当然に聞こえますが、こんなケースは如何でしょうか。
例えば「男女は平等であるべきだ」「男女不平等でよい」と言う二つの考えを報じる時、中立を鉄則にすると、その何れでもない立場で報じる事になります。
それは「男女平等」を無視した報道姿勢になってしまい、社会に対して余りにも無責任です。
もっと考えて見ましょう。
あなたが新聞の編集長だとします。
これから多くの重大な出来事からトップ記事を決め様とする時、「中立に選ぶ」なら、阿弥陀籤でも使うのでしょうか。
ジャーナリズムは通常、平穏無事な事よりも政治や企業の不祥事、事件などを多く伝えます。
マイナス面ばかり取り上げると、書かれた側は怒り「偏向している」と主張するかも知れません。
然しジャーナリズムの目的は市民が社会の運営者となる為、判断材料を提供する事です。
皆が問題点を知り、議論できる様にする。
平穏を喜ぶばかりでは危険を察知できず、市民の利益が損なわれます。
米国のある実験では、意見の違うグループに同じニュース映像を見せたら、何方も「自分たちに不利な報道」と感じたと言う結果が出ました。
と言う事は、かなり有利に報じられないと中立に思えない、と言う事になりそうです。
報じられた側が言う「偏向」を真に受けると、胡麻摺りの様な報道が増えるかも知れない。
市民にとっては問題点を話し合うチャンスを奪われます。
ここに ” 中立の落とし穴 ” があります。
ジャーナリズムの世界で、譲れないのは中立ではなく「独立」。
取材相手の利益や意向を優先せず、第三者として市民の為に報じる事が最重要なのです。
沢 康臣 ジャーナリスト、早稲田大教授
愛媛新聞 ジャーナリズムの教室から
譲れないのは中立ではなく、独立らしい。