2016年10月22日
韓国もいよいよ世界史から消えるの〜〜か
今日の朝鮮日報で与党の疑惑、Kスポーツ財団、ミル財団の記事が
報道されていたが、この中央日報は野党、其れも次期大統領候補の
批評記事だ。現職姫将軍も沈黙、この野党候補も沈黙、この候補行政能力は
皆無、パン君も能力ゼロ次期大統領でもって韓国は消滅〜〜か????
【コラム】氷河に閉じ込められた韓国政治(1)
2016年10月21日10時55分 [中央日報/中央日報日本語版]
北朝鮮の核・ミサイルを含めた韓半島(朝鮮半島)問題の
「オックスフォード辞典」といっても過言ではない宋旻淳
(ソン・ミンスン)の力著『氷河は動く』が
汝矣島(ヨイド、ここでは日本の霞が関に該当)の泥沼政争の素材になった
ことは残念だ。
文在寅(ムン・ジェイン)は沈黙で不動の事実(fact)から逃げ、
セヌリ党は禹柄宇(ウ・ビョンウ)−チェ・スンシルゲートを覆い隠せる
好材料に出会ったとしてドナルド・トランプ氏より激しい
トランピッシュ(Trumpish)な低質攻勢で文在寅を追い詰めている。
宋旻淳が「本というものが著者の手を離れた瞬間、自ら生命力を持って
著者が意図しない結果をもたらすとは思わなかった」と嘆くのも無理はない。
『氷河は動く』の著者は1975年初任外交官から外交通商部長官だった
2006〜2008年までの33年間の外交の端役と助役からついには
外交の主役として、この期間に起きた主要外交交渉の成功と失敗に
参加してきた。
著者はその長い歳月の間、自ら参加または主導して至近距離で目撃した
事件を几帳面にメモし続けた。彼はそのメモをインターネット情報で
再確認しながら本を書き上げた。
韓国人、特に韓半島専門家や外交安保ラインの役人のほとんどは、主に
米国人によって書かれた回顧録や研究結果に出てきた著書に依存して
韓半島問題を判断する。
宋旻淳は『氷河は動く』を書く時の覚悟をこのように打ち明けた。
「米国に対する知的事大主義を越えるために私が荷を負おう」。
彼の挑戦は成功した。
北朝鮮との交渉に参加した米国人、北朝鮮を研究する米国学者のどの
著書より『氷河は動く』ははるかにフレームがしっかりしていて包括的、
内容的も豊富で洞察が韓国的だ。しかし、
政治家たちは南北問題に関する知識と情報と洞察が詰まったこの本から
韓半島問題の解決についての知恵は得るつもりはなく、
2007年国連北朝鮮人権決議案に関する数行の叙述に執着して
連日政治的スローガンだけを叫び国民を苛つかせている。
汝矣島が『氷河は動く』に乗って漂流しているその責任の半分以上は
文在寅にある。
文在寅はよく覚えていることだろう。2007年その時、外交通商部と
青瓦台(チョンワデ、大統領府)では、保守陣営から見るに、
進歩左派を指向するいわゆる「タリバン」たちが対北朝鮮政策を
親・従北方向へ推し進めようとして論争が起きていた。
このような雰囲気だったため、2007年11月18日問題のその日の夕方、米国を含む国際社会の支持を得るために人権決議案に賛成投票をしようと
述べた宋旻淳は「タリバンのボス」である文在寅秘書室長、
金万福(キム・マンボク)国家情報院長、李在禎(イ・ジェジョン)
統一部長官と1対3の激論を交わした。
宋旻淳の話にもっと耳を傾けてみよう。
「われわれは欧州国家が取りまとめた決議案草案から北朝鮮指導部を
直接ねらった毒素条項を抜いてかなり
トーンダウン(tone down)させた。
そのような事実を北朝鮮が知ってわれわれの努力を評価するという報告が
国連代表部から入った。それで私は、
人権決議案に賛成をしても北朝鮮の反応は収拾可能な水準という論理で
賛成投票を強く主張した」。その時、
