岡市)、
自然の冷気を利用した卵の貯蔵施設
「荒船風穴」(下仁田町)の4資産で構成。
富岡製糸場を中心に、
海外から導入した技術を改良して良質な繭を生産し、
かつては春に1回だった養蚕を夏や秋にも可能として生糸の増産につなげた。
政府は、
世界の絹産業発展させた象徴的な施設として推薦した。
今年4月、
ユネスコの諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が
「日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と高く評価し、
ユネスコに登録を勧告していた。
登録決定を会場で見届けた群馬県の大沢正明知事は、
採決後に英語でスピーチし、
「今後はこの喜びを忘れることなく、
この遺産を保全し、
将来の世代に伝えていくために最善を尽くします」と語った。
群馬)世界遺産登録「もうすぐ」 富岡、観光客ら祝福
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録の決定を受け、
地元の群馬・富岡市は、
歓喜の渦に包まれた。
パブリックビューイングが行われた富岡小学校では、
終了して、
およそ30分たっているが、
地元紙の号外が配布されるなど、
熱気はまだ冷めておらず、
多くの市民が喜びに浸っている。
富岡市の岩井 賢太郎市長は、
「言葉になりません」と語った。
製糸場の近くにある富岡小学校の体育館でのパブリックビューイングは、
20日の夜から行われていて、
21日は、
市長をはじめ、
およそ900人の市民が詰めかけ、
審議の様子を見守った。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の審議が始まると、
会場総立ちとなり、
委員国による好意的なコメントが伝えられるたびに、
大きな拍手がわき起こった。
そして、
登録決定の瞬間、
会場全体が、
長い拍手と歓声に包まれた。
また、
富岡製糸場でも、
審議を見守っていた職員らが、
決定を受けて万歳を行った。
このあと、
富岡市長が、
防災無線を使って市民にお礼を伝える予定で、
午後6時半からは、
祝賀パレードが行われる。
富岡製糸場、世界遺産登録 地元はお祝いムード一色に
日本で18件目の登録が決定した。
群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が日本時間21日午後5時前、
中東のカタールで開かれているユネスコの世界遺産委員会で、
世界文化遺産に登録された。
待ち焦がれていた正式決定に、
地元は、
お祝いムードに包まれている。
富岡製糸場事務所は、
世界遺産登録決定の一報を受け、
会場内は、
大いに盛り上がった。
4件の施設で構成される「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、
カタール・ドーハで開かれているユネスコ世界遺産委員会で、
正式に世界文化遺産への登録が決定した。
地元では、
21日朝から、
念願の正式決定を前に、
多くの人が集まった。
ボランティアの人は「(きょう決まるといいですね)そうですね。
決まると、
本当にうれしいんで」と話した。
また、
子どもは「(世界遺産って何か知っている?)世界の宝物」と話した。
中には、
登録への思いを髪形で表現する人もいて、
「これ、
自分で切りました。
登録になって、
もっと盛り上がってほしいです」と話した。
そして、
日本時間21日午後4時56分、
迎えた歓喜の瞬間。
市が文化庁に提案書を提出してから、
およそ8年。
待ちに待った世界遺産登録に、
地元は、
お祝いムード一色となっている。
おめでとう! 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に決定
カタールのドーハで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界遺産委員会において6月21日、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録を決定した。
これで国内の世界遺産登録は昨年の「富士山」に続き18件目。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本初の官営製糸場である
「富岡製糸場」のほか、
近隣の養蚕農家
「田島弥平旧宅」や教育機関である
「高山社跡」、蚕の卵を貯蔵した
「荒船風穴」の4カ所で構成されている。
日本の近代産業遺産が登録されたのは初。
