2014年08月13日
stap 細胞 笹井
おはようございます。
ecarです。
今日は
【笹井氏の役職は解かず、斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。】
をお届けします。
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長が5日に自殺した問題をめぐり、
理研の対応に批判が高まっている。
理研は自殺の約10日前、
笹井氏が体調悪化で職務不能な状態に陥ったことを把握しながら、
本人が希望していた辞任を認めず、
心理面のサポートも十分に行っていなかった。
対応の遅れで最悪の事態を防げなかった危機管理の甘さが問われそうだ。
複数の関係者によると、
笹井氏の精神状態が極端に悪化したのは7月下旬。
主宰する研究室で科学的な議論ができなくなり、
研究員が「ディスカッションが成立しない」と25日、
竹市雅俊センター長に通報した。
竹市氏はセンターの健康管理室に相談。
「医師の受診を勧めてほしい」との回答を受け、
笹井氏の家族らと対応を話し合っていた直後に悲劇が起きた。
理研は笹井氏の実質的な後任として、
26日付で斎藤茂和神戸事業所長を副センター長に起用。
しかし、
笹井氏の役職は解かず、
斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。
一連の流れは、
事態の緊急性を重く受け止めていなかったようにも受け取れる。
笹井氏はSTAP論文問題発覚後の3月、
副センター長の辞任を申し出たが、
竹市氏は調査中を理由に認めなかった。
外部からの批判も強まり、
笹井氏は現職にとどまることに強く責任を感じ、
心理的なストレスで体調が悪化していった。
関係者は「ずっと辞めたがっていたが許されず、
精神が圧迫された」
「7月下旬は負担を軽減する最後のチャンスだったのに、
なぜ解放してあげなかったのか」
と憤る。
大学院生時代から笹井氏を知る元京都大教授は
「研究者として自負心が強く、
今後に絶望感を覚えたのかもしれないが、
理研のガバナンス(組織統治)の欠如が彼を死に追いやった面は否定できない。
懲戒処分の判断も早く下すべきで、
決断できないまま、
いたずらに苦しめた」
と批判する。
同志社大の太田肇教授(組織論)は
「理研の対応は極めて不適切で認識が甘い。
一刻も早く役職から外すべきだった」
と話す。
STAP問題の当事者で研究グループの責任者、
センターの要職も務めていた笹井氏。
「計り知れないプレッシャーに追い詰められたのだろう。
研究者が危機管理職を兼ねる体制には無理があり、
今後は危機管理の専門職を置く必要がある」と太田教授は指摘した。
理研広報室は「再発防止のため、
笹井氏への対応が適切だったか速やかに検証する」
としている。
笹井芳樹が自殺した8月5日は、
『週刊文春』の盆休みのための合併号の編集が終わっていて、
雑誌に盛り込めないタイミングであった。
最初に笹井氏と小保方晴子との「失楽園」ゴシップのほか、
笹井氏の理研の同僚・高橋政代氏が笹井氏を評して
「研究者としての才能はあるが男としてはキモい」
と言ったとか言わなかったとか書いたのが週刊文春。
その週刊文春の次号が2週間先にならないと出ない時点で自殺したのは、
週刊文春に対するせめてもの意趣返しだったかと思うのは、
いくら何でも勘繰り過ぎだろうと自分でも思う。
この盆休みの週にも雑誌を出しているのが『週刊朝日』であって、
その8月22日号に「笹井氏が小保方さんへ遺した言葉」という記事に、
大阪に住む笹井氏の母親の知人の話や、
笹井氏の家族に関する情報が出ている。
といっても後者は、
笹井氏には妻と、
20歳を超えた長男・長女がいて、
「STAP細胞」
騒動のあと、
「美人妻」
が近所に詫びたという程度の話。
どうやら笹井氏は単身赴任ではなかったらしく、
考えてみれば京大から神戸の理研CDBと、
ずっと本拠地は関西だったから、
単身赴任する理由はなかった。
週刊朝日の記事によると、
笹井氏が亡くなる3日前、
母親が
「芳樹がどこにいるか、
居場所がわからなくなって、
家族で捜し回っていた」
と困惑していた
。笹井氏の兄が笹井氏にメールで
「無事か」
と聞くと、
笹井氏は
「元気ではないけど、生きています」
と返信したという。
また笹井氏は母親に対し、
週刊文春が書いた小保方晴子との仲について、
「あんなことは絶対ないから信じてほしい」
と言っていた。
さらに、
「(理研が笹井氏を)クビにするならしてくれればいいのに、
アメリカで研究したいのに、
なかなか切ってくれない」
とも言っていたという。
そして週刊朝日は、
(笹井氏の処分ないし辞任の許可を)
「決断できなかった野依理事長の責任は重い」
という、理研改革委員長・岸輝雄氏(東大名誉教授)の談話を載せている。
もっとも、
この週刊朝日の記事は、
「笹井氏は最期まで、
STAP細胞の存在を信じていたのだ」
と書くなど問題含みではある。
笹井氏が本当に
「STAP細胞の存在を信じていた」
のなら、
自殺などするはずがなく、
愛弟子の小保方晴子が
「STAP細胞作製の『再現』」
に成功することを確信しつつ、
期待を込めて見守るだけで良かったからである。
昨日(8/12)はその他にも、
小保方晴子の博士論文調査をめぐる早稲田や文科省の
呆れた行状を書いた記事をネットで見かけたが、
時間が経った今探してもみつからない。
そうこうしているうちに、
笹井芳樹が家族にも遺書を遺していたことと、
笹井氏の家族のコメントを報じるニュースが流れた。
本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。
ecar
