2014年08月13日
stap 細胞 笹井
おはようございます。
ecarです。
今日は
【理研・笹井氏自殺:「バッシングに疲れた」の遺書−−家族宛て】
をお届けします。
理研・笹井氏自殺:「バッシングに疲れた」の遺書−−家族宛て
STAP細胞論文の著者の一人で、
自殺した理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長(52)の遺族の代理人弁護士が12日、
大阪市内で記者会見し、
家族宛ての遺書の概要を明らかにした。
自殺する理由について
「マスコミなどからの不当なバッシング、
理研や研究室への責任から疲れ切ってしまった」
との趣旨の記述があったという。
代理人の中村和洋(かずひろ)弁護士によると、
遺書は妻と兄宛て。
いずれも
「今までありがとう」
「先立つことについて申し訳ない」
などの言葉が記されていた。
笹井氏の状況について、
遺族は中村弁護士に
「論文の疑惑が指摘された今年3月ごろから心労を感じていた。
6月にセンター解体の提言を受け、
相当ショックを受けていた。
精神的に追い込まれ、
今回の事につながった」
と話したという。
遺族は中村弁護士を通じて出したコメントで
「突然の出来事を受け入れることができずにいます。
今は絶望しか見えません」
と心境を明かした。
理研の職員や研究者には
「おわびのしようもありません。
一日も早く、
研究・業務に専念できる環境が戻ることを切に願うばかりです」
としている。【
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長が5日に自殺した問題をめぐり、
理研の対応に批判が高まっている。
理研は自殺の約10日前、
笹井氏が体調悪化で職務不能な状態に陥ったことを把握しながら、
本人が希望していた辞任を認めず、
心理面のサポートも十分に行っていなかった。
対応の遅れで最悪の事態を防げなかった危機管理の甘さが問われそうだ。
複数の関係者によると、
笹井氏の精神状態が極端に悪化したのは7月下旬。
主宰する研究室で科学的な議論ができなくなり、
研究員が「ディスカッションが成立しない」と25日、
竹市雅俊センター長に通報した。
竹市氏はセンターの健康管理室に相談。
「医師の受診を勧めてほしい」との回答を受け、
笹井氏の家族らと対応を話し合っていた直後に悲劇が起きた。
理研は笹井氏の実質的な後任として、
26日付で斎藤茂和神戸事業所長を副センター長に起用。
しかし、
笹井氏の役職は解かず、
斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。
一連の流れは、
事態の緊急性を重く受け止めていなかったようにも受け取れる。
笹井氏はSTAP論文問題発覚後の3月、
副センター長の辞任を申し出たが、
竹市氏は調査中を理由に認めなかった。
外部からの批判も強まり、
笹井氏は現職にとどまることに強く責任を感じ、
心理的なストレスで体調が悪化していった。
関係者は「ずっと辞めたがっていたが許されず、
精神が圧迫された」
「7月下旬は負担を軽減する最後のチャンスだったのに、
なぜ解放してあげなかったのか」
と憤る。
大学院生時代から笹井氏を知る元京都大教授は
「研究者として自負心が強く、
今後に絶望感を覚えたのかもしれないが、
理研のガバナンス(組織統治)の欠如が彼を死に追いやった面は否定できない。
懲戒処分の判断も早く下すべきで、
決断できないまま、
いたずらに苦しめた」
と批判する。
同志社大の太田肇教授(組織論)は
「理研の対応は極めて不適切で認識が甘い。
一刻も早く役職から外すべきだった」
と話す。
STAP問題の当事者で研究グループの責任者、
センターの要職も務めていた笹井氏。
「計り知れないプレッシャーに追い詰められたのだろう。
研究者が危機管理職を兼ねる体制には無理があり、
今後は危機管理の専門職を置く必要がある」と太田教授は指摘した。
理研広報室は「再発防止のため、
笹井氏への対応が適切だったか速やかに検証する」
としている。
笹井芳樹が自殺した8月5日は、
『週刊文春』の盆休みのための合併号の編集が終わっていて、
雑誌に盛り込めないタイミングであった。
最初に笹井氏と小保方晴子との「失楽園」ゴシップのほか、
笹井氏の理研の同僚・高橋政代氏が笹井氏を評して
「研究者としての才能はあるが男としてはキモい」
と言ったとか言わなかったとか書いたのが週刊文春。
その週刊文春の次号が2週間先にならないと出ない時点で自殺したのは、
週刊文春に対するせめてもの意趣返しだったかと思うのは、
いくら何でも勘繰り過ぎだろうと自分でも思う。
本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。
ecar
ecarです。