今年4月にはユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」について世界文化遺産への
「登録」を勧告したと発表していた。
今年4月にはユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」について世界文化遺産への
「登録」を勧告したと発表していた。
“世界遺産”待ち望む地元
阿部
「いよいよ明日、
世界遺産への登録が正式に決定される見通しです。」
鈴木
「群馬県にある富岡製糸場です。
明治5年に、
絹の原料となる生糸を生産する、
日本で最初の官営工場として建てられました。
当時貴重だった生糸を大量に生産。
繊維産業に革新をもたらし、
日本の近代化となりました。」
阿部
「今回、
世界遺産に登録される見通しなのは
『富岡製糸場と絹産業遺産群』です。
カタールのドーハで行われているユネスコ世界遺産委員会の会合で、
明日の午後、
登録が正式に決定される見通しです。」
鈴木
「地域の人たちが待ちわびた世界遺産への登録。
群馬県富岡市には堀越アナウンサーが行っています。
堀越さん!」
「オー、トミオカ〜♪」
堀越
「『オー・トミオカ』、
『オー・シャンゼリゼ』の替え歌です。
地元・富岡の方々、
こんな歌も作りました。
富岡市の商店街にあります観光物産館、
富岡製糸場もここから歩いてすぐのところにあります。
そこにお集まりいただきました、
地元・富岡の皆さん、
盛り上がってますか!」
「イエーイ!」
堀越
「もう世界遺産登録が待ちきれない、
この富岡では、
ゆるキャラも世界遺産登録を願っています。
富岡市のイメージキャラクター、
その名も
『お富ちゃん』です。
この衣装は、
富岡製糸場で働いていた人の姿をしているんですね。
さあ、いよいよ目の前に迫ってまいりました、
富岡製糸場の世界遺産登録。
そこに至るまでには、
皆さんのような地元の人たちが製糸場を守ってきた、
世界に向けてアピールしてきた、
長いあゆみがあったんです。」
富岡製糸場 世界遺産へ 支え続けた人たち
菱川信也さん
「懐かしいですね。」
富岡製糸場が操業していたころの従業員、
菱川信也(ひしかわ・のぶや)さんです。
富岡製糸場に配属され、
生産管理を担当していました。
しかしその後、
昭和50年代に入ると、
安い海外の生糸に押され、
生産量は減少。
昭和62年、
富岡製糸場はついに操業停止に追い込まれました。
歴史ある建物をこの先、
どう残していくのか。
会社の経営が厳しい中、
保存するには、
年間1億円の費用が必要になります。
菱川さんの当時のノートに、
会社の重い決断が記されていました。
“歴史的文化的価値を生かした保存方法を考えていきたい。”
会社は、
費用を負担してでも、
建物の保存を決めたのです。
菱川信也さん
「きちっと社会的責任を果たしていくという、
強い思いが会社の中に間違いなくあった。」
操業を終えた富岡製糸場を守るために立ち上がったのは、
市民でした。
高橋伸二さんは、
操業停止の翌年、
「富岡製糸場を愛する会」を設立。
当初のメンバーはわずか14人でした。
場内の清掃活動など、
富岡製糸場を身近に感じてもらう活動を続けてきました。
メンバーは、
年々増え続け、
1,400人を超えるまでになりました。
富岡製糸場を愛する会 高橋伸二さん
「世界の宝物になる文化価値を持っていることを信じたり、
人に話したりしながら、
その結果がこういうふうに結びついているのであれば、
大変自分としてもうれしい。」
平成17年、
富岡製糸場の建物が製糸会社から富岡市に譲渡されることになりました。
群馬県ではプロジェクトチームが発足。
世界遺産登録に向けた、
本格的な活動に乗り出しました。
当初は、
「日本の近代化のきっかけになった」ことを全面的にアピールしました。
しかし海外の専門家から指摘されたのは、
日本ではなく世界に与えた影響をアピールせよ、
というものでした。
そこでプロジェクトチームが注目したのは、
日本の生糸が、かつて世界一の輸出量を誇っていたという事実でした。
当時の日本が築き上げた大量生産のシステムが、
高級品だった生糸の値段を大幅に下げることになったのです。
群馬県 世界遺産推進課 松浦利隆課長
「日本の近代化というふうに書いてありますね。
最初は日本の近代化をテーマにしていたんですけども
『世界を変えた』ということで、
『生糸の大量生産が世界を変えた』
というふうにコンセプトを変えたわけですね。」
群馬県 世界遺産推進課 松浦利隆課長
「昔は特権階級の着物だったものが、
どうして今、
誰でも身につけられるようになったのか、
その変化をわれわれの遺産が起こしたんだ。
このほうがメッセージ性が高いんじゃないか。」
このアピールポイントの変更が、
