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2016年05月02日

日本の大砲、「豊後の国崩し」

1610年筑前とは立花藩か・・・・・・・
日本の国産大砲は1500年代、我が本家の子孫、豊後大友氏が制作した、
「豊後の国崩し」が有名だがこの立花氏も大友家支流であるし・・・
2.1メートル、口径(5センチ・50ミリ)は現代は大砲かな、銃では
無いな、、今のイージス艦に50ミリ機関砲がついているのでは・・・
実用性はともかく、この時代に日本人が作れる云うのがすごいわな・・
日没する国はどうだったのか〜〜な


ウィーンに江戸初期の大砲 博物館で100年ぶり確認
2016.5.2 06:30
ウィーンに江戸初期の大砲 .jpgウィーンに江戸初期の大砲-2 .jpg

 ウィーンの軍事史博物館で見つかった江戸初期のフランキ砲=2月(共同)
 ウィーンの軍事史博物館で見つかった江戸初期のフランキ砲。
「慶長十五年筑前国」と刻印されている=2月(共同)

オーストリア・ウィーンの軍事史博物館で、江戸初期に日本で造られた
青銅製大砲の所在が確認されたことが、1日までに分かった。
貴重な大砲だが、1918年の第1次大戦終結後から存在を忘れられ、
同国国防省のペッヒャー准将が昨年末、約100年ぶりに同博物館の倉庫で
見つけた。

ウィーンの軍事史博物館で見つかった江戸初期のフランキ砲=2月(共同)

大砲は砲身後部に火薬を詰めた子砲を装填して砲弾を発射する
「フランキ砲」。
全長約2.1メートル、口径約5センチで、
「慶長十五年筑前国」(1610年現福岡県北西部)と刻印されていた。

銃砲の歴史に詳しい大分県臼杵市教育委員会の神田高士文化財研究室長は
「日本製のフランキ砲で現存が確認されたのは約10門だけ。
製造年が記された実物は初めてで、大変貴重だ」としている。

博物館によると、有効射程は200メートル程度とみられる。

(ウィーン共同)
タグ:日本
posted by 豊後国主 at 20:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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