2014年08月07日
佐世保高1同級生殺害、犯行現場に血で書いた文字
佐世保高1同級生殺害、犯行現場に血で書いた文字
長崎県佐世保市で起きた高校1年同級生殺害事件で、
犯行現場から血で書かれた文字のようなものが
見つかっていたことが新たにわかりました。
同級生を殺害したとして逮捕された佐世保市の高校1年の女子生徒(16)。
警察のこれまでの調べで、
被害者の遺体は、
首や左手首が切断されるなど、
激しく傷つけられていたことがわかっていますが、
捜査関係者によりますと、
犯行現場となったひとり暮らしのマンションの部屋から、
逮捕された女子生徒が血で書いたと見られる文字のようなものが
見つかっていたことが新たにわかりました。
警察は、
女子生徒が何らかのメッセージを残そうとした疑いもあるとみて、
内容の分析を進めています。
「私たちでできる最大限のことをしてまいりました」
(女子生徒の父親の手記)
女子生徒の父親は今年3月、
女子生徒に金属バットで殴られて大けがをし、
その後、
複数の精神科の病院を受診させていたといいます。
・ ・・事件発生19日前・・・
先月7日、
両親は、
女子生徒が猫を虐殺していることを精神科医から聞き、
初めて知ったとしています。
・・・事件発生3日前・・・
先月23日、
女子生徒は、
父親の再婚相手に
“人を殺してみたい”
という趣旨の話をしていました。
この話を聞いた父親は、事件前日、
精神科医やカウンセラーと対応を検討。
まずは、
児童相談所に相談することに決めましたが、
この日は時間外だったため、
改めて翌々日に相談に行くことにしていたといいます。
しかし、
事件はこの翌日に発生しました。
現場の部屋からは、
事件前、
親が女子生徒に渡していたとみられる現金100万円のほか、
冷蔵庫からは猫の頭部が見つかっていたこともわかりました。
検察は、
女子生徒の刑事責任能力などを調べるため、
今月中旬にも精神鑑定を行う方針です。
美少女キャラが出てきて、
学校でのゲーム大会とか登下校中の会話とかが延々と続くので、
想像したのと違ってびっくりしました。
吉田 そうなんですよ。
「ひぐらしのなく頃に」の面白いところは、
リアリズムのある狂気とか殺人みたいなものと、
それとは全く違う日常生活というものをうまく結び付けているところです。
実は、
ストーリーの大半は、
陰惨な事件につながるとは思えないような普通の学園生活の話です。
そこでこちらの感情移入をさせやすくしておいて、
終盤にそれをひっくり返していく、
という構成上の面白さがあるんですよね。
しかし、
ほんわかムードの描写がある一方で、
金属バットでメッタ打ちにしたり、
斧を振り下ろして殺したりと、
残酷なシーンも出てきますね?
吉田 そういうシーンだけ取ってしまえば、
たしかに残虐だと思います。
また、
かわいい女の子が豹変して恐ろしい事件を起こすという「落差」が、
この作品の特徴の一つだともいえます。
でも、
それだけではない。
作品の根底に流れているテーマは、
殺人を肯定するとかというのとは全く違うと思うんです。
実は、
この「ひぐらしのなく頃に」という作品を貫いているのは、
「真実の絆」を探していくというテーマなんですよ。
それはどういうことですか?
吉田 物語に登場する少年や少女は、
それぞれ複雑な事情を抱えています。
村の因習の中にどっぷり浸かっている神社の巫女さんの女の子とか、
地域社会でがんじがらめになっている子とか、
ほかの地域で事件を起こしてしまって引っ越してきた子とか。
だけど学校では、
そういう事情を仲間に言わないで、
表面上だけ楽しく付き合おうとする。
そういう上辺だけの友達関係があるきっかけで崩れて、
疑心暗鬼になって殺し合うみたいな話になっていくんですが、
そんな中で、
お互いが自分をさらけ出していくことで
「真実の絆」
とは何かを探っていく。
「本当のつき合い」
とはどういうものか、
というのを模索していく。
そういう物語なんです。
だから、
この「ひぐらしのなく頃に」は、
1980年代ごろから顕在化してきた地域社会の崩壊とか、
親子関係の断絶、
さらに2000年代に入って顕著になったネット社会での疎外感とかを
うまく取り入れている作品だと思うんですよね。
たしかに作品の全体を通してみれば、
そのようなテーマ性を感じとることができるのかもしれませんが、
アニメの場合は、
最初から最後まで見るとは限りませんよね?