世界遺産登録への大きなはずみとなりました。
富岡製糸場を支えた多くの人たちの思い。
それが今、
世界遺産として身を結ぼうとしています。
堀越
「世界遺産に登録されれば、
この富岡の町に大勢の人たちがやって来ます。
この賑わいを一時のブームに終わらせてはいけないということで、
地元も商店街ではこんな活動も始めています。
この看板、
『富岡おせっ会』。
これ、
この看板を出しているお店に立ち寄れば、
町の見どころ、
魅力、
おいしいお店など、
何でも教えてくれるという活動なんですね。
町全体、
商店街全体が、
丸ごと観光案内所のような役割を務めることをめざしているんです。
この商店街の代表にお話を聞きます、
堀口良一さんです。
おはようございます。」
富岡商店街連合会 堀口良一会長
「おはようございます。」
堀越
「この商店街をあげてのおもてなし、
どんな思いが込められているんですか?」
富岡商店街連合会 堀口良一会長
「われわれの宝である富岡製糸場が、
今回、
世界遺産登録ということで、
たいへん盛り上がっております。
富岡を訪れた方と、
おもてなしの心をもって接したいということで、
おもてなし元年ということで頑張っております。」
堀越
「ありがとうございます。
世界から注目されますからね。
そして皆さん、
衣装もお揃いのものを作って、
おもてなしをしようとしているんですね。
100人くらいの方が、
世界遺産登録が決まれば商店街でこの服装で接客をすることにしているんです。
このように、
地元・富岡は世界遺産登録、
その瞬間に向けて準備万端でございます。
世界遺産登録に向けて待ち望む、
地元の商店街から中継でお伝えしました。」
鈴木
「いやあ、盛り上がってましたね。
こうやって地元の人たちが愛して守ってきたこの場所が、
今度は世界中の人たちから愛されるようになるといいですね。」
ecar
世界遺産に決定
国内18件目
カタールのドーハで開かれているユネスコ(国連教育科学文化機関)
の世界遺産委員会は21日、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)を
世界文化遺産に登録することを決めた。
日本からの文化遺産への登録は昨年の
「富士山」(山梨、静岡両県)に続く14件目。
自然遺産と合わせた国内の世界遺産は18件となった。
国内で近代以降につくられた産業施設の登録は初めて。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、
1872年に殖産興業を担う官営工場として設立された
「富岡製糸場」(富岡市)のほか、
蚕の卵の品種改良や農家への養蚕指導の拠点となった
「田島弥平旧宅」(伊勢崎市)と
「高山社跡」(藤岡市)、
自然の冷気を利用した卵の貯蔵施設
「荒船風穴」(下仁田町)の4資産で構成。
富岡製糸場を中心に、
海外から導入した技術を改良して良質な繭を生産し、
かつては春に1回だった養蚕を夏や秋にも可能として生糸の増産につなげた。
政府は、
世界の絹産業発展させた象徴的な施設として推薦した。
今年4月、
ユネスコの諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が
「日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となった」と高く評価し、
ユネスコに登録を勧告していた。
登録決定を会場で見届けた群馬県の大沢正明知事は、
採決後に英語でスピーチし、
「今後はこの喜びを忘れることなく、
この遺産を保全し、
将来の世代に伝えていくために最善を尽くします」と語った。
群馬)世界遺産登録「もうすぐ」 富岡、観光客ら祝福
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録の決定を受け、
地元の群馬・富岡市は、
歓喜の渦に包まれた。
パブリックビューイングが行われた富岡小学校では、
終了して、
およそ30分たっているが、
地元紙の号外が配布されるなど、
熱気はまだ冷めておらず、
多くの市民が喜びに浸っている。
富岡市の岩井 賢太郎市長は、
「言葉になりません」と語った。
製糸場の近くにある富岡小学校の体育館でのパブリックビューイングは、
20日の夜から行われていて、
21日は、
市長をはじめ、
およそ900人の市民が詰めかけ、
審議の様子を見守った。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の審議が始まると、
会場総立ちとなり、
委員国による好意的なコメントが伝えられるたびに、
大きな拍手がわき起こった。
そして、
登録決定の瞬間、