金万福が提案して李在禎が賛成し、文在寅が賛成の決定を下したのは、
北朝鮮が韓国の決議案草案トーンダウンを本当に国連代表部の報告のとおり
評価しているかどうかを北朝鮮に「確認」してみようというものだった。
実に無知蒙昧な決定だ。
韓国の努力で毒素条項が抜けた草案を確保した北朝鮮に意見を聞いたら
さらに有利な条件を出せと言わんばかりに反対や最小限の棄権を
要求することは幼い子供でも分かりそうなことだった。やはりそうだった。
11月19日、盧大統領が訪問中のシンガポールで安保室長の
白鍾天(ペク・ジョンチョン)が「確認」に対する北朝鮮の反応としながら
宋旻淳に出したメッセージは予想した通りだった。
「南北関係の発展に危険な事態をもたらすので人権決議案の表決に責任ある
立場を取るよう望む」。
文在寅チームは2007年10月南北首脳会談の時も会談日が決まる時まで
外交通商部長官には知らせなかった。このため韓半島問題に大きな発言権を
持つ米国にも十分に事前に通知できなかった。
第2回南北首脳会談から出た10・4南北首脳宣言第4項に
「南北間の恒久的な平和体制構築のために直接関連する第3者ないし
第4者の首脳が韓半島で終戦宣言をするよう推進する」という一節にも
宋旻淳は反対した。第3者という言葉は北朝鮮が事情次第では中国や韓国を
省くという戦術を駆使する余地を残すと考えたからだ。
文在寅は試されている。
今日に比べると9年前の南北関係は蜜月時代だった。
文在寅に状況掌握力というものがあるならば、以下のような言葉で危機を
機会にして消耗的な論争を終わらせなければならない。
「南北関係が良好な時なので人権決議に棄権しようと言った。
北朝鮮に確認するのもその時の状況としては問題になることはないと考えた。今考えれば判断ミスだった」。
金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題論説委員
報道されていたが、この中央日報は野党、其れも次期大統領候補の
批評記事だ。現職姫将軍も沈黙、この野党候補も沈黙、この候補行政能力は
皆無、パン君も能力ゼロ次期大統領でもって韓国は消滅〜〜か????
【コラム】氷河に閉じ込められた韓国政治(1)
2016年10月21日10時55分 [中央日報/中央日報日本語版]
北朝鮮の核・ミサイルを含めた韓半島(朝鮮半島)問題の
「オックスフォード辞典」といっても過言ではない宋旻淳
(ソン・ミンスン)の力著『氷河は動く』が
汝矣島(ヨイド、ここでは日本の霞が関に該当)の泥沼政争の素材になった
ことは残念だ。
文在寅(ムン・ジェイン)は沈黙で不動の事実(fact)から逃げ、
セヌリ党は禹柄宇(ウ・ビョンウ)−チェ・スンシルゲートを覆い隠せる
好材料に出会ったとしてドナルド・トランプ氏より激しい
トランピッシュ(Trumpish)な低質攻勢で文在寅を追い詰めている。
宋旻淳が「本というものが著者の手を離れた瞬間、自ら生命力を持って
著者が意図しない結果をもたらすとは思わなかった」と嘆くのも無理はない。
『氷河は動く』の著者は1975年初任外交官から外交通商部長官だった
2006〜2008年までの33年間の外交の端役と助役からついには
外交の主役として、この期間に起きた主要外交交渉の成功と失敗に
参加してきた。
著者はその長い歳月の間、自ら参加または主導して至近距離で目撃した
事件を几帳面にメモし続けた。彼はそのメモをインターネット情報で
再確認しながら本を書き上げた。
韓国人、特に韓半島専門家や外交安保ラインの役人のほとんどは、主に
米国人によって書かれた回顧録や研究結果に出てきた著書に依存して
韓半島問題を判断する。
宋旻淳は『氷河は動く』を書く時の覚悟をこのように打ち明けた。