吉田 そこがテレビアニメというコンテンツのむずかしいところですね。
テレビアニメは、
ゲームや漫画と違って「買う」という行為なしに受動的に見ることができてしまう。
公共の電波を通じて、
誰でも無料で視聴できるし、
たとえば1話から3話までのうち、
3話だけを見るということもありえます。
すでにゲームで「ひぐらし」に馴染んでいる人達ならともかく、
そういう耐性がないところでいきなり見た人は、
やはり衝撃があったんじゃないかと思いますね。
でも、
だからといって、
放送中止になるとか特に問題にされることはありませんでした、
京都の事件が起こるまでは……
2007年9月に京田辺市で、
16歳の少女が父親を斧で殺害する事件が起きると、
KBS京都を始めとするテレビ局は
「ひぐらしのなく頃に」
のアニメ番組の放送を休止しました。
理由は
「少女が凶器を持っている場面があり、
不快に思われる視聴者がいる可能性を考慮した」というものでした。
また、
08年1月の八戸市の事件では、
「ひぐらし」
と思われる漫画本が押収され、
事件と漫画の関係を指摘する声が出ました。
吉田 私が視聴していたテレビ埼玉なんて、
13話で打ち切られて、
いきなり「パタリロ西遊記!」になりましたからね……。
でも、
「ひぐらし」
が事件の引き金になったかといえば、
そんなことはないと思うんですよ。
環境が犯罪を作り出すという
「環境決定論」
自体がそもそも間違っていると思いますし、
人間の行動ってそんなに単純なものじゃないでしょ?
鉈とか斧で人を殺す作品なんてほかにもたくさんあります。
たとえばスティーブン・キングの「シャイニング」とかそうだし、
ドストエフスキーの「罪と罰」だって斧で人殺しをする話ですよ。
八戸の事件にしても、
「ひぐらし」の漫画は累計で数百万部も売れているのだから、
数ある本の中にあってもおかしくはない。
一つの作品を見ただけで思い詰めて人を殺してしまうというのは、
常識的には考えにくいでしょう。
京田辺市の事件は08年1月の下旬に家庭裁判所の決定が出て、
加害少女の処分が決まりました。
そのときの家裁の認定によると、
斧を凶器に選んだのは、
「興味を持っていたギロチンから連想した」
からだそうです。
吉田 「ひぐらし」とは全然違いますよね。
結局、
なんでもいいんですよ。
マスコミからすれば、
事件とアニメや漫画を結び付けたほうが話にオチを作りやすいので、
そういうことをやるんでしょうね。
特にテレビ局は、
ワイドショーで扇情的な報道をしておきながら、
関連しそうな作品は封印してしまうというのは矛盾があると思います。
残念なのは、
「ひぐらし」
という作品の質とかテーマ性を見ないで、
因果関係も分からないうちに、
あいまいな基準でフタをしてしまっていることです。
京都や八戸の事件のとき、
「罪と罰」を販売禁止しろという声は聞かなかったと思いますが、
アニメや漫画だと小説よりも簡単に規制の対象になってしまうのでしょうか?
吉田 近年では「アニメは世界に誇れる日本の文化だから振興しよう」
という方針が政府などからもたびたび発表されていますが、
やっぱりアニメとか漫画とかいうものは、
小説や実写映画に比べると、
まだ一段低く見られているんでしょうね。
もちろん、
ゲームやアニメとかのコンテンツは昔から規制にさらされて生きているものなので、
いろいろ規制がかかってくるというのは分からないでもない。
ただ、
それが「いわれのない規制」になってしまってはよくない。
短絡的に事件とアニメを結びつけるのではなく、
慎重に考えないといけない問題だと思います。
国民的なアニメといわれた手塚治虫さんの
「鉄腕アトム」
も規制とは無縁でなかったそうですね。
吉田 漫画やアニメやゲームなどの大衆文化に属するコンテンツは
「現実社会の鏡」みたいなところがあって、
我々のような一般人が持っている不安とか恐怖というものが即効的に出てくるものだと思います。
エンターテインメントだから、
エラぶって高尚なこところから作らないじゃないですか。
エンターテインメントとして楽しませながら、
その裏で、
いま起きていることの社会性とか矛盾を人々に見せていく。
そういう使命を果たしているコンテンツの一つだと思いますよ、
「ひぐらし」は。
さらにいえば、
今後コンテンツの歴史が教科書的にきちんと包括的にまとめられていく際には、