今日は
【理研・笹井氏自殺:「バッシングに疲れた」の遺書−−家族宛て】
をお届けします。
理研・笹井氏自殺:「バッシングに疲れた」の遺書−−家族宛て
STAP細胞論文の著者の一人で、
自殺した理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長(52)の遺族の代理人弁護士が12日、
大阪市内で記者会見し、
家族宛ての遺書の概要を明らかにした。
自殺する理由について
「マスコミなどからの不当なバッシング、
理研や研究室への責任から疲れ切ってしまった」
との趣旨の記述があったという。
代理人の中村和洋(かずひろ)弁護士によると、
遺書は妻と兄宛て。
いずれも
「今までありがとう」
「先立つことについて申し訳ない」
などの言葉が記されていた。
笹井氏の状況について、
遺族は中村弁護士に
「論文の疑惑が指摘された今年3月ごろから心労を感じていた。
6月にセンター解体の提言を受け、
相当ショックを受けていた。
精神的に追い込まれ、
今回の事につながった」
と話したという。
遺族は中村弁護士を通じて出したコメントで
「突然の出来事を受け入れることができずにいます。
今は絶望しか見えません」
と心境を明かした。
理研の職員や研究者には
「おわびのしようもありません。
一日も早く、
研究・業務に専念できる環境が戻ることを切に願うばかりです」
としている。【
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長が5日に自殺した問題をめぐり、
理研の対応に批判が高まっている。
理研は自殺の約10日前、
笹井氏が体調悪化で職務不能な状態に陥ったことを把握しながら、
本人が希望していた辞任を認めず、
心理面のサポートも十分に行っていなかった。
対応の遅れで最悪の事態を防げなかった危機管理の甘さが問われそうだ。
複数の関係者によると、
笹井氏の精神状態が極端に悪化したのは7月下旬。
主宰する研究室で科学的な議論ができなくなり、
研究員が「ディスカッションが成立しない」と25日、
竹市雅俊センター長に通報した。
竹市氏はセンターの健康管理室に相談。
「医師の受診を勧めてほしい」との回答を受け、
笹井氏の家族らと対応を話し合っていた直後に悲劇が起きた。
理研は笹井氏の実質的な後任として、
26日付で斎藤茂和神戸事業所長を副センター長に起用。
しかし、
笹井氏の役職は解かず、
斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。
一連の流れは、
事態の緊急性を重く受け止めていなかったようにも受け取れる。
笹井氏はSTAP論文問題発覚後の3月、
副センター長の辞任を申し出たが、
竹市氏は調査中を理由に認めなかった。
外部からの批判も強まり、
笹井氏は現職にとどまることに強く責任を感じ、
心理的なストレスで体調が悪化していった。
関係者は「ずっと辞めたがっていたが許されず、
精神が圧迫された」
「7月下旬は負担を軽減する最後のチャンスだったのに、
なぜ解放してあげなかったのか」
と憤る。
大学院生時代から笹井氏を知る元京都大教授は
「研究者として自負心が強く、
今後に絶望感を覚えたのかもしれないが、
理研のガバナンス(組織統治)の欠如が彼を死に追いやった面は否定できない。
懲戒処分の判断も早く下すべきで、
決断できないまま、
いたずらに苦しめた」
と批判する。
同志社大の太田肇教授(組織論)は
「理研の対応は極めて不適切で認識が甘い。
一刻も早く役職から外すべきだった」
と話す。
STAP問題の当事者で研究グループの責任者、
センターの要職も務めていた笹井氏。
「計り知れないプレッシャーに追い詰められたのだろう。
研究者が危機管理職を兼ねる体制には無理があり、
今後は危機管理の専門職を置く必要がある」と太田教授は指摘した。
理研広報室は「再発防止のため、
笹井氏への対応が適切だったか速やかに検証する」
としている。
笹井芳樹が自殺した8月5日は、
『週刊文春』の盆休みのための合併号の編集が終わっていて、
雑誌に盛り込めないタイミングであった。
最初に笹井氏と小保方晴子との「失楽園」ゴシップのほか、
笹井氏の理研の同僚・高橋政代氏が笹井氏を評して
「研究者としての才能はあるが男としてはキモい」
と言ったとか言わなかったとか書いたのが週刊文春。
その週刊文春の次号が2週間先にならないと出ない時点で自殺したのは、
週刊文春に対するせめてもの意趣返しだったかと思うのは、
いくら何でも勘繰り過ぎだろうと自分でも思う。
本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。
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