「米国に対する知的事大主義を越えるために私が荷を負おう」。
彼の挑戦は成功した。
北朝鮮との交渉に参加した米国人、北朝鮮を研究する米国学者のどの
著書より『氷河は動く』ははるかにフレームがしっかりしていて包括的、
内容的も豊富で洞察が韓国的だ。しかし、
政治家たちは南北問題に関する知識と情報と洞察が詰まったこの本から
韓半島問題の解決についての知恵は得るつもりはなく、
2007年国連北朝鮮人権決議案に関する数行の叙述に執着して
連日政治的スローガンだけを叫び国民を苛つかせている。
汝矣島が『氷河は動く』に乗って漂流しているその責任の半分以上は
文在寅にある。
文在寅はよく覚えていることだろう。2007年その時、外交通商部と
青瓦台(チョンワデ、大統領府)では、保守陣営から見るに、
進歩左派を指向するいわゆる「タリバン」たちが対北朝鮮政策を
親・従北方向へ推し進めようとして論争が起きていた。
このような雰囲気だったため、2007年11月18日問題のその日の夕方、米国を含む国際社会の支持を得るために人権決議案に賛成投票をしようと
述べた宋旻淳は「タリバンのボス」である文在寅秘書室長、
金万福(キム・マンボク)国家情報院長、李在禎(イ・ジェジョン)
統一部長官と1対3の激論を交わした。
宋旻淳の話にもっと耳を傾けてみよう。
「われわれは欧州国家が取りまとめた決議案草案から北朝鮮指導部を
直接ねらった毒素条項を抜いてかなり
トーンダウン(tone down)させた。
そのような事実を北朝鮮が知ってわれわれの努力を評価するという報告が
国連代表部から入った。それで私は、
人権決議案に賛成をしても北朝鮮の反応は収拾可能な水準という論理で
賛成投票を強く主張した」。その時、
金万福が提案して李在禎が賛成し、文在寅が賛成の決定を下したのは、
北朝鮮が韓国の決議案草案トーンダウンを本当に国連代表部の報告のとおり
評価しているかどうかを北朝鮮に「確認」してみようというものだった。
実に無知蒙昧な決定だ。
韓国の努力で毒素条項が抜けた草案を確保した北朝鮮に意見を聞いたら
さらに有利な条件を出せと言わんばかりに反対や最小限の棄権を
要求することは幼い子供でも分かりそうなことだった。やはりそうだった。
11月19日、盧大統領が訪問中のシンガポールで安保室長の
白鍾天(ペク・ジョンチョン)が「確認」に対する北朝鮮の反応としながら
宋旻淳に出したメッセージは予想した通りだった。
「南北関係の発展に危険な事態をもたらすので人権決議案の表決に責任ある
立場を取るよう望む」。
文在寅チームは2007年10月南北首脳会談の時も会談日が決まる時まで
外交通商部長官には知らせなかった。このため韓半島問題に大きな発言権を
持つ米国にも十分に事前に通知できなかった。
第2回南北首脳会談から出た10・4南北首脳宣言第4項に
「南北間の恒久的な平和体制構築のために直接関連する第3者ないし
第4者の首脳が韓半島で終戦宣言をするよう推進する」という一節にも
宋旻淳は反対した。第3者という言葉は北朝鮮が事情次第では中国や韓国を
省くという戦術を駆使する余地を残すと考えたからだ。
文在寅は試されている。
今日に比べると9年前の南北関係は蜜月時代だった。
文在寅に状況掌握力というものがあるならば、以下のような言葉で危機を
機会にして消耗的な論争を終わらせなければならない。
「南北関係が良好な時なので人権決議に棄権しようと言った。
北朝鮮に確認するのもその時の状況としては問題になることはないと考えた。今考えれば判断ミスだった」。
金永熙(キム・ヨンヒ)国際問題論説委員
タグ:韓国
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