「ひぐらしのなく頃に」という作品は、
ある種のメルクマールとして評価されるでしょうね。
ecar
長崎県佐世保市で起きた高校1年同級生殺害事件で、
犯行現場から血で書かれた文字のようなものが
見つかっていたことが新たにわかりました。
同級生を殺害したとして逮捕された佐世保市の高校1年の女子生徒(16)。
警察のこれまでの調べで、
被害者の遺体は、
首や左手首が切断されるなど、
激しく傷つけられていたことがわかっていますが、
捜査関係者によりますと、
犯行現場となったひとり暮らしのマンションの部屋から、
逮捕された女子生徒が血で書いたと見られる文字のようなものが
見つかっていたことが新たにわかりました。
警察は、
女子生徒が何らかのメッセージを残そうとした疑いもあるとみて、
内容の分析を進めています。
「私たちでできる最大限のことをしてまいりました」
(女子生徒の父親の手記)
女子生徒の父親は今年3月、
女子生徒に金属バットで殴られて大けがをし、
その後、
複数の精神科の病院を受診させていたといいます。
・ ・・事件発生19日前・・・
先月7日、
両親は、
女子生徒が猫を虐殺していることを精神科医から聞き、
初めて知ったとしています。
・・・事件発生3日前・・・
先月23日、
女子生徒は、
父親の再婚相手に
“人を殺してみたい”
という趣旨の話をしていました。
この話を聞いた父親は、事件前日、
精神科医やカウンセラーと対応を検討。
まずは、
児童相談所に相談することに決めましたが、
この日は時間外だったため、
改めて翌々日に相談に行くことにしていたといいます。
しかし、
事件はこの翌日に発生しました。
現場の部屋からは、
事件前、
親が女子生徒に渡していたとみられる現金100万円のほか、
冷蔵庫からは猫の頭部が見つかっていたこともわかりました。
検察は、
女子生徒の刑事責任能力などを調べるため、
今月中旬にも精神鑑定を行う方針です。
美少女キャラが出てきて、
学校でのゲーム大会とか登下校中の会話とかが延々と続くので、
想像したのと違ってびっくりしました。
吉田 そうなんですよ。
「ひぐらしのなく頃に」の面白いところは、
リアリズムのある狂気とか殺人みたいなものと、
それとは全く違う日常生活というものをうまく結び付けているところです。
実は、
ストーリーの大半は、
陰惨な事件につながるとは思えないような普通の学園生活の話です。
そこでこちらの感情移入をさせやすくしておいて、
終盤にそれをひっくり返していく、
という構成上の面白さがあるんですよね。
しかし、
ほんわかムードの描写がある一方で、
金属バットでメッタ打ちにしたり、
斧を振り下ろして殺したりと、
残酷なシーンも出てきますね?
吉田 そういうシーンだけ取ってしまえば、
たしかに残虐だと思います。
また、
かわいい女の子が豹変して恐ろしい事件を起こすという「落差」が、
この作品の特徴の一つだともいえます。
でも、
それだけではない。
作品の根底に流れているテーマは、
殺人を肯定するとかというのとは全く違うと思うんです。
実は、
この「ひぐらしのなく頃に」という作品を貫いているのは、
「真実の絆」を探していくというテーマなんですよ。
それはどういうことですか?
吉田 物語に登場する少年や少女は、
それぞれ複雑な事情を抱えています。
村の因習の中にどっぷり浸かっている神社の巫女さんの女の子とか、
地域社会でがんじがらめになっている子とか、
ほかの地域で事件を起こしてしまって引っ越してきた子とか。
だけど学校では、
そういう事情を仲間に言わないで、
表面上だけ楽しく付き合おうとする。
そういう上辺だけの友達関係があるきっかけで崩れて、
疑心暗鬼になって殺し合うみたいな話になっていくんですが、
そんな中で、
お互いが自分をさらけ出していくことで
「真実の絆」
とは何かを探っていく。
「本当のつき合い」
とはどういうものか、
というのを模索していく。
そういう物語なんです。
だから、
この「ひぐらしのなく頃に」は、
1980年代ごろから顕在化してきた地域社会の崩壊とか、
親子関係の断絶、
さらに2000年代に入って顕著になったネット社会での疎外感とかを
うまく取り入れている作品だと思うんですよね。
たしかに作品の全体を通してみれば、
そのようなテーマ性を感じとることができるのかもしれませんが、
アニメの場合は、
最初から最後まで見るとは限りませんよね?
