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2016年04月07日

大韓国人と韓国・朝鮮人

この安重根が伊藤博文を暗殺する前、米国に移住していた朝鮮人二人が、
サンフランシスコ港客船乗り場で米国の外交官を暗殺したのは、ただの
狂人か・・  彼らはただの殺人者なのか・・・
大韓帝国外交顧問に赴任するために、朝鮮の為になろうとしていたのに・・
彼らは英雄ではないのか・・
自己中心、韓国・朝鮮人中心、・・・・・でしかない。


【寄稿】安重根没後106年、韓国人が自ら「大韓国人」と名乗ろう

安重根(アン・ジュングン)が韓半島(朝鮮半島)併呑(へいどん)の
中心人物だった伊藤博文を狙撃した当時の状況について、
1911年10月24日付のロシア・サンクトペテルブルクの新聞はこう報じた。
「ハルビン駅で伊藤と随行員3人を拳銃で狙撃し
『コリア、ウラー(ロシア語で万歳の意)』と叫んだ後、ロシアの憲兵に
逮捕された。
狙撃直後、ロシアと日本の随行員たちは気が抜けて逃亡した」

安重根は人生最後の40日間、約200点もの遺墨を残した。
その末尾には「大韓民國人 安重根 書」と記し、手形を押したが、
薬指と小指の長さがほとんど同じだった。
これは11人の同志と共に「断指同盟」を結成した痕跡だ。
安重根は1910年3月26日午前10時、旅順監獄で死刑を執行され、31年の生涯に
幕を下ろした。
青春を犠牲にした大義名分は何だったのか、また(伊藤博文暗殺を)
決行しようとした意志はどこから生じたのか。彼は遺墨で
「欲保東洋先改政略時過失機追悔何及」と記した。
「東洋を守るためには日本が政略から改めるべきだ。
時が過ぎ、機会を逃せば公開しても無駄だ」という意味だ。

日本の検察官が「伊藤博文の射殺は人倫に反することではないか」と聞くと、安重根は「よその国を奪取し、人の命を奪おうとしている者がいるにも
かかわらず、それを傍観するのは、もっと大きな罪なので、除去した」と
主張した。
彼は独立のために人生を犠牲にし、家族も苦難の道を歩んだ。
伊藤博文を暗殺してから111日後、安重根に対する死刑が言い渡され、
それから40日後に執行された。
遺族は1910年10月、ロシア沿海州(現・沿海地方)に移住した。
翌年4月には安昌浩(アン・チャンホ)や李甲(イ・カプ)の支援を受け再び
引っ越したが、そこもやはりロシア領だった。
日本の追撃はその地まで及び、水遊びしていた7歳の長男は、日本の密偵が
差し入れた毒入りの菓子を食べて死亡した。
家族はまた引っ越しを余儀なくされ、農業を営んだ後、1920年に
中国・上海に移住した。

「正しいことをして受けた刑なのだから、卑怯に生き永らえようとせず、
大義に従って死ぬことが親孝行だ」と語った母チョ・マリアと、
国債報償運動(日本の植民地化が進んでいた1907年から08年にかけ、国民の
募金で国の借金を返済し、国権を回復しようとした運動)に参加した
妻キム・アリョの死は、その日付すらも分かっていないという。
安重根が面会に来た弟に対し「私のなきがらは、ニレの木が生い茂る
ハルビン公園に臨時に埋葬した後、国権が回復したら故郷に移して葬儀を
執り行ってほしい」との遺言を残したが、それから106年がたった今、
遺骨すら捜せずにいる。たとえ短い人生だったといえ、永遠に人々の記憶の
中に生き続ける方法はないのだろうか。
そのためには私たちが自ら「大韓国人」と名乗ってはどうだろうか。


アン・ミョンヨン(晋州明新高等学校長) 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

【寄稿】設備もサービスも劣悪な韓国の一流ホテル

先月27日の土曜日、結婚した娘の勧めで韓国北東部の江原道・束草に夫婦で
1泊旅行をした。
宿泊先は一流ホテルだったが、小型冷蔵庫の騒音のせいで眠れなかった。
こらえ切れずフロントに電話すると、従業員がやって来た。
冷蔵庫が古いためどうしようもないということだった。
部屋を変えてくれと言うと、空室が1部屋あるが、そちらはもっと冷蔵庫の
音が大きいとの返事だった。それなら冷蔵庫の電源を切ってくれと言うと、
コードが壁側にあるためできないという。無理やり寝ようとしたものの
やはり眠れず、午前2時にまた人を呼んだ。
今度は上司と2人でやって来た。結局、
壁側のコードを抜いたが、うるさいのは同じだった。午前3時にまた呼ぶと、
暖房器具が古いせいで音がするのだという。寒かったが、音がしないように
調整した。

従業員に「高いホテルなのになぜこんな風なのか」と問うと
「ほかの客は特に問題なく泊まっている」という答えが返ってきた。
あきれて言葉もなかった。どれほど多くの国内外の観光客が眠れずに
腹を立てたことだろう。とても眠れなかった。
午前4時、もう一度フロントへ電話して
「一睡もできなかったので返金してほしい」と言うと、ホテル側は
「返金は難しいが、代わりに朝食を提供する」と応じた。
重ねて返金を要求すると、週末のため月曜日に上層部へ報告して
返答するということだった。その日午後、
雪が降りしきる中、眠い目をこすりながら帰り道を6時間も運転し、
何度もヒヤッとした。

月曜日、娘が予約した旅行会社にホテルへ電話してもらったところ、
ホテル側は「不満を全て解消したので問題ない」と答えたという。
娘が再三抗議すると、結局、宿泊料の半分を補償すると応じた。
返金はともかく、ひどいサービスにあきれ返った。こんな有様で、
「観光韓国」を唱えることができるのか。そして、
2018年平昌冬季五輪の成功を期待できるというのか。

イ・ヨンス・パンソリ履修者 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 15:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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