ecarです。
今日は
【笹井氏の役職は解かず、斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。】
をお届けします。
理化学研究所発生・再生科学総合研究センター
(神戸市)の笹井芳樹副センター長が5日に自殺した問題をめぐり、
理研の対応に批判が高まっている。
理研は自殺の約10日前、
笹井氏が体調悪化で職務不能な状態に陥ったことを把握しながら、
本人が希望していた辞任を認めず、
心理面のサポートも十分に行っていなかった。
対応の遅れで最悪の事態を防げなかった危機管理の甘さが問われそうだ。
複数の関係者によると、
笹井氏の精神状態が極端に悪化したのは7月下旬。
主宰する研究室で科学的な議論ができなくなり、
研究員が「ディスカッションが成立しない」と25日、
竹市雅俊センター長に通報した。
竹市氏はセンターの健康管理室に相談。
「医師の受診を勧めてほしい」との回答を受け、
笹井氏の家族らと対応を話し合っていた直後に悲劇が起きた。
理研は笹井氏の実質的な後任として、
26日付で斎藤茂和神戸事業所長を副センター長に起用。
しかし、
笹井氏の役職は解かず、
斎藤氏の人事も正式に公表しなかった。
笹井氏にサポート要員をつけるなどの具体的な支援もしなかった。
一連の流れは、
事態の緊急性を重く受け止めていなかったようにも受け取れる。
笹井氏はSTAP論文問題発覚後の3月、
副センター長の辞任を申し出たが、
竹市氏は調査中を理由に認めなかった。
外部からの批判も強まり、
笹井氏は現職にとどまることに強く責任を感じ、
心理的なストレスで体調が悪化していった。
関係者は「ずっと辞めたがっていたが許されず、
精神が圧迫された」
「7月下旬は負担を軽減する最後のチャンスだったのに、
なぜ解放してあげなかったのか」
と憤る。
大学院生時代から笹井氏を知る元京都大教授は
「研究者として自負心が強く、
今後に絶望感を覚えたのかもしれないが、
理研のガバナンス(組織統治)の欠如が彼を死に追いやった面は否定できない。
懲戒処分の判断も早く下すべきで、
決断できないまま、
いたずらに苦しめた」
と批判する。
同志社大の太田肇教授(組織論)は
「理研の対応は極めて不適切で認識が甘い。
一刻も早く役職から外すべきだった」
と話す。
STAP問題の当事者で研究グループの責任者、
センターの要職も務めていた笹井氏。
「計り知れないプレッシャーに追い詰められたのだろう。
研究者が危機管理職を兼ねる体制には無理があり、
今後は危機管理の専門職を置く必要がある」と太田教授は指摘した。
理研広報室は「再発防止のため、
笹井氏への対応が適切だったか速やかに検証する」
としている。
笹井芳樹が自殺した8月5日は、
『週刊文春』の盆休みのための合併号の編集が終わっていて、
雑誌に盛り込めないタイミングであった。
最初に笹井氏と小保方晴子との「失楽園」ゴシップのほか、
笹井氏の理研の同僚・高橋政代氏が笹井氏を評して
「研究者としての才能はあるが男としてはキモい」
と言ったとか言わなかったとか書いたのが週刊文春。
その週刊文春の次号が2週間先にならないと出ない時点で自殺したのは、
週刊文春に対するせめてもの意趣返しだったかと思うのは、
いくら何でも勘繰り過ぎだろうと自分でも思う。
この盆休みの週にも雑誌を出しているのが『週刊朝日』であって、
その8月22日号に「笹井氏が小保方さんへ遺した言葉」という記事に、
大阪に住む笹井氏の母親の知人の話や、
笹井氏の家族に関する情報が出ている。
といっても後者は、
笹井氏には妻と、
20歳を超えた長男・長女がいて、
「STAP細胞」
騒動のあと、
「美人妻」
が近所に詫びたという程度の話。
どうやら笹井氏は単身赴任ではなかったらしく、
考えてみれば京大から神戸の理研CDBと、
ずっと本拠地は関西だったから、
単身赴任する理由はなかった。
週刊朝日の記事によると、
笹井氏が亡くなる3日前、
母親が
「芳樹がどこにいるか、
居場所がわからなくなって、
家族で捜し回っていた」
と困惑していた
。笹井氏の兄が笹井氏にメールで
「無事か」
と聞くと、
笹井氏は
「元気ではないけど、生きています」
と返信したという。
また笹井氏は母親に対し、
週刊文春が書いた小保方晴子との仲について、
「あんなことは絶対ないから信じてほしい」
と言っていた。
さらに、
「(理研が笹井氏を)クビにするならしてくれればいいのに、
アメリカで研究したいのに、
なかなか切ってくれない」
とも言っていたという。
そして週刊朝日は、
(笹井氏の処分ないし辞任の許可を)
「決断できなかった野依理事長の責任は重い」
という、理研改革委員長・岸輝雄氏(東大名誉教授)の談話を載せている。
もっとも、
この週刊朝日の記事は、
「笹井氏は最期まで、
STAP細胞の存在を信じていたのだ」
と書くなど問題含みではある。
笹井氏が本当に
「STAP細胞の存在を信じていた」
のなら、
自殺などするはずがなく、
愛弟子の小保方晴子が
「STAP細胞作製の『再現』」
に成功することを確信しつつ、
期待を込めて見守るだけで良かったからである。
昨日(8/12)はその他にも、
小保方晴子の博士論文調査をめぐる早稲田や文科省の
呆れた行状を書いた記事をネットで見かけたが、
時間が経った今探してもみつからない。
そうこうしているうちに、
笹井芳樹が家族にも遺書を遺していたことと、
笹井氏の家族のコメントを報じるニュースが流れた。
本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。
ecar
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