会場全体が、
長い拍手と歓声に包まれた。
また、
富岡製糸場でも、
審議を見守っていた職員らが、
決定を受けて万歳を行った。
このあと、
富岡市長が、
防災無線を使って市民にお礼を伝える予定で、
午後6時半からは、
祝賀パレードが行われる。
富岡製糸場、世界遺産登録 地元はお祝いムード一色に
日本で18件目の登録が決定した。
群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が日本時間21日午後5時前、
中東のカタールで開かれているユネスコの世界遺産委員会で、
世界文化遺産に登録された。
待ち焦がれていた正式決定に、
地元は、
お祝いムードに包まれている。
富岡製糸場事務所は、
世界遺産登録決定の一報を受け、
会場内は、
大いに盛り上がった。
4件の施設で構成される「富岡製糸場と絹産業遺産群」が、
カタール・ドーハで開かれているユネスコ世界遺産委員会で、
正式に世界文化遺産への登録が決定した。
地元では、
21日朝から、
念願の正式決定を前に、
多くの人が集まった。
ボランティアの人は「(きょう決まるといいですね)そうですね。
決まると、
本当にうれしいんで」と話した。
また、
子どもは「(世界遺産って何か知っている?)世界の宝物」と話した。
中には、
登録への思いを髪形で表現する人もいて、
「これ、
自分で切りました。
登録になって、
もっと盛り上がってほしいです」と話した。
そして、
日本時間21日午後4時56分、
迎えた歓喜の瞬間。
市が文化庁に提案書を提出してから、
およそ8年。
待ちに待った世界遺産登録に、
地元は、
お祝いムード一色となっている。
おめでとう! 「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に決定
カタールのドーハで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の
世界遺産委員会において6月21日、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の世界文化遺産登録を決定した。
これで国内の世界遺産登録は昨年の「富士山」に続き18件目。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本初の官営製糸場である
「富岡製糸場」のほか、
近隣の養蚕農家
「田島弥平旧宅」や教育機関である
「高山社跡」、蚕の卵を貯蔵した
「荒船風穴」の4カ所で構成されている。
日本の近代産業遺産が登録されたのは初。
今年4月にはユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」について世界文化遺産への
「登録」を勧告したと発表していた。
今年4月にはユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」について世界文化遺産への
「登録」を勧告したと発表していた。
“世界遺産”待ち望む地元
阿部
「いよいよ明日、
世界遺産への登録が正式に決定される見通しです。」
鈴木
「群馬県にある富岡製糸場です。
明治5年に、
絹の原料となる生糸を生産する、
日本で最初の官営工場として建てられました。
当時貴重だった生糸を大量に生産。
繊維産業に革新をもたらし、
日本の近代化となりました。」
阿部
「今回、
世界遺産に登録される見通しなのは
『富岡製糸場と絹産業遺産群』です。
カタールのドーハで行われているユネスコ世界遺産委員会の会合で、
明日の午後、
登録が正式に決定される見通しです。」
鈴木
「地域の人たちが待ちわびた世界遺産への登録。
群馬県富岡市には堀越アナウンサーが行っています。
堀越さん!」
「オー、トミオカ〜♪」
堀越
「『オー・トミオカ』、
『オー・シャンゼリゼ』の替え歌です。
地元・富岡の方々、
こんな歌も作りました。
富岡市の商店街にあります観光物産館、
富岡製糸場もここから歩いてすぐのところにあります。
そこにお集まりいただきました、
地元・富岡の皆さん、
盛り上がってますか!」
「イエーイ!」
堀越
「もう世界遺産登録が待ちきれない、
この富岡では、
ゆるキャラも世界遺産登録を願っています。
富岡市のイメージキャラクター、
その名も
『お富ちゃん』です。
この衣装は、
富岡製糸場で働いていた人の姿をしているんですね。
さあ、いよいよ目の前に迫ってまいりました、
富岡製糸場の世界遺産登録。
そこに至るまでには、
皆さんのような地元の人たちが製糸場を守ってきた、
世界に向けてアピールしてきた、
長いあゆみがあったんです。」
富岡製糸場 世界遺産へ 支え続けた人たち