吉田 そこがテレビアニメというコンテンツのむずかしいところですね。
テレビアニメは、
ゲームや漫画と違って「買う」という行為なしに受動的に見ることができてしまう。
公共の電波を通じて、
誰でも無料で視聴できるし、
たとえば1話から3話までのうち、
3話だけを見るということもありえます。
すでにゲームで「ひぐらし」に馴染んでいる人達ならともかく、
そういう耐性がないところでいきなり見た人は、
やはり衝撃があったんじゃないかと思いますね。
でも、
だからといって、
放送中止になるとか特に問題にされることはありませんでした、
京都の事件が起こるまでは……
2007年9月に京田辺市で、
16歳の少女が父親を斧で殺害する事件が起きると、
KBS京都を始めとするテレビ局は
「ひぐらしのなく頃に」
のアニメ番組の放送を休止しました。
理由は
「少女が凶器を持っている場面があり、
不快に思われる視聴者がいる可能性を考慮した」というものでした。
また、
08年1月の八戸市の事件では、
「ひぐらし」
と思われる漫画本が押収され、
事件と漫画の関係を指摘する声が出ました。
吉田 私が視聴していたテレビ埼玉なんて、
13話で打ち切られて、
いきなり「パタリロ西遊記!」になりましたからね……。
でも、
「ひぐらし」
が事件の引き金になったかといえば、
そんなことはないと思うんですよ。
環境が犯罪を作り出すという
「環境決定論」
自体がそもそも間違っていると思いますし、
人間の行動ってそんなに単純なものじゃないでしょ?
鉈とか斧で人を殺す作品なんてほかにもたくさんあります。
たとえばスティーブン・キングの「シャイニング」とかそうだし、
ドストエフスキーの「罪と罰」だって斧で人殺しをする話ですよ。
八戸の事件にしても、
「ひぐらし」の漫画は累計で数百万部も売れているのだから、
数ある本の中にあってもおかしくはない。
一つの作品を見ただけで思い詰めて人を殺してしまうというのは、
常識的には考えにくいでしょう。
京田辺市の事件は08年1月の下旬に家庭裁判所の決定が出て、
加害少女の処分が決まりました。
そのときの家裁の認定によると、
斧を凶器に選んだのは、
「興味を持っていたギロチンから連想した」
からだそうです。
吉田 「ひぐらし」とは全然違いますよね。
結局、
なんでもいいんですよ。
マスコミからすれば、
事件とアニメや漫画を結び付けたほうが話にオチを作りやすいので、
そういうことをやるんでしょうね。
特にテレビ局は、
ワイドショーで扇情的な報道をしておきながら、
関連しそうな作品は封印してしまうというのは矛盾があると思います。
残念なのは、
「ひぐらし」
という作品の質とかテーマ性を見ないで、
因果関係も分からないうちに、
あいまいな基準でフタをしてしまっていることです。
京都や八戸の事件のとき、
「罪と罰」を販売禁止しろという声は聞かなかったと思いますが、
アニメや漫画だと小説よりも簡単に規制の対象になってしまうのでしょうか?
吉田 近年では「アニメは世界に誇れる日本の文化だから振興しよう」
という方針が政府などからもたびたび発表されていますが、
やっぱりアニメとか漫画とかいうものは、
小説や実写映画に比べると、
まだ一段低く見られているんでしょうね。
もちろん、
ゲームやアニメとかのコンテンツは昔から規制にさらされて生きているものなので、
いろいろ規制がかかってくるというのは分からないでもない。
ただ、
それが「いわれのない規制」になってしまってはよくない。
短絡的に事件とアニメを結びつけるのではなく、
慎重に考えないといけない問題だと思います。
国民的なアニメといわれた手塚治虫さんの
「鉄腕アトム」
も規制とは無縁でなかったそうですね。
吉田 漫画やアニメやゲームなどの大衆文化に属するコンテンツは
「現実社会の鏡」みたいなところがあって、
我々のような一般人が持っている不安とか恐怖というものが即効的に出てくるものだと思います。
エンターテインメントだから、
エラぶって高尚なこところから作らないじゃないですか。
エンターテインメントとして楽しませながら、
その裏で、
いま起きていることの社会性とか矛盾を人々に見せていく。
そういう使命を果たしているコンテンツの一つだと思いますよ、
「ひぐらし」は。
さらにいえば、
今後コンテンツの歴史が教科書的にきちんと包括的にまとめられていく際には、
「ひぐらしのなく頃に」という作品は、
ある種のメルクマールとして評価されるでしょうね。
ecar
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