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2014年08月08日

誇り高き李氏朝鮮王朝

映画 ”鳴梁”大ヒットおめでとう・・  だが、これは映画のはなし・・
映画どうりの李氏朝鮮王朝ならば、100年前の姿ではなかったはずだ。
1597年さかのぼる事120〜150年ぐらい前か李氏朝鮮王朝初代か、二代目か
日本に侵攻したよね、1450年代の話だ。 このとき対馬藩をせめたわな。
このとき、何がおきた、1万5000人ぐらいで対馬に侵攻した李氏朝鮮王朝、
藩主は京にいって留守、留守を預かる侍600人、何があったこういうことは
朝鮮史にはかかれていないか、600人の侍に蹴散らされて惨めに敗走
したのではないのか。本題はこれからだ、敗走だけならまだいい、これより
1860年代約400年間、日本の対馬藩に賠償として米を年貢として
納めていたのは君たちの誇り高き李氏朝鮮王朝なのだ、400年間だよ。・・
これが真実の朝鮮史なのだ。


【コラム】鳴梁、李舜臣の偉大なリーダーシップ=韓国(1)
2014年08月07日17時12分 [中央日報/中央日報日本語版]

戦争は意志の衝突だ。意志が強ければ勝利する。
意志は恐怖を払いのける。恐怖は勇気に変わる。それは奇跡の勝利を生む。

映画『鳴梁』は恐怖の意味を捉えている。李舜臣(イ・スンシン)の苦悩は
その一点に集中する。
「毒キノコのように広がった恐怖が問題だ。恐れを勇気に変えることが
できるならばその勇気は何百倍、何千倍にもなって現れるだろう」。
−劇中の李舜臣(チェ・ミンシク扮)の言葉だ。
この言葉は『乱中日記』『李忠武公全書』にはない。この言葉は創作だ。
監督キム・ハンミンは勝利の要素を圧縮させた。

『鳴梁』はヴォー・グエン・ザップ氏(1911〜2013)を思い起こさせる。
ザップ氏はベトナムの勝利の神話だ。
サップ氏はフランス(ディエンビエンフーの戦い)、
米国、中国(1979年)との戦争で勝った。筆者はザップ氏と
書面インタビューを行ったことがある。ザップ氏が100歳の時だ。ザップ氏は
戦争を意志の対決だと言った。
ザップ氏の表現は「決戦決勝(戦争を決行したなら勝利を決心する)」だった。

敗走した軍隊は立て直すのが難しい。恐怖に包まれれば軍隊は瓦解する。
第2次世界大戦時のフランスは開戦6週で降参した。
ドイツ電撃戦の恐怖を克服できなかった。第1次世界大戦時、イタリアは
前線崩壊を経験した。カポレットの戦いで29万人が捕虜になった。
恐怖は伝染病だ。鳴梁大捷は世界戦史の中でも異例だ。

丁酉災乱(慶長の乱、1597年)は李舜臣の投獄と白衣従軍で始まる。同年、
漆川梁(チルチョンリャン)で元均(ウォン・ギュン)艦隊は壊滅した。
鳴梁はその2カ月後のことだ。崩壊した軍隊がどのように復活し、勝利したのか。
それは危機克服の緊迫したドラマだ。
『乱中日記』と『懲ヒ録』(西エ・柳成龍)、『李忠武公全書』には
このように記されている。

李舜臣はまず共同決議をする。決戦一日前に
「何人もの将帥を呼び集めて約束した」。約束は集団決議だ。
勝利の確信を共有する。「死ぬ覚悟をすれば生き、生きようと思えば死ぬ。
1人が道守れば千人を恐れさせることができる
(必死則生 必生則死 一夫當逕 足懼千夫)」。−逕(道)とは
鳴梁(ミョンニャン)海峽だ。
見慣れない地形は敵に不安を植え付ける。恐れは倭軍にも移る。

現場状況は劣悪だ。決議だけでは足りない。
艦船13隻、交戦の時の敵船は133隻だ。13と133の数字は『乱中日記』と
状啓の記録による。兵卒は恐怖に包まれる。恐怖が伝染する危機だ。
「軍司が互いに目を合わせ真っ青になっているところ、私は滑らかに言い聞かせた
(余柔而論解曰)。敵船が多くてもすぐには我々の船に飛びかかれない
ので動揺するな」−

【コラム】鳴梁、李舜臣の偉大なリーダーシップ=韓国(2)

2014年08月07日17時14分 [中央日報/中央日報日本語版] 0

軍卒に聞こえる言葉は柔軟だ。幹部には厳しい叱咤と督戦だ。
「〔巨済縣令(コジェヒョンリョン)安衛(アンウィ)に〕軍法で
死のうとするのか、
逃げたところで生き延びられるのか(敢死於軍法乎 退去得生乎)」。
安衛の船は敵陣の中に突進する。危機克服は絶妙だった。

その土台には信頼の評判がある。
『懲ヒ録』にこのような一節がある。「(李舜臣は)卒兵も軍隊について何か
言いたい場合は訪ねて話せるようにして軍隊の事情に精通した
(雖下卒 欲言軍事者 許来告 以通軍情)」。

将軍と卒兵の対話−。ニッコロ・マキャベリの『君主論』は指導力の評判を
重視する。
評判は危機克服の資産だ。評判は疎通によって蓄積される。疎通の空間で部下の
悩みと考えが吸収される。
それは信頼と士気を生む。李舜臣の疎通はユン一等兵事件
(兵士殴打事件)を思い出させる。将軍の疎通は暴力の兵営文化を変える。

攻撃焦点は敵指揮部だ。敵の指令塔を麻ひさせなければならない。
小さな兵力で勝つ方式だ。倭軍の主力船は安宅だ。船の上に楼閣がある。
派手なだけに標的になる。混戦中に敵将の馬多時が死んだ。
「馬多時を斬ったので敵の勢いが大きく削がれた」。
日本歴史記録の中で、馬多時は来島通総となっている。恐ろしげな兜を被っている
来島(リュ・スンリョン扮)の演技はリアルだ。

『乱中日記』は自分だけの記録だ。後世に残そうとして書かれたものではない。
このため英雄の内面はリアルだ。
朝廷に対する不満、“時”に巡り合えなかったことへの鬱憤、母親の死と悔恨、
苦悩と挫折、心身の苦痛が記されている。

「李舜臣はこれを書かなかったら耐え抜くことはできなかっただろう」
−原子核工学学者チーム(パク・ヘイル、チェ・ヒドン、ペ・ヨンドク、
キム・ミョンソプ)のハングル翻訳『李舜臣の日記』での分析だ。
ソウル大チェ・ヒドン教授の鳴梁追跡は明快だ。
「同族の迫害、逆境を勝ち抜いた超人的な実存で克服した勝利だ」

武を軽べつした時代だった。李舜臣はその中で勝利にまい進した。
情熱の正体は何か。『鳴梁』の監督はこのように解釈する。
「忠は民に向かわなければならない」。
『乱中日記』にはない言葉だ。その感受性は鮮明だ。
タグ:日本、韓国
posted by 豊後国主 at 00:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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