菱川信也さん
「懐かしいですね。」
富岡製糸場が操業していたころの従業員、
菱川信也(ひしかわ・のぶや)さんです。
富岡製糸場に配属され、
生産管理を担当していました。
しかしその後、
昭和50年代に入ると、
安い海外の生糸に押され、
生産量は減少。
昭和62年、
富岡製糸場はついに操業停止に追い込まれました。
歴史ある建物をこの先、
どう残していくのか。
会社の経営が厳しい中、
保存するには、
年間1億円の費用が必要になります。
菱川さんの当時のノートに、
会社の重い決断が記されていました。
“歴史的文化的価値を生かした保存方法を考えていきたい。”
会社は、
費用を負担してでも、
建物の保存を決めたのです。
菱川信也さん
「きちっと社会的責任を果たしていくという、
強い思いが会社の中に間違いなくあった。」
操業を終えた富岡製糸場を守るために立ち上がったのは、
市民でした。
高橋伸二さんは、
操業停止の翌年、
「富岡製糸場を愛する会」を設立。
当初のメンバーはわずか14人でした。
場内の清掃活動など、
富岡製糸場を身近に感じてもらう活動を続けてきました。
メンバーは、
年々増え続け、
1,400人を超えるまでになりました。
富岡製糸場を愛する会 高橋伸二さん
「世界の宝物になる文化価値を持っていることを信じたり、
人に話したりしながら、
その結果がこういうふうに結びついているのであれば、
大変自分としてもうれしい。」
平成17年、
富岡製糸場の建物が製糸会社から富岡市に譲渡されることになりました。
群馬県ではプロジェクトチームが発足。
世界遺産登録に向けた、
本格的な活動に乗り出しました。
当初は、
「日本の近代化のきっかけになった」ことを全面的にアピールしました。
しかし海外の専門家から指摘されたのは、
日本ではなく世界に与えた影響をアピールせよ、
というものでした。
そこでプロジェクトチームが注目したのは、
日本の生糸が、かつて世界一の輸出量を誇っていたという事実でした。
当時の日本が築き上げた大量生産のシステムが、
高級品だった生糸の値段を大幅に下げることになったのです。
群馬県 世界遺産推進課 松浦利隆課長
「日本の近代化というふうに書いてありますね。
最初は日本の近代化をテーマにしていたんですけども
『世界を変えた』ということで、
『生糸の大量生産が世界を変えた』
というふうにコンセプトを変えたわけですね。」
群馬県 世界遺産推進課 松浦利隆課長
「昔は特権階級の着物だったものが、
どうして今、
誰でも身につけられるようになったのか、
その変化をわれわれの遺産が起こしたんだ。
このほうがメッセージ性が高いんじゃないか。」
このアピールポイントの変更が、
世界遺産登録への大きなはずみとなりました。
富岡製糸場を支えた多くの人たちの思い。
それが今、
世界遺産として身を結ぼうとしています。
堀越
「世界遺産に登録されれば、
この富岡の町に大勢の人たちがやって来ます。
この賑わいを一時のブームに終わらせてはいけないということで、
地元も商店街ではこんな活動も始めています。
この看板、
『富岡おせっ会』。
これ、
この看板を出しているお店に立ち寄れば、
町の見どころ、
魅力、
おいしいお店など、
何でも教えてくれるという活動なんですね。
町全体、
商店街全体が、
丸ごと観光案内所のような役割を務めることをめざしているんです。
この商店街の代表にお話を聞きます、
堀口良一さんです。
おはようございます。」
富岡商店街連合会 堀口良一会長
「おはようございます。」
堀越
「この商店街をあげてのおもてなし、
どんな思いが込められているんですか?」
富岡商店街連合会 堀口良一会長
「われわれの宝である富岡製糸場が、
今回、
世界遺産登録ということで、
たいへん盛り上がっております。
富岡を訪れた方と、
おもてなしの心をもって接したいということで、
おもてなし元年ということで頑張っております。」
堀越
「ありがとうございます。
世界から注目されますからね。
そして皆さん、
衣装もお揃いのものを作って、
おもてなしをしようとしているんですね。
100人くらいの方が、
世界遺産登録が決まれば商店街でこの服装で接客をすることにしているんです。
このように、
地元・富岡は世界遺産登録、
その瞬間に向けて準備万端でございます。
世界遺産登録に向けて待ち望む、
地元の商店街から中継でお伝えしました。」
鈴木
「いやあ、盛り上がってましたね。
こうやって地元の人たちが愛して守ってきたこの場所が、
今度は世界中の人たちから愛されるようになるといいですね。」
ecar
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